#青天ナビ】 慶喜は、将軍就任のお礼に #孝明天皇 への謁見を予定していましたが、その前日から天皇は発熱。天然痘の兆候があらわれて、2週間もしないうちに崩御しました。慶喜は、将軍就任直後に、大きな後ろ盾をなくしたのです。 #青天を衝け
#青天ナビ】 小栗忠順とロッシュの間で、幕府はフランスからの #600万ドルの借款 を契約しましたが、この時点ではまだ成立していませんでした。幕府はこの資金で、薩長に対抗するための武器や軍艦を買い付け、一方フランスは、日本から生糸輸入の独占権を得る予定でした。 #青天を衝け
#青天ナビ】 篤太夫のパリへの旅道具は手軽でした。黒羽二重の小袖羽織、緞子(どんす)の義経袴と靴を購入し、ズボンやチョッキのない古着のえんび服を譲り受けたとか。何も分からず思うままに旅装を整えたため、実におかしなことだったと懐古しています。 #青天を衝け
こんばんは、#青天ナビ です。 今回からパリ編がスタート。 徳川昭武率いる幕府使節団、篤太夫を待ち受けるものとは…。 日本とフランス、それぞれの現地キャスト・スタッフで撮影し、その映像とCGを合成してできたパリのシーンにもご注目ください。 #青天を衝け
#青天ナビ】 幕府使節団のパリでの詳細は、篤太夫と杉浦愛蔵の共著である『航西日記』全六巻にまとめられています。航海中の見聞や、欧州の風俗や習慣、万国博覧会に関連した記述などが、好奇心旺盛に記録されています。 #青天を衝け
#青天ナビ】 外国に行くからにはいち早くフランス語を習得したいと、船の中でフランス語の文法の授業を受け始めた篤太夫。しかし、船酔いに苦しみます。まともに授業を受けられず、次第にサボりはじめ、フランス語の習得は進まなかったという話も残っています。 #青天を衝け
#青天ナビ】 船内では、毎朝7時頃に朝食をとりました。篤太夫は、バターを塗ったパンについて「味甚美なり(とてもおいしい)」と、食後のコーヒーには「頗る胸中を爽にす(気分がすっきり爽やかになった)」と記しています。初めての洋食も抵抗なく受け入れていたようです。 #青天を衝け
#青天ナビ】 ナポレオン三世の時代に建設されたグランドホテル。当時、建設中だったオペラ座の前に建ち、パリ万博を訪れる世界各国の人々に、経済成長した強いフランスを示す象徴のひとつでした。 #青天を衝け
#青天ナビ】 物語のパリ万博のセットは、当時の万博会場を設計したシャポンのデザイン画を参考に再現しました。「JAPON(日本)」の看板に国旗がいくつも掲げられているのも、シャポンの設計案です。 #青天を衝け
#青天ナビ#モンブラン は、フランスの実業家。日本に興味を持ち、幕府に近づくも信用を得られず、同じ頃イギリスに留学生を派遣していた薩摩藩と接触。交流を深め、特に五代とよき取引相手となります。薩摩藩はモンブランを代理人とし、パリ万博に独自で参加する手筈を整えました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 謁見式のシーンは、昭武たち日本人パート以外はパリで撮影されました。テュイルリー宮殿は現存しないため、撮影はフォンテーヌブロー城で行いました。ここはシャム王国一行がナポレオン三世と謁見した場所で、その時の様子を描いた絵画を参考に撮影しました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 薩摩が主導した雄藩による四侯会議。島津久光、松平春嶽、山内容堂、伊達宗城が長州の処分と兵庫開港について将軍・慶喜と交渉しました。慶喜は兵庫開港を最優先にすべきという考えを譲りませんでした。決着はせず、最後は慶喜が4人を庭園に招き写真撮影して別れました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 篤太夫は一連の公式行事が終わると、今後の滞在費用のことを考え、ホテルよりも安くすむ方法を探ります。結局、パリ市中から少し離れたシャルグラン街のアパルトマン(アパート)を借りることにしました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 欧州の物価の高さを痛感した会計担当の篤太夫。昭武の住まいについても、山内六三郎と共に連日のように探し回りました。そしてペルゴレーズ街に、貴族の所有するしゃれた3階建ての家を見つけます。そこには厩(うまや)や馬車置き場などもありました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 アンヴァリッド廃兵院は17世紀に建てられた陸軍病院。篤太夫が初めて西洋の福祉文化に触れた場所でした。今も観光施設として残されており、その中庭で、在仏スタッフが撮影を行いました。 #青天を衝け
ボンソワール、#青天ナビ です。 いつもご覧いただき、ありがとうございます。 篤太夫は、西洋の文化・風習を受け入れ、髷(まげ)を落とし、洋装姿になります。 そのころ日本では、慶喜が“大政奉還”の大勝負に出ます。 ぜひご覧ください。 #青天を衝け
#青天ナビ】 「日本は連邦国家であり、幕府はその一つに過ぎないのではないか」という新聞記事が出て、フランスは幕府に対し懐疑的になります。さらに両者の密約であった生糸の独占契約の情報がイギリスに漏れ、イギリスはルール違反だと非難。借款交渉は暗礁に乗り上げました。 #青天を衝け
#青天ナビ#栗本鋤雲 は、借款問題や幕府の権威回復のため、急きょフランスに渡ります。栗本は箱館奉行所に勤務していたころにカションと親交があり、フランス語や西洋事情を学んだ根っからの親仏派であるため、幕府とフランスの間を取り持つことを期待されました。 #青天を衝け
#青天ナビ#杉浦愛蔵 はパリ万博の出品状況、昭武の留学の途中経過や費用の工面について幕府に説明するために帰国します。杉浦が務めていた書記業務は篤太夫に引き継がれ、庶務・会計に加えて、公務日記も担当するようになり、篤太夫はより多忙になっていきます。 #青天を衝け
#青天ナビ】 平岡円四郎亡きあと、慶喜により幕臣に取り立てられ、目付となった #原市之進。慶喜を将軍にすべく奔走しましたが、その功績を妬む者も多く、平岡に次ぐ佞臣(ねいしん)といわれて暗殺されました。慶喜はまたもや信頼する側近をなくしてしまったのです。 #青天を衝け
#青天ナビ#レオポルド・ヴィレット は、フランス陸軍の参謀中佐・陸軍大臣副官。向山一履がフランスに依頼し、フランス陸軍大臣の推薦で、昭武の教育係となります。昭武のアパートに同居し、勉強やフランスでの生活全般を教示しました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 ベルギー国王 #レオポルド二世 との謁見に随行した篤太夫。国王が自国の鉄のセールスに熱心だったことに驚きました。国内産業を把握し、自ら売り込むその行動力に感心したことを、年を経てからも度々語っています。 #青天を衝け
#青天ナビ#王政復古の大号令 とは、いわば明治政府の成立宣言。幕府や将軍、摂政・関白など従来の制度を廃止して、天皇を戴(いただ)き、総裁・議定・参与の三職を中心とする新たな組織で政府を運営するという政治方針が示されました。 #青天を衝け
#青天ナビ#小御所会議は、慶喜の権力を奪うための場でした。徳川家の領地や慶喜の官位返上を求める辞官納地を議論するも、慶喜を擁護する松平春嶽や山内容堂らと大激論に。結局、実力行使をほのめかした岩倉具視らが会議を押し切り、慶喜に辞官納地を伝えることが決定されました。 #青天を衝け
こんばんは、#青天ナビ です。 本日の放送はお休みですが、今日は、『青天を衝け』のおすすめコンテンツをご案内していきます。 #青天を衝け