#青天ナビ#惇忠#長七郎 に贈った詩は史実に残るもの。みずから国事に奔走したい思いを抑え、弟に託して名をあげさせようとした、兄の切なる願いが込められています。 #青天を衝け
#青天ナビ】 栄一は改正掛(かいせいがかり)を軌道に乗せるため、大隈重信に直談判して、静岡藩から杉浦譲、前島密、赤松則良など優秀な人材を引き抜き、政府に登用します。ほかにも洋書を読める人材などをどんどん登用し、仕事が回り始めてとても楽しかったと記しています。 #青天を衝け
#青天ナビ】 富岡製糸場で作られた生糸は、1873年のウィーン万国博覧会に出品。二等進歩賞を獲得し、「富岡シルク」の名前を世界に知らしめます。この受賞で政府も殖産興業の成果をアピールすることができ、まさに世界進出への第一歩となりました。 #青天を衝け
#青天ナビ#いやんばいす は埼玉県深谷地方の方言です。ズバり、#こんにちは。“いいあんばいです”が語源ですよ。 #青天を衝け #第1回 #栄一目覚める
#青天ナビ】 幕府使節団のパリでの詳細は、篤太夫と杉浦愛蔵の共著である『航西日記』全六巻にまとめられています。航海中の見聞や、欧州の風俗や習慣、万国博覧会に関連した記述などが、好奇心旺盛に記録されています。 #青天を衝け
#青天ナビ#コロリ とは、当時世界中ではやっていた病、コレラのこと。突然コロりと倒れて亡くなってしまう方が多く、こう呼ばれていたそうです。 #青天を衝け
#青天ナビ】 江戸時代に、藍は日本各地に普及しました。 当時ブランド力で圧倒的なシェアを誇ったのは #阿波藍。 栄一たちの地域の #武州藍 が有名になるのは、明治時代に入ってからでした。 #青天を衝け #第3回 #栄一仕事はじめ
#青天ナビ#武蔵国 は、現在の埼玉県あたりのことをいいます。 #青天を衝け #第1回 #栄一目覚める
#青天ナビ#山田長政#シャム(現在のタイ)に渡り貿易商として成功、アユタヤ日本人町の棟梁(とうりょう)にまで上り詰めた日本人です。 #青天を衝け #第2回 #栄一踊る
#青天ナビ#太政官札 は、日本で初めて全国流通した政府公認の紙幣です。新政府は諸藩に貸し付け、産業振興の資金とすることを狙うも、実際には大半が財政赤字の補填にあてられました。紙質が悪く、偽物も出回るなど信用も低く、明治5年には新紙幣「明治通宝」に切り替えられます。 #青天を衝け
#青天ナビ】 ベルギー国王 #レオポルド二世 との謁見に随行した篤太夫。国王が自国の鉄のセールスに熱心だったことに驚きました。国内産業を把握し、自ら売り込むその行動力に感心したことを、年を経てからも度々語っています。 #青天を衝け
#青天ナビ#天狗党の争乱 は、改革派である藤田小四郎たちの「天狗党」と、対立する保守派の「諸生党」の間に起こった水戸藩内の抗争。「天狗党」が筑波山で挙兵したため、武力衝突となりました。 #青天を衝け
#青天ナビ#天狗(てんぐ)とは、徳川斉昭の藩政改革に賛同して集まった改革派のことをいいます。藤田小四郎は、改革派の系譜で尊王攘夷派の天狗党を作り、挙兵します。 #青天を衝け
こんばんは、 #青天ナビ です。 アメリカ前大統領のグラントを迎えるにあたり、政府だけでなく、民間の代表である栄一たちや、そして、西洋マナーを身につけたご夫人たちまで奮闘します。 明治の日本のおもてなし。 夜8時から、ぜひご覧ください。 #青天を衝け
#青天ナビ#慶喜 は将軍・家茂の上洛に備えて一度陸路で京へ入りましたが、1か月後、生麦事件の償金問題の交渉のため江戸に帰りました。半年後、今度は円四郎たちと海路で京に入り、朝廷参与を命ぜられます。江戸と京の行き来に忙しかった慶喜ですが、以降活躍の場を京に移します。 #青天を衝け
#青天ナビ】 慶喜のセリフにあった #薩摩の奸計(かんけい)とは、薩摩藩の悪だくみ、という意味です。また、#参内(さんだい)とは、天皇の住む宮殿に参上することです。 #青天を衝け
#青天ナビ#正親町三条実愛 は、和宮降嫁の頃から長州や薩摩を支持し、朝廷内でも幕府派の首脳陣と対立。岩倉具視らと王政復古を画策し、薩摩の大久保利通と長州の広沢真臣に「討幕の密勅」を手渡したといわれています。 #青天を衝け
#青天ナビ】 岩倉具視暗殺未遂事件は、赤坂喰違(くいちがい)の変といわれています。1874年1月、政府内で起きた征韓論争に敗れた不平士族が岩倉を襲撃。岩倉は眉の下と腰を負傷しますが、堀に身を隠したことで助かります。しかしトラウマが大きく、公務復帰に1か月以上を要しました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 幼い頃から魚など生物を愛した敬三は、動物学者を志していました。自宅の物置小屋の屋根裏を標本室として、動植物、化石、郷土玩具などを集めます。ここを「アチック(屋根裏)・ミューゼアム・ソサエティ」と名付けて、同じ趣味の仲間との交流の場としました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 突然“まだ戦が足りん”と繰り返した西郷。会議の参加者も、栄一も真意をつかめません。井上馨に“どういう意味か?”と聞くと、“俺にもわからんが西郷の言うことだ。何か深い意味があるはず…”と。その答えが、“戦を覚悟してでも廃藩置県を断行すべし!”でした。 #青天を衝け
#青天ナビ#商法会所 とは、銀行と商社を合わせたようなもの。現金の貸し付けや預金の受付を主軸とし、また農業を盛んにするため、米や肥料の買い付けも行っていました。その後さらに事業を広げ、茶の栽培や養蚕を行う者などにも開業資金の貸し付けを行いました。 #青天を衝け
#青天ナビ#将軍後見職 は将軍が病弱であったり、幼少の場合に置かれた臨時職。家茂は13歳で将軍に就任したことから、薩摩の後押しもあり、徳川慶喜が任命されました。 #青天を衝け
#青天ナビ#蚕卵紙(さんらんし)とは、蚕が卵を産み付けた紙のこと。幕末から明治にかけて、日本の主要な輸出品でした。蚕卵紙の生産は長野、埼玉、群馬など北関東に多く、その生産、販売に関する者は富のある農家でした。 #青天を衝け
#青天ナビ】 小栗忠順とロッシュの間で、幕府はフランスからの #600万ドルの借款 を契約しましたが、この時点ではまだ成立していませんでした。幕府はこの資金で、薩長に対抗するための武器や軍艦を買い付け、一方フランスは、日本から生糸輸入の独占権を得る予定でした。 #青天を衝け