#青天ナビ】 徳川宗家を相続してから約3か月半後、ついに慶喜は15代将軍に就任しました。幕臣の中には慶喜を支持しない者もいて、こうした人々も含め、すべての幕臣が慶喜の将軍就任を望むようになるタイミングを待っていたともいわれています。 #青天を衝け
#青天ナビ】 幕府使節団のパリでの詳細は、篤太夫と杉浦愛蔵の共著である『航西日記』全六巻にまとめられています。航海中の見聞や、欧州の風俗や習慣、万国博覧会に関連した記述などが、好奇心旺盛に記録されています。 #青天を衝け
#青天ナビ】 東京府会での養育院廃止論が声高に叫ばれ、まさに廃止の決議がなされようとする直前、栄一は施設存続のための建議書を出します。さらに、自らの資金約2万円を養育院に寄付して、経営維持に努めました。 #青天を衝け
#青天ナビ#田安の亀之助 とは、のちの #徳川家達(いえさと)です。家茂が亡くなった時はまだ4歳でした。 #青天を衝け
#青天ナビ】 突然“まだ戦が足りん”と繰り返した西郷。会議の参加者も、栄一も真意をつかめません。井上馨に“どういう意味か?”と聞くと、“俺にもわからんが西郷の言うことだ。何か深い意味があるはず…”と。その答えが、“戦を覚悟してでも廃藩置県を断行すべし!”でした。 #青天を衝け
こんばんは、 #青天ナビ です。 岩崎弥太郎から宴席の誘いを受けた栄一。 この機会を楽しみにしていた栄一でしたが、いざ会が始まると、日本を豊かにするための“考え方”で真っ向対立! 激論 栄一 VS. 弥太郎 夜8時から、ぜひご覧ください。 #青天を衝け
#青天ナビ】 ていと結婚した #須永才三郎(渋沢市郎)。東京に拠点を構えた栄一に代わり、中の家(なかんち)を継ぎます。村会議員や村長、県会議員など、地域の政治家として活躍するかたわら、信用組合の経営や銀行の取締役を務めました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 母・ゑいがフランスの篤太夫に宛てた直筆の手紙が残っています。「返す返すも御身の上大切に」など、いかにも母親らしい言葉がしたためられており、その愛情深さに胸を打たれます。 #青天を衝け
こんばんは、 #青天ナビ です。 栄一と千代の娘、うたが結婚。渋沢家が幸せな空気に包まれる中、千代が突然、病に倒れてしまいます…。 「栄一と千代」 夜8時から、ぜひご覧ください。 #青天を衝け
#青天ナビ#惇忠#長七郎 に贈った詩は史実に残るもの。みずから国事に奔走したい思いを抑え、弟に託して名をあげさせようとした、兄の切なる願いが込められています。 #青天を衝け
#青天ナビ】 ゲベール銃は1831年、高島秋帆がオランダから初めて輸入したといわれます。大量輸入で日本中に一気に普及しましたが、19世紀後半には欧州での技術革新が更に進み、最新鋭の銃はミニエー銃、スナイドル銃、スペンサー銃などに切り替わっていきました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 富岡製糸場で作られた生糸は、1873年のウィーン万国博覧会に出品。二等進歩賞を獲得し、「富岡シルク」の名前を世界に知らしめます。この受賞で政府も殖産興業の成果をアピールすることができ、まさに世界進出への第一歩となりました。 #青天を衝け
#青天ナビ#諍臣(そうしん)とは、君主の間違いを正すために、処罰を恐れず自分の意見をはっきりと言うことができる家臣のこと。#直言の臣 とほぼ同義語ですね。 #青天を衝け #第4回 #栄一怒る
#青天ナビ#うもじ の心がまえとは、#妻 の心がまえという意味。妻を意味するうちかた(内方)の「う」+「もじ」(文字)で作られた #御所ことば です。 #青天を衝け
#青天ナビ】 欧州では蚕の病気が流行して大打撃を受けたため、日本の蚕の卵が求められ、全国各地の蚕卵紙が横浜から次々に輸出されます。しかし大量供給による品質低下で、外国商人は買い控えるようになり…養蚕業者は大打撃を受け、自殺者も出るほどでした。 #青天を衝け
#青天ナビ#紺屋町 は、藍を木綿に染める紺屋(染物屋)が軒を連ねていたことから、この名前が付きました。紺屋町に行けば最新の流行がわかる、とまでいわれたファッション最先端の町でした。 #青天を衝け #第3回 #栄一仕事はじめ
#青天ナビ】 台湾出兵の際、輸送船の手配で英米から協力を断られた日本。大隈は汽船を13隻購入しますが、運航する船会社がありません。そこで民間への運航業務の委託をもくろむ政府と岩崎弥太郎の熱心な訴えが合致し、三菱商会が運航会社に選ばれました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 歳入不足のため、各省からの予算増額要求を認めるべきでないと大蔵省は主張しますが、政府首脳はその訴えを却下。あきれた井上馨は辞任を決意します。前々から栄一の辞意を引き留めていた井上でしたが、結局は2人そろって辞表を出しました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 弥太郎は、江戸に出てわずか一年で父がけんかで投獄されたと知り高知に帰ります。父の免罪を訴えるも通らず「官は賄賂をもって成り、獄は愛憎によりて決す」と奉行所の門柱に落書きし投獄されました。獄中で同房の商人から商売の基礎を学び、実業に進むキッカケを得ます。 #青天を衝け
#青天ナビ】 栄一は自分のもとに孫文が訪ねてきた際、「政治はやりたい人や他にもできる人間がたくさんいるので、そういう人に任せ、あなたは気骨のある人だから経済のほうに力を注いだらどうか」と、期待をこめて進言したといいます。 #青天を衝け
#青天ナビ】 大正5年の内閣総辞職に伴い、大隈重信は政界から引退します。その後は、妻の綾子と余生を過ごすも体調を崩し、大正11年、早稲田の自宅で亡くなります。日比谷公園で盛大な国葬が行われました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 ベルギー国王 #レオポルド二世 との謁見に随行した篤太夫。国王が自国の鉄のセールスに熱心だったことに驚きました。国内産業を把握し、自ら売り込むその行動力に感心したことを、年を経てからも度々語っています。 #青天を衝け
#青天ナビ】 これは #追鳥狩(おいとりがり)と呼ばれた、狩りスタイルの軍事演習なのです。 #青天を衝け #第1回 #栄一目覚める
#青天ナビ】 篤太夫が任命された #小十人並(こじゅうにんなみ)とは、小十人とほぼ同じ役職です。小十人とは、将軍や藩主などの警備や護衛を担当する役職のこと。高貴な人につき従うことを意味する「扈従(こじゅう)」に由来しています。 #青天を衝け
#青天ナビ#アーネスト・サトウ は、イギリスの外交官。名前から日本人?と思われがちですが、ドイツ系イギリス人です。来日してからは通訳の仕事をおこない、イギリス公使のパークスを助けるために奔走していました。 #青天を衝け