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「どうする家康」第1回で「蔵人」のことを「くろうど」ではなく「くらんど」と言ったので、異論がすごいらしい。どちらも正解です。むしろ「くらんど」読みの方が、室町・戦国期には多い。文明、明応、天正本節用集、元亀本運歩色葉集などはいずれも「クランド」と注記されている。#時代考証の呟き
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あとですね、ホンモノの馬だと、あれらのアングルでの撮影は不可能。馬が怖がってダメなのです。「真田丸」の時も、信繁の騎乗シーンは、馬の精密な模型だったのは記憶に新しい。#時代考証の呟き twitter.com/NobunagA_A/sta…
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ハッキリ言わせて頂くと、史料も論文もちゃんとした歴史書もカバーしていない人は、自重したほうが賢明だと思う。まぁドラマの感想や想いは自由ですが、史実で斬り込んでくるのは、無謀としか😞#時代考証の呟き twitter.com/riraku12/statu…
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ハッキリ言って、家康研究は月単位で進んでいるので、専門家も大変。まぁ、だいたい前に進めているのは、あの4人ほどだが😅#時代考証の呟き twitter.com/suwasirou/stat…
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「どうする家康」第2回「兎と狼」はいかがでしたでしょうか?さて、今回に関する時代考証のポイントについてお話ししましょう。 #どうする家康 #時代考証の呟き
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(2)家康は、戸田宗光によって織田氏のもとに送られた話 松平広忠が、息子竹千代を人質として今川義元のもとへ送ろうとしたところ、戸田康光に奪われ、織田信秀のもとに送られたという逸話は、『三河物語』以来大変有名です。#どうする家康 #時代考証の呟き
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(3)家康を大樹寺に包囲した敵が大草松平昌久だった話  大高城を脱出し、岡崎に帰還した家康たちが敵に攻められ、菩提寺の大樹寺に入ったというのは、地元で大変有名な逸話です。#どうする家康 #時代考証の呟き
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どなたのツィートだったかはわかりませんが、大草松平氏が鉄炮をかなり装備していることを疑問視する意見がありました。当時鉄炮はそんなに普及していなかったのでは?ってやつです。いいえ、戦国日本の鉄炮拡散の速さと数量は、外国人宣教師が信じられないと記録しているほどです。#時代考証の呟き
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大河ドラマ「どうする家康」第3回はいかがでしたか❓️アタクシは、まだ東京でして、番組を拝見しておりません。色々な感想、批判、い○○○○がおありと思います。ぜーんぶ拝見してから、明日には #時代考証の呟き をやりたいと思います。#どうする家康 #平山優
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大河ドラマ「どうする家康」第3回「三河平定戦」はいかがだったでしょうか。それでは、早速、今回に関する時代考証のポイントについてお話ししましょう。#どうする家康 #時代考証の呟き
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また今回は、信玄と氏真は同盟国であり、今川氏を飛び越えて家康が信玄と直接連絡を取ろうとすることを、無礼の極みと指摘しています。これは当然のことで、古沢さんの史実に基づく脚色の巧さが出ています。詳しくは、拙著『徳川家康と武田信玄』角川選書を御覧ください。#時代考証の呟き
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かにされました。これは、氏真がいかに家康に期待をかけ、対織田戦で尽力して欲しいと願っていたかを表しています。ですがこのことがはっきりしたのは、脚本が完成した後のことでした。そのため今回は、通説どおりの扱いになっています。#時代考証の呟き
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永禄4年4月11日の三河牛久保城(城主牧野成定)攻撃です。  #時代考証の呟き
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人質はすぐに殺されてしまいます。しかしながら人質を捨てる判断を下したことで、結果的に奥平氏は戦国の世を生き延び、譜代大名にまで上り詰めたのです。江戸時代、奥平家は殺害された人質の供養を続けていたと伝えられます。 #時代考証の呟き
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氏真に見切りをつけ、今川との同盟を再考するようになったと考えています。詳しくは、拙著『徳川家康と武田信玄』(角川選書)をご覧ください。今回は、戦国期研究において重要な位置を占める、国衆論が見事に反映され、取り込まれた脚色になっていました。#時代考証の呟き
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今宵はここまでにいたしとうございます😆また次回! #時代考証の呟き
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遅くなりました。大河ドラマ「どうする家康」第4回「清須でどうする」はいかがでしたでしょうか。SNSをみると、様々なご意見がみられますね。ここで、はっきりと申し上げておきますと、全編にわたって、これはフィクションです。 #時代考証の呟き #どうする家康
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しかしながら、時代考証担当の一人として、責任は十分に自覚しており、ご批判は甘受します。#時代考証の呟き #どうする家康
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れていません。あくまで和睦(停戦)に留まっていたと考えられます(ただし極めて友好的な意味での和睦)。 #時代考証の呟き #どうする家康
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訪問はなかったのが事実でしょう。今回のドラマでは、完全なる脚色です。 #時代考証の呟き #どうする家康
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元康のもとへ送られた(氏真は元康を対織田戦にとって必要不可欠な存在であり、かつ頼れる一門衆と認識していた)ことを示すものだろうと思うのです。 #どうする家康 #時代考証の呟き
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正信の前半生は謎に包まれています。三河一向一揆前に、元康家臣としてどのように活動していたのかも不明です。今回は、冷や飯食いから上に登るきっかけを摑もうとしているという設定になっていますね。これからが楽しみです。 #どうする家康 #時代考証の呟き
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これは歴とした根拠があるのです。忍びたちの活動とも絡んで、実に見事な台詞回しだったと感激しています。 #どうする家康 #時代考証の呟き
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軍隊においては「足軽」に分類され、彼らを統率する指揮官(侍身分)が足軽大将なのです。なので、半蔵が足軽大将だったという事実と整合しますね。永禄期の服部半蔵は、足軽大将として渡辺半蔵守綱、大久保忠佐(忠世の弟)、本多忠真らの同僚とされています。#どうする家康 #時代考証の呟き
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忍びの衣装については、かつての忍者物のような真っ黒な装束はできるだけ避け、暗い衣装ながら、通常の村人ら市井の人々と変わらぬものにしてあるのは、その成果を取り入れたものです。#どうする家康 #時代考証の呟き