#青天ナビ】 長七郎が人を斬ったという知らせを聞いた兄・惇忠は、すぐさま板橋宿の仮牢(かりろう)に駆けつけました。何とかできないかと手を尽くしたもののかなわず、長七郎は江戸・伝馬町の牢へと護送されました。 #青天を衝け
#青天ナビ#アーネスト・サトウ は、イギリスの外交官。名前から日本人?と思われがちですが、ドイツ系イギリス人です。来日してからは通訳の仕事をおこない、イギリス公使のパークスを助けるために奔走していました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 大隈綾子にとって、小栗忠順はいとこにあたります。綾子は幼い頃に両親を亡くし、伯父であり、忠順の父である小栗忠高の家で育てられました。忠順とは、兄妹のように育ったともいわれています。綾子にとって小栗家は、親戚以上に深い恩のある家でした。 #青天を衝け
#青天ナビ】 こちらもよく出てくる言葉なので復習をかねてどうぞ。 #諍臣(そうしん)とは、君主の間違いを正すために、処罰を恐れず自分の意見をはっきりと言うことができる家臣のことです。 #青天を衝け
#青天ナビ】 岩崎弥太郎から宴席の招待を受けた栄一。弥太郎は、未来の実業はどうあるべきか?と切り出します。合本か、一人の才覚者による経営か、2人の激論が交わされました。共に手を組み日本の実業界を変えようと考えていた弥太郎は、栄一の思わぬ反論にあい、交渉は決裂します。 #青天を衝け
#青天ナビ】 続いて、第11回~第20回です。 映像のスピードが早すぎてよくわからないという方は、途中で映像を止めながら確認してみてくださいね。 movie-a.nhk.or.jp/sns/aBQ/fi8u87… #青天を衝け #VFXbreakdown
#青天ナビ#御用金 とは、財政難に陥った幕府や藩が資金を補うため、町民や農民に臨時で納めさせた金銀です。本来は利子付きで返済されるべき借上金ですが、実際は返済されないことがほとんどでした。 #青天を衝け #第2回 #栄一踊る
#青天ナビ#橋公御行状記略(きょうこうごぎょうじょうきりゃく)とは、#慶喜 がいかに優れ、将軍にふさわしい人であるかが書かれている、いわば推薦書。#平岡円四郎 が書いた内容を #橋本左内 が編集したものです。 #青天を衝け
#青天ナビ#栗本鋤雲 は、借款問題や幕府の権威回復のため、急きょフランスに渡ります。栗本は箱館奉行所に勤務していたころにカションと親交があり、フランス語や西洋事情を学んだ根っからの親仏派であるため、幕府とフランスの間を取り持つことを期待されました。 #青天を衝け
#青天ナビ#しめかす はイワシなどの生魚を煮たり蒸したりして油を搾った残りかすを乾燥したもの。江戸時代は肥料として重宝されました。 #青天を衝け #第3回 #栄一仕事はじめ
#青天ナビ】 伊藤博文、井上馨の仲介で、大久保利通と木戸孝允や板垣退助の極秘会議が大阪でもたれました。目的は木戸、板垣の政府復帰。それに向け、大久保は大阪の五代邸に約2か月間滞在します。2人は時を忘れて囲碁を打ち、作戦会議をするなど、特別な時間を過ごしました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 弥太郎は、江戸に出てわずか一年で父がけんかで投獄されたと知り高知に帰ります。父の免罪を訴えるも通らず「官は賄賂をもって成り、獄は愛憎によりて決す」と奉行所の門柱に落書きし投獄されました。獄中で同房の商人から商売の基礎を学び、実業に進むキッカケを得ます。 #青天を衝け
#青天ナビ#オランダ風説書 とは海外情勢のニュースがまとめられた報告書。日本に駐在するオランダ商館長から江戸幕府に提出してもらっていました。 #青天を衝け #第2回 #栄一踊る
#青天ナビ#順動丸(じゅんどうまる) は、幕府がイギリスから15万ドルで購入した蒸気輸送船。元の名はジンギー号で、この名前に似せて、松平春嶽が順動丸と名付けたのだとか。勝麟太郎(勝海舟)が愛用し、徳川家茂や坂本龍馬もこの船に乗りました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 政府の中央政権化を目指した #廃藩置県 は明治初期の政治改革で、藩体制の解体です。全国の約260藩を廃止、各県に県知事をおき、全国に3府302県が成立。(その後、統廃合を重ね3府72県へ)。旧藩知事は東京に住居を移され、旧領地との関係を断ち切られました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 前島来輔(密) は、現在の静岡県磐田市にあった #遠州中泉奉行所 の初代奉行を務めていました。奉行として地域の行政に当たったほか、旧幕臣をはじめ困窮する人々のために「中泉救院」を設置して救済に尽力しました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 英・仏・蘭・米の四国連合艦隊と長州藩の戦いは、下関戦争とも呼ばれています。連合軍は、3日間で砲台を破壊して占拠し、長州藩は敗れました。これにより、長州藩は攘夷を諦め、開国、倒幕へと政策を転換していきます。 #青天を衝け
#青天ナビ】 慶喜は初め東本願寺に拠点を構えていましたが、御所からは遠く、交通は不便でした。当時、藩主が蟄居(ちっきょ)を命じられたことで空き家状態だったのが御所にほど近い小浜藩邸。慶喜はその #若州屋敷 を譲り受け、3年ほどこの場所で過ごしました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 ゲベール銃は1831年、高島秋帆がオランダから初めて輸入したといわれます。大量輸入で日本中に一気に普及しましたが、19世紀後半には欧州での技術革新が更に進み、最新鋭の銃はミニエー銃、スナイドル銃、スペンサー銃などに切り替わっていきました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 ロシアとの戦争に備え、戦費が必要な児玉源太郎は、栄一を訪ねます。栄一は、日本が戦争で財政破綻すると協力を拒否。しかし、児玉は再び訪問し、ロシアが朝鮮半島の領有を求めているという極秘事項を伝えます。ロシアの真意を知った栄一は児玉への協力を決意しました。 #青天を衝け
#青天ナビ#レオポルド・ヴィレット は、フランス陸軍の参謀中佐・陸軍大臣副官。向山一履がフランスに依頼し、フランス陸軍大臣の推薦で、昭武の教育係となります。昭武のアパートに同居し、勉強やフランスでの生活全般を教示しました。 #青天を衝け
#青天ナビ#おかしれぇ とは江戸の庶民が使っていた言葉で「おもしろい」と「おかしい」を合体させた造語です。江戸時代後期の滑稽本『妙竹林話 七偏人(みょうちくりんわ しちへんじん)』にも登場しています。 #青天を衝け #第4回 #栄一怒る
#青天ナビ】 欧州では蚕の病気が流行して大打撃を受けたため、日本の蚕の卵が求められ、全国各地の蚕卵紙が横浜から次々に輸出されます。しかし大量供給による品質低下で、外国商人は買い控えるようになり…養蚕業者は大打撃を受け、自殺者も出るほどでした。 #青天を衝け
#青天ナビ#徳川家康 が話していた #常陸帯(ひたちおび)とは、#藤田東湖 が処罰で幽閉されていたときにまとめた著書。斉昭の生い立ちから始まり、斉昭による藩政改革や尊王論について詳しく記しています。東湖の三名作のひとつです。 #青天を衝け
#青天ナビ】 1867年に開催された #パリ万国博覧会 は、日本が参加した初の万博。1862年のロンドン万博をしのぐ規模で行われました。楕円形のメイン会場では、同心円状に歩けば分野別に、放射状に歩けば国別に展示品を見ることができました。 #青天を衝け