#青天ナビ】 母・ゑいは、亡くなる前、栄一が大蔵省を辞任したことをとても心配していました。常に、自分より他人のことを気遣う母。実業家になりたての栄一は、多忙を極め、千代たちにゑいの看護を任せきりで、自分で満足に世話できなかったことを後悔していたそうです。 #青天を衝け
#青天ナビ】 富岡製糸場で作られた生糸は、1873年のウィーン万国博覧会に出品。二等進歩賞を獲得し、「富岡シルク」の名前を世界に知らしめます。この受賞で政府も殖産興業の成果をアピールすることができ、まさに世界進出への第一歩となりました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 喜作がイタリアから戻ると、栄一や井上馨はすでに政府を辞めていました。「知り合いの居ない政府に留まる意味はない」と、喜作は帰国と同時期に政府を辞めて、実業界へ転身。栄一からの助言もあり、横浜で米と生糸を扱う問屋“渋沢商会”を起業します。 #青天を衝け
#青天ナビ】 生真面目で成績優秀な佐々木勇之助は、シャンドの下で銀行伝習生として学んでいました。ある時、珠算より筆算の方が優れていると言い張るシャンドと計算のはやさを競い佐々木が勝利。シャンドは、読み手とはじき手2人いるから勝って当然、と負け惜しみを残したようです。 #青天を衝け
#青天ナビ】 栄一は、それまでにつづっていた政府への意見書を、辞表を提出した翌日に井上に見せます。井上は賛同し、2人の建白書として政府に上申。それを新聞社がスクープし紙面に全文掲載したことで、政府の内部情報が知れ渡ることになりました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 歳入不足のため、各省からの予算増額要求を認めるべきでないと大蔵省は主張しますが、政府首脳はその訴えを却下。あきれた井上馨は辞任を決意します。前々から栄一の辞意を引き留めていた井上でしたが、結局は2人そろって辞表を出しました。 #青天を衝け
こんばんは、 #青天ナビ です。 政府を辞め、民間で自分の道を歩むことを決意した栄一。 そこに立ちはだかる好敵手(ライバル)の商人たち。 そして母・ゑいは、体調を崩し、栄一の自宅に身を寄せます。 夜8時から、ぜひご覧ください。 #青天を衝け
#青天ナビ】 喜作は、栄一の勧めで大蔵省に出仕し、郷里の経験を買われて蚕糸の担当になります。政府の方針により、ヨーロッパの優れた製糸技術を学ぶためにイタリア、スイス、フランスに派遣され、視察を行いました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 富岡製糸場で働く伝習工女は、士族の失業救済で、主に旧士族の10代、20代の娘などが優先的に集められました。後に指導者で長く活躍することも期待され、若手を採用。1日8時間勤務、日曜休暇、有給休暇、食費や寮費、医療費は工場負担など、労働環境に恵まれていました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 フランス人技師の飲む赤ワインが、若い娘たちの生き血ではないかといううわさが流れ、富岡製糸場の工女集めは苦労します。それを知った14歳の尾高ゆうは、父・惇忠のために初の伝習工女に志願。この決断は近郷の少女たちにも伝わり、志願者も増え工場は繁栄していきます。 #青天を衝け
#青天ナビ】 第一国立銀行開業のため、政府の要求で手放した三井組ハウス。その際、三井組は政府から莫大な譲渡金を得ます。三野村はこの資金を元に、駿河町に三井の新銀行設立を計画。後に三野村はこの拠点を“ほぼ費用をかけず作った”と満足げに語ったといわれています。 #青天を衝け
#青天ナビ#三井組ハウス は、二代目・清水喜助の設計、施工による、5階建ての建造物。和洋折衷の擬洋風建築として、明治の東京の新名所となりました。三井組が自身の銀行設立のために建てましたが、政府の方針により、落成後わずか2か月で第一国立銀行に譲渡されます。 #青天を衝け
#青天ナビ】 富岡製糸場の建設で、惇忠は建築資材として、妙義山の樹齢500年の杉の大木に目をつけます。しかし天狗伝説を信じる地元の住民が大反対。それでも惇忠はあきらめず、「日本の近代化のため、妙義山のご神木を使えばきっと天狗様も喜ぶ」と地元の住民を説得したといいます。 #青天を衝け
