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#地的に愉しむ青天を衝け
第一国立銀行は、1873年日本橋兜町に設立されました。場所は現在のみずほ銀行兜町支店です。
兜町は日本の経済の中心地として、郵便や証券取引所などもこのエリアから生まれました🏦🏣
#青天を衝け
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#地的に愉しむ青天を衝け
この頃(明治4年12月)栄一は、湯島の家を引き払い、裏神保小路に引っ越します。現在の神田神保町の古本屋街です。
ここで千代と大内くにが同居しました。敷地は540坪超あったので、生活空間は分かれていたのでしょうか?
それでも...居心地悪そうな気が🤔
#青天を衝け
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とっさま追悼マップを作成しました。
渋沢家の菩提寺「華蔵寺」は中ん家から約1.3km、叔父宗助や尾高惇忠の書が併設の美術館にあるそうです。
巡礼にご活用ください。
#地的に愉しむ青天を衝け
#青天を衝け #埼玉県深谷市
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とっさま...
深谷市の栄一生家の裏手には、とっさまの招魂碑があります。撰文は惇忠兄ぃです。
大意を書き写しました。
やはり親子ですね...「お金は人の為に使う」とっさまの信念が、公益を求めた栄一と重なります。
#地的に愉しむ青天を衝け
#青天を衝け
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#地的に愉しむ青天を衝け
廃藩置県!かつてのお殿様たちの心中やいかに...
薩摩の殿様 島津久光公は、廃藩置県におかんむり!怒りで一晩中花火を打ち上げました🎇🎆
爆発させたのが武力ではなく花火だったのホント良かった😌
#青天を衝け
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#地的に愉しむ青天を衝け
鹿鳴館のイメージが強い井上馨さん、お顔だけでなくその身体は傷だらけでした。
長州藩時代、敵対する一派に襲われ50針も縫う瀕死の重傷を負ったとか...その現場である山口市には、遭難の碑が残されています。
#青天を衝け
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全国の測量や地図作成を手がけた「民部官庶務司戸籍地図掛」
その後、明治10年に「内務省地理局」となりますが、その時の局長は...杉浦愛蔵(譲)さんです!
実は杉浦さん、地理・地図業界とご縁が深い方だったんです☺️(やっと言えた)
#地的に愉しむ青天を衝け
#青天を衝け #志尊淳
#国土地理院
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#地的に愉しむ青天を衝け
明治4年 郵便制度発足
当時、駅逓司(官庁のようなもの)と東京郵便役所が設置された場所、つまり郵便発祥の地は...現在の日本橋郵便局です🏣
ここには、前島密さんの胸像が設置されています☺️
#青天を衝け
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栄一邸は、約580坪(当初390坪・追加190坪)あったそうです(広大...)
実際の形状は不明ですが、現街区の約8割を占める面積でした。
となると🤔現在のヨネックスさん(@yonex_jp)本社の一部は、栄一邸だった可能性がかなり高いです🏸
#青天を衝け
#地的に愉しむ青天を衝け
#文京区湯島
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#地的に愉しむ青天を衝け
明治2年当時の栄一邸を、文献から推定してみました🤔
様々な文献に「湯島天神中坂下」とありますが、正確な場所は不明...
ただ竜門雑誌で「湯島天神町一丁目八十三番地」と推定されており、今に当てはめると、現在の湯島3丁目23付近となります。(続
#青天を衝け
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#地的に愉しむ青天を衝け
全国測量の話が出てきました🙌
明治2年に「国土地理院」の前身となる「民部官庶務司戸籍地図掛」を設置し、近代測量に着手します🗾
国土の開発事業の土台といえる測量・地図作成は、近代化への国家プロジェクトの一つでした😉
#青天を衝け
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そんな大隈さんの大好物は、佐賀銘菓丸房露(丸ぼうろ)
大好きすぎて「佐賀から東京にわざわざ職人を呼び丸房露を振る舞った」エピソード大好きです。
画像は大隈さんが愛した、鶴屋さんの丸房露!おいしいですよね😉
marubouro.co.jp
#佐賀市
#地的に愉しむ青天を衝け
#青天を衝け
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大隈重信さんの住居の変遷です
築地→有楽町→神田錦町→飯田町(雉子橋)→早稲田
この変遷は早稲田大学の記事が参考になります✍️興味深いのは、明治16年作成の「五千分一東京図測量原図」には雉子橋の大隈邸が記載されています!
