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家康の禁制が存在するのは、甲斐ではすべて穴山領のみ。すでに内通済みでタイミングを見計らっていた穴山梅雪を誘降した時点で、侵攻路にあたる穴山領の安全保障は家康の担当。なのでそうなる。穴山領が味方の地なので進軍は容易なのに、進まない。それは織田が武田本国である甲斐に入るのを待っていた twitter.com/bibouroku1319/…
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いや、家康は穴山を取り込み、先に甲斐に入れる状況だったんだよ。でも駿河でかなり時間をかけて、在陣してるのは、信忠に華を持たせるためだろうね。#時代考証の呟き twitter.com/CjnfDjz/status…
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私がいう論難とは、全く根拠のない言いがかりのことを指します。最近TMで沢山見いだされた適当で、いい加減な「歴史知識」なるものです。昨夜は私を研究者ではない呼ばわりする人物まで登場しました。これなぞは、名誉毀損です。黙っていると、ドンドンつけあがるでしょう。だからこれには断固対応
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つけているのか、なぜあの設定にしているのか、を知って頂きたいと思っているからです。それでもダメだ、おかしいという方々もいるでしょう。それは仕方ないと思っています。私が指摘しても修正が叶わないこともあります。しかしそれは、私が仕事をしていない、存在価値がないことになるのでしょうか?
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私は、大河ドラマについて「面白くない」「ファンタジー」等の感想についてはご自由に、と思っています。私の仕事、経歴に対する論難には容赦なく反論しているだけです。時代考証の呟きでお話ししているのは、ドラマストーリーと史実(現段階で確からしいと指摘されているもの)との整合性をどのように
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これ凄い史料。如法経を書写するためにかかる経費を寄進するためのもので、寄進状の一種。紙に書かれたものは多数あるが、板に朱書きは珍しい。筆跡や使用されている文字、いずれも戦国初期のもので間違いなさそう😳 twitter.com/nagurasense/st…
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まるっきり出鱈目、いい加減、あやふや、一知半解の思い込みで発言するヒトが多いなぁ。間違った考え方を正しいと思い込み、不当な論難をすることの愚かさがわからないとは。
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間違いだらけ。①築山殿は人質交換で戻ってきた→桶狭間直後、氏真により亀姫とともに岡崎に送られている、②家康は他の女性を囲っていた→現在史料で判明する限り秀康生母を除きすべて築山殿の選任と許可による、③天下人になってからも信康から徳川姓を取り上げ→出鱈目の事実誤認、いい加減にせよ twitter.com/M__Yuugiri/sta…
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死の真相としたのです。ですが、家康自身は生前に母子の供養を行っていました。また、信康に「徳川」を名乗らせなかったとありますが、それは少し前の「#時代考証の呟き」を参照してください。当時「徳川」は家康個人にのみ認められたもので、もし信康に何事もなければ、彼は「徳川」になったはずです
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これには、しっかりとお答えしなければなりませんね。家康の生前、築山殿と信康は不名誉や悪名を蒙っていたという事実はありません。母子の悪評は、家康死後の江戸幕府創業史が編纂されるようになった時期です。家康以後の人たちが、神君家康の経歴に傷がつかぬよう慮り、母子の悪行と信長の強要を twitter.com/M__Yuugiri/sta…
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それにしても、どうしてこんな設定になっているのか、ということを想像力を働かせて自分なりにドラマを解釈し楽しむのが、映画やテレビの醍醐味なんじゃないのかな。なぜ、どうしてそうなったという疑問から、どう解釈できるかという想像力があまりにも欠如してないか。
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あのね、浜松城から宇布見に出て、佐鳴湖へ遡上するルートがあるのよ。瀬名もそれに乗ってきたはず。家康は、宇布見で彼女を捕捉できず、急ぎ舟で佐鳴湖へ向かい合流したと考えれば、設定に無理なし。 #時代考証の呟き #どうする家康 chunichi.co.jp/article/721557
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どうか心を寄せ手頂ければ幸いです。今回、瀬名が自刃する撮影には、私も見守らせて頂きました。俳優陣の鬼気迫る演技と迫力、撮影や演出陣の苦闘を、じっと拝見させていただいておりました。私は映像からそれがしっかりとあふれ出て、伝わり、胸に迫ってきたと感じます。彼らへのエールをお願いします