#青天ナビ】 三井組と小野組はそれぞれ私立銀行の設立を計画していました。そこに政府で銀行立ち上げを検討していた栄一が、両組に合同銀行の提案を持ち掛けます。公金取り扱いの特権剥奪をほのめかす、やや強引なやり方に、両組はやむなく合同銀行創設に協力することになります。 #青天を衝け
#青天ナビ】 自己主張が強く独断的な性格で損をしていた大隈重信に、親友の五代は短所五か条の手紙で忠告します。 1.人の話は最後まで聞く 2.意見相違があっても、人の意見をほめる 3.どならない 4.ある程度方向性が固まった後、決断する 5.嫌いな人でも親交する という内容でした。 #青天を衝け
#青天ナビ】 成一郎(喜作)は、約3年間の獄中生活を経て、釈放されます。これを聞いた栄一は大変喜び、自宅に迎え入れ、厚くもてなします。栄一も喜作も、一度は、もうこの世で再び会うことはないだろうと思っていただけに、かつてないほどのうれしさだったようです。 #青天を衝け
#青天ナビ】 ていと結婚した #須永才三郎(渋沢市郎)。東京に拠点を構えた栄一に代わり、中の家(なかんち)を継ぎます。村会議員や村長、県会議員など、地域の政治家として活躍するかたわら、信用組合の経営や銀行の取締役を務めました。 #青天を衝け
こんばんは、 #青天ナビ です。 日本初の銀行設立に乗り出す栄一たち。しかし、そこに立ちはだかる三野村利左衛門。2人の駆け引きの行方は…。 同じころ、成一郎釈放の知らせが届き…、富岡では惇忠が製糸場操業開始に向け奮闘します。 夜8時から、ぜひご覧ください。 #青天を衝け
#青天ナビ】 栄一は大阪出張から戻り、父・市郎右衛門の危篤の知らせを受けます。翌朝、大雨の中、血洗島へと帰りました。家に着くと父は一時的に回復、栄一が戻ったことをとても喜んだそうです。しかし再び体調は悪化、最期の時を迎えました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 約2年かけて、#岩倉使節団 は欧米12か国を歴訪しました。目的は、幕末に条約を結んだ諸外国に新政府の国書を届けること、不平等条約の改正、欧米の近代的制度の調査でした。岩倉具視を中心に、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文なども加わり、100名以上の大使節団でした。 #青天を衝け
#青天ナビ】 改正掛の急進的な改革は、政府内に軋轢(あつれき)を生みました。改正掛は欧米の新知識に通じた旧幕臣が多く、急進的な改革を望まない大久保利通は反感を強めました。栄一は掛長から外され、廃藩置県後、大蔵卿に就任した大久保により改正掛自体も廃止されました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 出世した栄一の役職 #大蔵太丞(だいじょう)とは、大蔵省において、卿(きょう)、大輔(だゆう)、少輔(しょうゆう)に続く省内ナンバー4の地位にあたります。 #青天を衝け
#青天ナビ】 政府の中央政権化を目指した #廃藩置県 は明治初期の政治改革で、藩体制の解体です。全国の約260藩を廃止、各県に県知事をおき、全国に3府302県が成立。(その後、統廃合を重ね3府72県へ)。旧藩知事は東京に住居を移され、旧領地との関係を断ち切られました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 廃藩置県の仕事で不眠不休の栄一を、鉄道の第一人者・井上勝が訪ねたときのエピソードが残っています。多忙の栄一は、井上の話をウムウムと上の空で聞くだけ。井上がその態度に激怒すると、栄一は井上の話をそのままに復唱してみせ、井上はえらく感動したといいます。 #青天を衝け
#青天ナビ】 突然“まだ戦が足りん”と繰り返した西郷。会議の参加者も、栄一も真意をつかめません。井上馨に“どういう意味か?”と聞くと、“俺にもわからんが西郷の言うことだ。何か深い意味があるはず…”と。その答えが、“戦を覚悟してでも廃藩置県を断行すべし!”でした。 #青天を衝け