1
2
方言は心の底から出てくる言葉だ
ぴったりハマる標準語訳がない場合も多く、単純に標準語に置き換えれば済むという話ではない
国語の研究でも人命救助に携わることはできるのだ
ちなみに『東北方言オノマトペ用例集』は以下からDL可能です
www2.ninjal.ac.jp/past-publicati…
#にいがたさくらの小話 その396
3
現在の十和田市は郊外に広がる美しい田園風景、中心街は碁盤の目状の美しい街並み、そして現代アートの美術館がある青森県第4の街だ
幕末の開拓初期から美しいものを根付かせたからこそ、現代美術館が受け入れられたのだろう
#にいがたさくらの小話 その146改
4
その後、日本ガイシとして分離独立し、がいしだけでなくエンジン用スパークプラグ等セラミック分野へ裾野を広げる。
現在では様々な特殊材料を扱う企業として、業界をリードする存在となっている。
熱い思いがなければ、新しい技術を手に入れることは出来ないのだ。
#にいがたさくらの小話 その394
5
梱包とは、商品の価値をも向上させる物。
それにいち早く気づき、生涯を賭して人々に伝えたことに彼の功績はある。
ちなみに現在、米俵の内容量は60kg(4斗)だが、これはこのときの運動の中で、次第に統一されたもので、今の米袋(30kg)にもつながっている。
#にいがたさくらの小話 その392
6
贋金作りに関わった人々は多い。
武士だけでなく商人達も大勢居た。
製造担当は全ての人々へ罪が波及しないように切腹して責任を取った。
罪の波及を恐れたため、大規模な事件にも関わらず史料があまり残されていない。
贋金を作った洞穴は現在も残されている。
#にいがたさくらの小話 その66改
7
こうして完成した砂時計は砂暦と名付けられ、サンドミュージアムに設置。
後に、漫画やドラマ、映画の舞台になるなど、大田市仁摩町を代表する施設として成長。
2016年にはギネスにも認定された。
完成から32年。砂時計は現在も、町の風景の一部として時を刻んでいる
#にいがたさくらの小話 その390
8
こうして導入されたコーヒーは1855年の宗谷警備で飲まれた。
極寒の地で淹れられたため、浅煎りで粉も混じった一杯だったと想像される。
その条件では、ビタミンCが吸収される割合が飛躍的に高まるらしい。
偶然に偶然が重なり、コーヒーによって命は救われたのだ。
#にいがたさくらの小話 その389
9
幕末には黒船来航情報も伝達。
明治に入り、電信技術が入っても暫くは使われていた。最新技術である電話電信は高く、回線が詰まって遅かったからだ。
ちなみに旗振り通信の弱点は天候。
その時は米飛脚を使っていたという。
いつの世も情報は鮮度が命。
#にいがたさくらの小話 その184改
10
現在もわずかに農民車が作られているが、最近は部品が不足している。
電子制御が進んだエンジンは転用不可だし、中古車自体海外に輸出されているからだ。
だが、淡路島の農民車は文化。
最近は若者が独創的な農民車を作っているらしい。
時代は変わる。良くも悪くも
#にいがたさくらの小話 その386
11
その後乗組員達を引き渡しても、住民達は彼らを思い、次の年からロシア祭りをすることにした。
戦争や担い手不足などいくつかの中断はあったものの、2022年現在まで続く。
文化や主義は違えど相手も人間。
人助けの話はこれからも語り継がれるだろう。
#にいがたさくらの小話 その383
12
1984年にからし蓮根の真空パックによる集団食中毒事件が起きてからは一旦下火となってしまうが、組合を結成し、店の衛生管理等を徹底。
現在も熊本名物として君臨。
からし蓮根はツマミとして食べることもあるので、この話はいい酒の肴になると思う。
#にいがたさくらの小話 その164改
13
今でも神子原地区の農産物直売所に行くと、ローマ法王の名前が踊る。
絶大なブランド力は、常識に囚われては獲得できないのだ。
#にいがたさくらの小話 その60改
14
