最近は日本では焼畑が復活しているところも多い。 焼畑は肥料や農機が不要で、伐採・火入れの時期以外はそんなに人手もかからないメリットがあり、山間部の農業として見直されている。 日本には焼畑に纏わる伝統文化も継承している地域もある。 今、焼畑がアツい! #にいがたさくらの小話 その54改
英語圏の人々や非英語圏の知識人層への影響は計り知れない。 冷戦期のアメリカは自国の文化を売り込むのに躍起になっていたが、このときに意図せず齎した大量の安価な本が売り込まれた国のアメリカ文化の受容に一役買ってるのかもしれない。 安価な本と侮るなかれ。 #にいがたさくらの小話 その295
三角形で絵を作るフィールドアートなども見事だ。 2022年11月15日で10周年を迎えるIngress。 これまで様々な遊びをやってきたし、これからもまだ知らない遊び方があるかもしれない。 様々な人が一緒にやるからゲームは面白い。 真剣にやってます。仕事じゃないので。 #にいがたさくらの小話 その300
そこでできたワインは国内外で賞を受賞するほどに成長。 戦後農地改革で敷地面積は減るが、現在でも牛久シャトーとしてワインを製造し、国内外で高い評価を得ている。また洋風の建物も人気で、ドラマのロケ地としても使われている。 傳兵衛の拘りは今でも生きている。 #にいがたさくらの小話 その301
日本側にも緑茶の定義の議論以前の態度を反省し、議決権を持つメンバーになる。 現在は抹茶の定義について、日本主導で国際規格化が進行中。規格ができれば、偽物を締め出せる。 国際規格には魂が宿る。 魂を吹き込む際にはそれに立ち会う必要があるのだ。 #にいがたさくらの小話 その309·茶ISO後編
こうして東京が首都になったが、首都を定める法律は現在もない。京都に配慮した結果、東西両都という形にしたからだ。 文化は京都、経済は大阪、政治は東京という形で明治政府はスタートした。 ちなみに現在の法律では東京が首都であることを前提とした法律はある。 #にいがたさくらの小話 その310
製氷会社として生まれ変わり、会社合併などの紆余曲折を経て、現在は冷凍食品でお馴染みのニチレイとなっている。 時代や売るものは変わっても、冷たいもので人々を温かい気持ちにしたいという思いは、今も当時と変わらないのだろう。 #にいがたさくらの小話 その87改
現在も、月刊ムーとコラボするなど、精力的に『キリストの墓』を推している。 キリストの墓の近くには、村人が作った売店『キリストっぷ』でキリストグッズを売っている。 真実なんてどうでもいい。 村に人が来てくれるなら、偽物だろうが本物より価値があるのだ。 #にいがたさくらの小話 その96改
1927年に65歳で亡くなり、その後会社は1950年に潰れる。 だが、彼が日本の電機業界に残した業績は大きい。乾電池という言葉も彼が名付け親とされる。 彼の情熱の詰まった乾電池。液漏れしないように管理したいものだ。 #にいがたさくらの小話 その320
ゴンザは1739年に21歳で亡くなる。 彼の没後は日本語教育が下火になるが、新たな日本人漂流民が発見され、モスクワへ送られて講師となり、存続していたという。 ちなみに彼らの出身は、現在の青森岩手。 薩摩訛りの次は南部訛りだ。 #にいがたさくらの小話 その115改
現在、地球温暖化の『悪玉』となっている石炭火力。 だが、前述の火力発電所では現在、CO2排出削減のための最新設備を導入し、将来的には地中に埋める計画が推進中だ。 40数年前に受けた逆風と同じ。 彼らは黙々と技術を示していくのだろう。 #にいがたさくらの小話 その141改
漁師たちは、賭けに勝った。 豊かなホタテと安定した養殖手法を手に入れた彼らは盤石となった。 ただし、漁師になれるのは限られた人だけ。貝柱の加工工場は最低賃金のままで人手不足だそうだ。 この富を次は何に活かすのか。 それがこれからの課題だろう。 #にいがたさくらの小話 その326
