みなさん、こんばんは! 第8回「栄一の祝言」 まもなくスタートです。 ついに栄一が結婚。 そして、さまざまなコンプレックスが入り混じるストーリーも...! #青天を衝け #青天ナビ
#青天ナビ#井伊#慶喜 の対話からいくつか…。 #そこもと#そなた の意味で、同僚または目下の人に対して使います。天子様の #御叡慮(ごえいりょ)は #天皇のお考え#さもありなん#その通りである#大慶至極(たいけいしごく) は #このうえなく喜ばしいこと です。 #青天を衝け
#青天ナビ】 勅許なしで条約を結んだ #井伊 を問い詰めた #慶喜。史料によると、ここで次期将軍が紀州の慶福に決まったと井伊から告げられて「それはめでたい」と答えました。驚いた井伊が「何かご意見は?」と聞くと、慶喜は「ふふん」とだけ言って何も答えなかったそうです。 #青天を衝け
#青天ナビ#安政の大獄 で自身の政策を批判する者を粛清した政治姿勢から、#井伊直弼#井伊の赤鬼 と世間から恐れられました。 #青天を衝け
みなさん、こんばんは。 「栄一と桜田門外の変」 まもなく、はじまります。 “桜田門外の変” この出来事が、後の世に大きな影響をもたらします…。 #青天を衝け #青天ナビ
#青天ナビ#永蟄居(えいちっきょ)とは蟄居よりさらに重い処罰で、生涯にわたって家にこもり謹慎することです。謹慎は解かれる場合がありますが、永蟄居は解かれることはありませんでした。 #青天を衝け
#青天ナビ#コロリ とは、当時世界中ではやっていた病、コレラのこと。突然コロりと倒れて亡くなってしまう方が多く、こう呼ばれていたそうです。 #青天を衝け
#青天ナビ】 こちらもよく出てくる言葉なので復習をかねてどうぞ。 #諍臣(そうしん)とは、君主の間違いを正すために、処罰を恐れず自分の意見をはっきりと言うことができる家臣のことです。 #青天を衝け
#青天ナビ#鬼ヶ宿#井伊直弼 が脚本を書いた狂言。#桜田門外の変 が起こる数日前に、彦根藩のお抱え狂言師であった #九世茂山千五郎 が初演しました。そして今回ご縁もあり、その伝統を継ぐ #十四世茂山千五郎 さんと #茂山茂 さんが演じてくださいました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 永蟄居となった斉昭と共に、吉子は初めて水戸の地を踏みました。安政6年3月3日、珍しく大雪となった日に、吉子らは雪中にみかんを投げて取り合って遊んだと日記に残っています。その深夜、桜田門外の変の一報が江戸から届きました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 先ほどの斉昭の言葉にあった、#下手人(げしゅにん)は、この時代の殺人犯を意味する言葉。#敵持ち(かたきもち)は、敵として狙われる立場になることを意味します。 #青天を衝け
こんばんは、こんばんは。 今日の #青天ナビ、前半は静かですが、後半に集中してつぶやきますので心配しないでくださいね👍 今回も、血洗島の熱き男たちにご注目ください。 それではまもなくスタートです。 #青天を衝け
#青天ナビ#徳川和子(まさこ)は第2代将軍・徳川秀忠の娘で、母は浅井長政の娘・お江(ごう)の方。#徳川家康 の指示で、幕府と朝廷の関係の融和のため、14歳で後水尾天皇に嫁ぎました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 捕らえられた #大橋訥庵 は約半年の投獄生活の後、病気を理由に釈放され、その5日後に病死したと伝わります。当時の牢(ろう)は非常に環境が悪く、多くの人が収監中に病気になりました。釈放時に薬を渡した町奉行によって毒殺された、という説もあります。 #青天を衝け
こんばんは、#青天ナビ です。 故郷での物語もいよいよ佳境に入ってきました。 家族のこと、そして生き方… 栄一は、人生の大きな転機をむかえようとしています。 第11回「横濱焼き討ち計画」 まもなく、スタートです。 #青天を衝け
#青天ナビ】 この「#神託」は、横濱焼き討ち計画の決起文。#惇忠 の筆による実物です。自分たちを「神兵」と呼び、神のお告げのような形式で荒々しい決意がしたためられています。 #青天を衝け
#青天ナビ#将軍後見職 は将軍が病弱であったり、幼少の場合に置かれた臨時職。家茂は13歳で将軍に就任したことから、薩摩の後押しもあり、徳川慶喜が任命されました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 将軍・家茂の上洛前に京に入った #慶喜 ですが、一橋家の家臣は少ないため、兄である水戸藩主の慶篤にも上洛が命ぜられました。慶篤とともに上洛した #武田耕雲斎 は、慶喜自身から頼まれ、慶喜のもとに留まって相談役を務めることになりました。 #青天を衝け
#青天ナビ】 栄一が酒を酌み交わしながら小四郎をいさめたのは史実に残るエピソード。栄一は小四郎のことを「年少なれども才気煥発(さいきかんぱつ)で実に愉快な畏友(いゆう)」と表現しています。 #青天を衝け
#青天ナビ】 市郎右衛門に勘当を願い出た栄一は、「国が滅亡するような危機に、自分は百姓だからと傍観してはいられない」と熱い思いを語りました。夜通しの説得ののち、市郎右衛門は栄一の思いを受け入れたと伝わります。 #青天を衝け
こんばんは、#青天ナビ です。 今日で、血洗島編がクライマックスを迎えます。 栄一たちの計画の行方はいかに。 第12回「栄一の旅立ち」 まもなく、スタートです。 #青天を衝け
#青天ナビ#栄一#円四郎 と出会うきっかけを作ったのは、 #川村恵十郎。恵十郎が一橋家の人材を探していたところ、栄一と喜作に出会いました。ふたりと話し込んだ日の恵十郎の日記には、栄一と喜作は「真之攘夷家」と表現されています。 #青天を衝け
#青天ナビ#横浜焼き討ち計画 を決死の思いで止めた #長七郎。長七郎の号泣する姿に周囲は驚いたといいます。「栄一と長七郎は、お互いを刺し違えて死ぬほどの覚悟で対じし、激論は2日間に及んだ」と記録に残っています。 #青天を衝け
#青天ナビ#慶喜 は将軍・家茂の上洛に備えて一度陸路で京へ入りましたが、1か月後、生麦事件の償金問題の交渉のため江戸に帰りました。半年後、今度は円四郎たちと海路で京に入り、朝廷参与を命ぜられます。江戸と京の行き来に忙しかった慶喜ですが、以降活躍の場を京に移します。 #青天を衝け
#青天ナビ#順動丸(じゅんどうまる) は、幕府がイギリスから15万ドルで購入した蒸気輸送船。元の名はジンギー号で、この名前に似せて、松平春嶽が順動丸と名付けたのだとか。勝麟太郎(勝海舟)が愛用し、徳川家茂や坂本龍馬もこの船に乗りました。 #青天を衝け