#青天ナビ#慶喜 は将軍・家茂の上洛に備えて一度陸路で京へ入りましたが、1か月後、生麦事件の償金問題の交渉のため江戸に帰りました。半年後、今度は円四郎たちと海路で京に入り、朝廷参与を命ぜられます。江戸と京の行き来に忙しかった慶喜ですが、以降活躍の場を京に移します。 #青天を衝け
#青天ナビ】 小栗忠順とロッシュの間で、幕府はフランスからの #600万ドルの借款 を契約しましたが、この時点ではまだ成立していませんでした。幕府はこの資金で、薩長に対抗するための武器や軍艦を買い付け、一方フランスは、日本から生糸輸入の独占権を得る予定でした。 #青天を衝け
#青天ナビ】 養育院の運営が東京府に移り、税金が使われるようになると、府会委員の中から「貧しく、働けない人を税金で養うべきではない」という意見が出始めます。栄一は、政治は「仁」に基づいて行うべきだと反論しましたが、府は事業の縮小を決めます。 #青天を衝け
#青天ナビ#西南戦争 は、1877年に鹿児島の士族が西郷隆盛を擁立して起こした反乱。征韓論に敗れ下野した西郷が、鹿児島の私学校の生徒や士族、総勢約2万5千人とともに挙兵。しかし、政府軍が総力を挙げて鎮圧し、西郷は自害。不平士族の最後の反乱ともいわれています。 #青天を衝け
#青天ナビ】 栄一は、教育事業にも力を入れます。女子教育にも注力し、現在の日本女子大学や東京女学館の創立に尽力。著書『論語と算盤』では、女性も男性と同じ国民として才能や知恵、道徳を与え、ともに助け合うべきである、と残しています。 #青天を衝け
#青天ナビ】 歌子が結婚した穂積陳重は、財界や政界の有力者ではなく、東京大学法学部に勤める学者でした。栄一は、「長女の歌子には家庭の相談役になってくれる人を」と望んでいたといいます。 #青天を衝け
#青天ナビ#徳川和子(まさこ)は第2代将軍・徳川秀忠の娘で、母は浅井長政の娘・お江(ごう)の方。#徳川家康 の指示で、幕府と朝廷の関係の融和のため、14歳で後水尾天皇に嫁ぎました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 喜作がイタリアから戻ると、栄一や井上馨はすでに政府を辞めていました。「知り合いの居ない政府に留まる意味はない」と、喜作は帰国と同時期に政府を辞めて、実業界へ転身。栄一からの助言もあり、横浜で米と生糸を扱う問屋“渋沢商会”を起業します。 #青天を衝け
#青天ナビ】 先ほどの斉昭の言葉にあった、#下手人(げしゅにん)は、この時代の殺人犯を意味する言葉。#敵持ち(かたきもち)は、敵として狙われる立場になることを意味します。 #青天を衝け
#青天ナビ】 慶喜が任命された #禁裏御守衛総督 は、幕府の了解のもと、朝廷によって禁裏(京都御所)を警護するために設置された役職です。慶喜は、同時に、大阪湾周辺から侵攻してくる外国勢力に備えるため、摂海防禦指揮(せっかいぼうぎょしき)の役職にも任命されました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 敬三は、もっと海外勤務を続けたいと思っていましたが、高齢となった栄一の健康状態がすぐれなかったこともあり、日本への帰国を決意します。帰国後は、横浜正金銀行を辞め、祖父が興した第一銀行へ転職します。 #青天を衝け
#青天ナビ】 幼い頃から魚など生物を愛した敬三は、動物学者を志していました。自宅の物置小屋の屋根裏を標本室として、動植物、化石、郷土玩具などを集めます。ここを「アチック(屋根裏)・ミューゼアム・ソサエティ」と名付けて、同じ趣味の仲間との交流の場としました。 #青天を衝け
#青天ナビ#岩倉具視 は和宮降嫁(公武合体)の中心的な役割を果たしましたが、朝廷内の攘夷派から批判を受け、辞職するだけでなく御所から追放されます。隠せいしていた岩倉村で、王政復古を実現するための策を練り、多くの倒幕派の志士たちと接触したといわれています。 #青天を衝け
#青天ナビ】 共同運輸との争いがし烈を極めていたころ、岩崎弥太郎は倒れてしまいます。当時の診断は、慢性の胃炎。弥太郎は伊豆で静養したものの、共同運輸との競争が気になり、1か月もたたずに東京に戻って仕事に復帰。しかしこの後、家族は弥太郎が胃がんであることを知ります…。 #青天を衝け
#青天ナビ】 大正10年、京都に向かうため東京駅にいた原敬は、改札口で、群衆の中から進み出た青年に短刀で胸を刺され、倒れます。すぐに治療を施すもほぼ即死状態でした。 #青天を衝け
#青天ナビ】 栄一は改正掛(かいせいがかり)を軌道に乗せるため、大隈重信に直談判して、静岡藩から杉浦譲、前島密、赤松則良など優秀な人材を引き抜き、政府に登用します。ほかにも洋書を読める人材などをどんどん登用し、仕事が回り始めてとても楽しかったと記しています。 #青天を衝け
#青天ナビ】 将軍・家茂の上洛前に京に入った #慶喜 ですが、一橋家の家臣は少ないため、兄である水戸藩主の慶篤にも上洛が命ぜられました。慶篤とともに上洛した #武田耕雲斎 は、慶喜自身から頼まれ、慶喜のもとに留まって相談役を務めることになりました。 #青天を衝け
#青天ナビ#玉藻前(たまものまえ)とは、平安時代に鳥羽上皇に寵愛されたという伝説上の美女です。その正体は9本の尻尾を持つきつねの妖怪といわれています。 #青天を衝け #第5回 #栄一揺れる
#青天ナビ】 政府の中央政権化を目指した #廃藩置県 は明治初期の政治改革で、藩体制の解体です。全国の約260藩を廃止、各県に県知事をおき、全国に3府302県が成立。(その後、統廃合を重ね3府72県へ)。旧藩知事は東京に住居を移され、旧領地との関係を断ち切られました。 #青天を衝け
わかりやすさやちょっとお得をコンセプトにお届けしている #青天ナビ。 第3回も、リアルタイムで、歴史の用語解説や小ネタをツイートしていきます。 よろしければ、放送と一緒にお付き合いください。 それでは今週も、まもなくスタートです。 #青天を衝け #第3回 #栄一仕事はじめ
#青天ナビ】 大久保一翁のセリフにあった #前様(さきさま)とは、前の将軍であった徳川慶喜のことをいいます。 #青天を衝け
#青天ナビ】 ロシアとの戦争に備え、戦費が必要な児玉源太郎は、栄一を訪ねます。栄一は、日本が戦争で財政破綻すると協力を拒否。しかし、児玉は再び訪問し、ロシアが朝鮮半島の領有を求めているという極秘事項を伝えます。ロシアの真意を知った栄一は児玉への協力を決意しました。 #青天を衝け
#青天ナビ#征夷大将軍 とは、本来は天皇が任命した軍の最高司令官。源頼朝以来、天皇に代わって政治を任された、武士のトップに立つ人です。 #青天を衝け #第1回 #栄一目覚める
こんばんは、 #青天ナビ です。 日本初の銀行設立に乗り出す栄一たち。しかし、そこに立ちはだかる三野村利左衛門。2人の駆け引きの行方は…。 同じころ、成一郎釈放の知らせが届き…、富岡では惇忠が製糸場操業開始に向け奮闘します。 夜8時から、ぜひご覧ください。 #青天を衝け