#青天ナビ】 仕事で多忙を極めていた栄一は、篤二の子育てを娘夫婦に任せきりで、父としての厳格さをうまく示せていませんでした。しかし、篤二が妻を追い出そうとしていると知り、“人倫にもとる”とついに廃嫡を決断します。穂積、阪谷両家も、その場で泣き崩れたといいます。 #青天を衝け
#青天ナビ】 阪谷や穂積、歌子など姉たちが、愛情を注げば注ぐほど、篤二にとっては”渋沢家の嫡男”であることが重圧となります。やがて、新橋の芸者・玉蝶とのスキャンダルが発覚。妻を離縁して玉蝶を家に入れると言い出します。 #青天を衝け
#青天ナビ】 伊藤博文が満州で暗殺されたことを知った栄一。記者にコメントを求められ、伊藤の功績を述べ始めますが、感情を抑えられず涙してしまいます。この日は歓迎の晩さん会を中止し、車中で電報を打つなどして、哀悼の意を表しました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 アメリカでの栄一のスケジュールは多忙でした。朝食を終え、列車が駅に到着すると車で移動し、各所の歓迎に答辞を述べ、取材を受ける。昼食後は演説や工場視察、さらに夜の晩さん会…。寝ているうちに列車は次の目的地へ…そんな一日を繰り返しました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 渡米実業団の団長を務めた栄一は、米国側が一行のために用意した特別列車「ミリオン・ダラー・トレイン」で約90日間の全米の旅に出ます。食堂車、寝台車、展望車などを備えた豪華列車で、動く住まいとして利用します。 #青天を衝け
#青天ナビ】 古希を迎えた栄一。各事業が軌道にのり、後継者も育っていることから、自らがいつまでも責任ある地位にしがみつくべきではないと考え、実業界のほとんどの職を辞任します。 #青天を衝け
こんばんは、 #青天ナビ です。 実業界の第一線を退いた栄一は、日米関係改善のため、アメリカ60都市を巡る民間外交の旅に出ます。 そして、慶喜の伝記の編纂(へんさん)は、大詰めを迎えていました…。 いよいよ残り2回。夜8時から、15分拡大版です。ぜひご覧ください。 #青天を衝け
#青天ナビ】 慶喜は、自分の死後何年かたってから伝記を世に出すことを条件に語り始めます。栄一は、慶喜の伝記編纂作業と同時並行で、慶喜に直接取材する会を開催。この会を、慶喜は昔夢会(せきむかい)と名付けます。飛鳥山の渋沢邸に慶喜を招き、1907年から17回開催されました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 慶喜が「私の最後の役割だったのかもしれない」と話した #隠遁(いんとん)とは、この世との交わりを断ち、俗世間から逃れて暮らすことです。 #青天を衝け
#青天ナビ】 栄一から、慶喜の伝記編纂(へんさん)において主任を任された福地源一郎。衆議院議員に選ばれ、多忙を極めていたことから、伝記の編纂作業はなかなか進みませんでした。そして、福地は病に倒れ、この世を去ります。 #青天を衝け
#青天ナビ】 連日の高熱によって激しく衰弱した栄一。慶喜は見舞いに訪れたとき、栄一の手を握って涙を流したといいます。また、明治天皇からも見舞いの菓子が届けられたそうです。 #青天を衝け
#青天ナビ】 戦争の時に限って病気になる栄一。この頃、インフルエンザ発症後に中耳炎を併発。東京を離れ静養したものの、戻ると肺炎にかかり再び病床に伏しました。39度の高熱にうなされ、主治医の高木兼寛らが昼夜交代で治療にあたります。栄一自身もさすがに死を意識したようです。 #青天を衝け
#青天ナビ】 ロシアとの戦争に備え、戦費が必要な児玉源太郎は、栄一を訪ねます。栄一は、日本が戦争で財政破綻すると協力を拒否。しかし、児玉は再び訪問し、ロシアが朝鮮半島の領有を求めているという極秘事項を伝えます。ロシアの真意を知った栄一は児玉への協力を決意しました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 栄一は、教育事業にも力を入れます。女子教育にも注力し、現在の日本女子大学や東京女学館の創立に尽力。著書『論語と算盤』では、女性も男性と同じ国民として才能や知恵、道徳を与え、ともに助け合うべきである、と残しています。 #青天を衝け
#青天ナビ】 尾高惇忠は、富岡製糸場の初代場長を辞めた後、国立第一銀行の盛岡支店、仙台支店の支配人を務めます。藍玉製造や販売のノウハウを持っていた惇忠は、東北地方の経済発展にも貢献。実業界の引退後は自適な生活を送り、最後は身を寄せていた栄一の別邸で亡くなりました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 喜作は「渋沢商店」を経営していましたが、相場で失敗、大損します。栄一は、資金援助の条件として実業界からの引退を言い渡し、喜作は身を引きました。隠居の地として、今の東京の白金台に住まいを構えます。当時は梅園としても有名で、今もその老木が残っています。 #青天を衝け
こんばんは、 #青天ナビ です。 日露戦争が起きようとする中、財界の代表として、戦争への協力を求められた栄一。 その直後に、倒れてしまいます。 栄一を見舞いに訪れた慶喜は、ある言葉を伝えます…。 夜8時から、ぜひご覧ください。 #青天を衝け
#青天ナビ】 高齢となった慶喜は体調を崩すことも多くなっていました。子どもたちが東京で暮らしていたことや名医の診察が受けやすいことなどもあって、東京・巣鴨へ移住したともいわれています。 #青天を衝け
#青天ナビ】 栄一は日本軍の勝利をお祝いするため、広島大本営に出向きました。この旅の帰り道で、発熱に悩まされます。東京に戻り医師の診断を受けると顔に皮膚がんが見つかりますが、すぐ手術をし、その後の再発も見られませんでした。 #青天を衝け
#青天ナビ】 慶喜は、余世を過ごした静岡の市民などから「けいき様」と呼ばれ親しまれていました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 乳がんを患っていた美賀子。高松凌雲ら名医が何度となく手術を行います。それでも容態が良くならない美賀子は東京に移り、当時の日本で最高の医療チームの治療を受けますが、帰らぬ人となりました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 栄一を襲ったのは、国産の水道管の採用を主張する関係者が差し向けた暴漢二人組でした。馬車で外出中の栄一を狙い、一人は馬の脚を切りつけ、もう一人は栄一の指に傷を負わせます。後に出所した一人が栄一に詫びた時、栄一は彼を許し、更正のための資金を与えたそうです。 #青天を衝け
#青天ナビ】 熊本から「ワタクシダイシッサク。イサイユービン」と電報を打った篤二。熊本でも放蕩を重ねて、問題を起こします。その後、篤二は学校を退学し、血洗島の中の家で謹慎させることになりました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 東京市の水道計画が進む中、水道管を国産品と外国製品のいずれとするかで意見が分かれます。東京市参事のメンバーであった栄一は、以前ガスの鉄管で苦労した経験から、まだ技術が伴わない国産品より、まずは外国製品を使い、徐々に国産技術を高めるべきと主張しました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 千代亡き後、母代わりとなった姉・歌子の強い責任感がプレッシャーとなったのか、遊び癖が抜けなかった篤二。世話役の穂積夫妻に見とがめられ、誘惑の多い都会から遠ざける意味もあり、熊本の第五高等中学校に入学することになりました。 #青天を衝け