waseda.jp/top/news/60890
#地的に愉しむ青天を衝け
#青天を衝け
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#地的に愉しむ青天を衝け
佐賀弁が激しい大隈さんは佐賀市出身、生誕地には大隈重信記念館があります。
ここで知った大隈さんの印象的なエピソードが「文字を書かなかった」という話
学生時代周りと比べて、字が汚かったため「もう書かない」と誓ったそう...変わった人ですね😨
#青天を衝け
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#地的に愉しむ青天を衝け
この当時(明治2年)の大隈重信さん邸は築地、現在の「新喜楽」さん周辺です。
明治4年発刊の東京大絵図では大隈邸を見つけることができます。結構難しいですが、チャレンジしてみてください!
meguro-library.jp/data/oldmap/ma…
#青天を衝け
#築地梁山泊
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#地的に愉しむ青天を衝け
函館市には、箱館戦争ゆかりの人物由来の地名があります。
榎本武揚が由来の榎本町と梁川町。梁川は榎本の雅号です。
そして中島町は、千代ヶ岡陣屋で戦死した中島三郎助が由来。この方は元浦賀奉行所与力で、ペリー来航時に黒船に乗船した人なんです!
#青天を衝け
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土方歳三さま聖地巡礼マップです🗾
北海道の上陸地「鷲ノ木」、旧幕府軍の拠点「五稜郭」、土方軍が攻め落とした「松前城」、激戦の地「二股口」などゆかりの地は多くあります。
早くコロナが明け、ゆっくりと巡りたいですね。
#地的に愉しむ青天を衝け
#青天を衝け #箱館戦争
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#地的に愉しむ青天を衝け
5月11日、この日新政府軍の総攻撃を受け、旧幕府軍は圧倒的戦力を前に箱館から撤退。弁天台場の旧幕府軍が孤立します。
土方歳三は、箱館市中奪回を目指し出陣、一本木関門付近で馬上狙撃にあい、亡くなりました。
歳三さま...黙祷
#青天を衝け
#新選組 #箱館戦争
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【おまけ】
浮月楼のある紺屋町のお隣は、両替町💰
銀貨の鋳造所があったことが由来ですが、徳川家康がこの鋳造所を江戸に移設しそこを「新両替町」としました。
町名は現在東京にありませんが、当時の通称名が今に生きています。
それが...銀座です!
#地的に愉しむ青天を衝け
#青天を衝け
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#地的に愉しむ青天を衝け
栄一によって設立された商法会所は、「浮月楼」として今も現存しております。
そしてこちらの地名はなんと...
\ 紺屋町 /
染物屋の多いエリアにつけられる地名です。栄一さんに選ばれるべくして選ばれた場所という感じがありますね!
#青天を衝け
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【おまけ】土方歳三の逸話
旧幕府軍の軍艦 開陽丸、当時最強の艦船は江差沖で沈没しました。このとき歳三は、沈む姿を見て松の木を拳で叩いたと言われます。
この「土方歳三嘆きの松」が旧檜山爾志郡役所前に残っています。
#地的に愉しむ青天を衝け
#青天を衝け
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#地的に愉しむ青天を衝け
慶喜公と栄一の久しぶりの対面、慶喜公の表情、ふるまい...無念さが痛いほど伝わってきました...
舞台となった宝台院は、駿府城から直線で約1kmほど離れた場所でした(もちろん現存しています)
#青天を衝け
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#地的に愉しむ青天を衝け
高松凌雲先生、パリで学んだことを箱館で実践!
箱館病院は、五稜郭から直線で約5kmの場所、現在の函館市弥生町にありました。
1869年5月、一帯は新政府軍により落ちましたが、敵味方関係なく疾病者を受け入れたため治療を継続できました。
#青天を衝け
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(おまけ)
飯能市街地を歩くと、泣けるポスターに出会えます。
飯能は、
渋沢平九郎を忘れない。
歴史と自然豊かな飯能市、おススメ巡礼スポットです。
#青天を衝け
#地的に愉しむ青天を衝け
#埼玉県飯能市