戊辰戦争では新政府軍に参加。
彼らが作ったアームストロング砲による城の破壊は、古い時代を新しい時代が壊す象徴ともなった。
新時代を迎えるには、相当の準備とトップのリーダーシップ、そして狂おしいまでの情熱が必要なのだ。
#にいがたさくらの小話 その76改
15
そんなこんなで戦地に投入された興亜一心刀が、戦車や砲弾が支配する近代戦においてどれほど活躍したのかはわからない。
だが、日本刀は魂。精神的な拠り所にはなった。
戦後は美術品でもない上に日本刀のカテゴリからも外されたので、その殆どが消えてしまった。
#にいがたさくらの小話 その21改
16
鉱山の中はトロッコではなくダンプが行き交い、効率的な採掘がなされている。
なおこの鉱山、金鉱石と同時に温泉が出まくるため、ポンプを使って麓の温泉地に送られる。
金と同時に出てきた温泉に浸かって黄金の国ジパングに思いを馳せてみてはどうだろう。
#にいがたさくらの小話 その57改
17
ベトナムを愛している
ホンダベトナムのスローガンだ。
大量のシェア獲得後も、ベトナムに寄り添った。
排ガス処理や車種の拡充、社会貢献により、ベトナムを愛した。
欠点は見た目がダサいと思う派がいるくらいで、そういう層はヤマハを買っている。
日本と同じだ
#にいがたさくらの小話 その371
18
現在もパエリアやリゾット等用の米を作っている南欧。
パスタと同じ感覚で茹でているため、日本とは異なる米文化となっている。
現在のEUの稲作は安い東南アジア産に価格で負けるが、生態系の保護などの水田の価値によって守られているそうだ。
#にいがたさくらの小話 その55改
19
どれだけ電子情報技術が発展しようと、コンテナを使った物流の仕組み自体は不変。
21世紀現在の港湾はクレーンなどの自動化をますます進め、更なる物流コスト低減に努めている。
なお、日本ではクレーン職人の腕が凄すぎるため、自動化があまり進んでないらしい。
#にいがたさくらの小話 その162改
20
現在様々な國やメーカーで折る刃式カッターが作られているが、刃の世界規格は当時開発者が試行錯誤をして導いた寸法がベース。
製造業が海外に移転する時代を経た今でもOLFAはずっと日本製に拘る。
試行錯誤して切り拓いたカッターという製品の品質を守るために。
#にいがたさくらの小話 その364
21
この後地元に帰った彼らは、多くを語らなかった。
幕府に他言するなと厳命されていたのもあるが、元々の知識が乏しかったため情報がオーバーフローしてしまったこともあるだろう。
だが彼らが皇帝から賜った上着は現在も地元で大切に保管されている。
#にいがたさくらの小話 その361
22
日本は江戸時代前期、ガチガチの鎖国状態。
そんなことはつゆ知らず、デンベイにロシア語をロシア人に日本語を学ぶよう指示。
だが、まだまだ航海技術が未発達な時代。
ロシア極東もまだまだ未知な場所が多かった。
ロシア人が日本にくるのはだいぶ先となる。
#にいがたさくらの小話 その33改
23
コカ・コーラを心待ちにしていた道民も愛想を尽かし、ガラナを飲む。
こうして北海道に定着したガラナは、3年後のコカ・コーラ上陸以降も生き残れたのだ。
当時の思いが現代まで受け継がれているかはわからないが、ガラナは今日も北の大地で飲まれている。
#にいがたさくらの小話 その163改
24
更に家の設計までやっている。
黍殻を使って間取りを設計したそうだ。
暑がりだった彼が風通しに極振りした設計になっている。
ただし、目が視えない彼が設計したので、明かり採りが全く考慮されていないらしい。
現存して、土日は開放している。
#にいがたさくらの小話 その350
25
その後の不況により、バスクリン事業はツムラから独立。
本家から冷たくされても、俺達で温まっていこう。それがバスクリンの使命なのだから。
更に多様化する現代社会に合わせ、様々な所とコラボしながら、彼らは今でも世界中の風呂に溶け込んでいる。
#にいがたさくらの小話 その349