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はできる限り目を通しています。重視されるべき批判は、今後に生かそうと参考にさせていただいています。むしろ、一般の方々の批判の方が、盲点を衝いておられることが多いです。いろいろお小言をいいながら、毎回観てくれているのだなと感謝しております。俳優陣や制作陣の努力と奮闘に、
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く落とし込むためにはどうしたらいいかを、ちゃんと考えていますよ。それが納得できないのは、仕方ないことです。もっと、面白いドラマ作りが出来るよう、制作陣の末席にいる一人として、これからも頑張っていきます。応援してくださっている皆さま、ありがとうございます。批判してくださる方々、意見
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となんらかわりはありません。もちろん、自分にはあわない、納得できないという方々がおられるのは、当然のことです。批判されることは、当たり前のことです。でも、私たちの仕事を貶める「根拠なき論難」はやはりこちらも傷つきます。こういう歴史上の背景やシステムが存在するので、ストーリーにうま
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が自身の脚色によりドラマ上で回答をしたい、そしてそれがその後の家康に大きな影響を与えていることを描きたいと考えておられることは、私にも伝わりました。今回はそれを尊重しました。大河ドラマは、史実を忠実に描くのではなく、それを素材にした解釈であり、独自の人間ドラマです。それは歴史小説
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まぁ、こうしたことも、ドラマの台詞で説明するのは難しいですよね。脚本家の古沢さんは、苦心されたと思います。少なくとも私は、同盟、盟約関係の積み重ねでこうした動きは形成できると判断し、脚色内容に同意しました。瀬名がなぜ希代の悪女と後世指弾されることになったのかという課題に、古沢さん
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の金・銀を公正に量ることができる正確な秤を設定し、さらに地方の価値変動(これは当時の言葉で「田舎目」いなかめといいます)を把握し、換算することで円滑な取引が可能となります。豊臣政権期の東国はまさにこれが実行されていました(豊臣時代は、京目〈畿内の金銀価値〉と田舎目の変動の換算)。
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まさに荒唐無稽の極みとの非難が寄せられました。皆さんは、戦国大名間の取引を、銭などの少額貨幣の積み上げで行うという印象を持たれているのでしょうか。当時は、金・銀などを使用して、大口取引は展開されていましたので、お金の一つにするとするというのは、一種の比喩で、実際には秤量貨幣として
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し、直江兼続が指揮した上杉軍が、真田軍と空砲を打ち合ったシーンを記憶しています。皆さん、憶えておられないのでしょうか?互いに密約を交わして、戦うフリをすることを「なれあい」といいますが、過去の大河ドラマでも採用された設定です。
あと、瀬名がお金を統一するという提案をしていました。
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昔の大河ドラマ「おんな太閤記」をお忘れですか?大河ドラマ「黄金の日々」は、自由な商業活動を希求する物語でした。そういえば、密約を交わした徳川と武田が、空砲を撃ち合い、合戦をしているふりをしたという設定に、ものすごい非難がありました。私は「真田丸」で、上杉景勝と真田昌幸が密約を交わ
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目指したのは、「戦のない世」だったのです。それがドラマのコンセプトでした。それなのに、なぜ「どうする家康」の瀬名をあれほど批判できるのか、私にはわかりません。ましてや「昔の大河ドラマのほうが重厚感があった」「しっかり作られていた」と、そう批判される方々はほぼ口を揃えておられますが
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なってしまっているかも知れません。あと、「戦のない世」を主張するなど、現代的価値観を入れすぎだという意見を多数拝見しました。皆さん、「おんな太閤記」って御覧になったことありますか?あのドラマは、主人公の寧々が「戦はいやじゃ」という言葉を毎回のフレーズにしていました。彼女が夫秀吉と
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のです。後は戦争で他国から略奪して補っていました。「足らぬところは、他から融通してもらい、うまくやっていく」という瀬名の台詞は、こうした背景を知っていれば、あながち否定できません。なかなか、戦国の流通や同盟の内実を、ドラマで説明することは至難ですよね。なのでどうしても言葉足らずに