市役所の熱意に押され、ふるさと納税の返礼品になると、さらにネットで火がつく。 ネタではなく、ガチな需要も発生。一時はSNSに投稿が相次いだという。 むつ市長も認めたホタテ水着。 陸奥湾のホタテは、美味しい。 食べる以外でも、2度美味しいのだ。 #にいがたさくらの小話 その327
この事象は大学の技術者倫理の授業でほぼ必ず登場する有名な事故。 登場人物の誰かを「悪」として批難することは容易だが、事故を防ぐのは難しい。 物事を短絡的に捉えて、「悪」を糾弾するだけの人間は、この登場人物の誰に成り代わっても事故は防げないだろう。 #にいがたさくらの小話 その336
このマニ車もガチもんの関係者によって作られているので、法力も半端ない。 民族学に興味ある人はぜひ行ってほしい。 興味がない人はメシを食うだけでも楽しめるので、行ってほしい。 ちなみに屋内の常設展は開館以来ほぼ変わってないので、ちょっと怖い。 #にいがたさくらの小話 その338
スプレもんに限らず、ロボコンには若き技術者のアイデアが詰まっている。 特にルールのQ&Aは必見だ。 そんなことまで考えるの?というのは、ロボコニストにとっては褒め言葉。 回答する方も大変だろうな。 わたしも昔やってましたけど。 #にいがたさくらの小話 その99改
現在では、それらの若者が歳を取ってしまったり、日本酒の銘柄の多様化によって売上は落ちているが、日本酒業界は若者だけでなく海外への布教にも力を入れている。 日本酒業界はさらなるイノベーションを起こせるか。 これからの日本酒業界にも注目したい。 #にいがたさくらの小話 その344
今でも明治の看板商品である明治ブルガリアヨーグルト。 製法もさらにまろやかになるように日々改良が続けられている。 ネーミングに拘ったからこそ、今でも当時の本気度が続いているのだろう。 #にいがたさくらの小話 その347
その後の不況により、バスクリン事業はツムラから独立。 本家から冷たくされても、俺達で温まっていこう。それがバスクリンの使命なのだから。 更に多様化する現代社会に合わせ、様々な所とコラボしながら、彼らは今でも世界中の風呂に溶け込んでいる。 #にいがたさくらの小話 その349
更に家の設計までやっている。 黍殻を使って間取りを設計したそうだ。 暑がりだった彼が風通しに極振りした設計になっている。 ただし、目が視えない彼が設計したので、明かり採りが全く考慮されていないらしい。 現存して、土日は開放している。 #にいがたさくらの小話 その350
コカ・コーラを心待ちにしていた道民も愛想を尽かし、ガラナを飲む。 こうして北海道に定着したガラナは、3年後のコカ・コーラ上陸以降も生き残れたのだ。 当時の思いが現代まで受け継がれているかはわからないが、ガラナは今日も北の大地で飲まれている。 #にいがたさくらの小話 その163改
日本は江戸時代前期、ガチガチの鎖国状態。 そんなことはつゆ知らず、デンベイにロシア語をロシア人に日本語を学ぶよう指示。 だが、まだまだ航海技術が未発達な時代。 ロシア極東もまだまだ未知な場所が多かった。 ロシア人が日本にくるのはだいぶ先となる。 #にいがたさくらの小話 その33改
この後地元に帰った彼らは、多くを語らなかった。 幕府に他言するなと厳命されていたのもあるが、元々の知識が乏しかったため情報がオーバーフローしてしまったこともあるだろう。 だが彼らが皇帝から賜った上着は現在も地元で大切に保管されている。 #にいがたさくらの小話 その361
現在様々な國やメーカーで折る刃式カッターが作られているが、刃の世界規格は当時開発者が試行錯誤をして導いた寸法がベース。 製造業が海外に移転する時代を経た今でもOLFAはずっと日本製に拘る。 試行錯誤して切り拓いたカッターという製品の品質を守るために。 #にいがたさくらの小話 その364
どれだけ電子情報技術が発展しようと、コンテナを使った物流の仕組み自体は不変。 21世紀現在の港湾はクレーンなどの自動化をますます進め、更なる物流コスト低減に努めている。 なお、日本ではクレーン職人の腕が凄すぎるため、自動化があまり進んでないらしい。 #にいがたさくらの小話 その162改