しかし、臆することなくその金額ならいらんからロシアに持って帰れ、と指摘。輸送費も馬鹿にならない。こうしてロシアからも購入に成功。 こうしてガチな展示物が並ぶ博物館になったのだ。 ちなみに当初目的だったUFOの話は申し訳程度に展示してある。 #にいがたさくらの小話 その58
こうして明治農法と名付けられ、全国展開した農法により、水田の反収は飛躍的に進化を遂げた。 この後、日本の農学は確立し、品種改良や化学肥料等が普及していくわけだ。 ドイツの科学は世界一と日本の伝統を混ぜ合わせて僕らの祖先はコメを作っていたのだ。 #にいがたさくらの小話 その90
こうして伝説になった升田幸三。現在の将棋の戦法にも彼の痕跡が残っているほど盤上でも活躍した。 永世タイトルに恵まれなかった彼に将棋連盟は「実力制第4代名人」という称号を与えた。 ちなみに彼の弟子には株主優待で有名な桐谷さんがいる。今は平和で何よりだ。 #にいがたさくらの小話 その119
こうして完成した佐久間ダムにより、現代土木技術が培われその後の様々なダム建設に繫がっていく。 1956年の竣工から今まで、首都圏と中京圏に電力を供給し続ける佐久間ダム。 ちなみに電力系統は東西で周波数が違うので融通が難しいが、佐久間は両方で発電可能だ。 #にいがたさくらの小話 その145
新芽が出た。桜は開花しなかったが、生きていた。 そして昭和45年ダム完成から10年後、かつての新芽は枝となり、花開いた。 旧住民たちも集まり、満開の桜と満面の笑みを桜博士は見届けた。 今は有名な桜の名所である荘川桜には、人々のアツい思いが詰まっている。 #にいがたさくらの小話 その157
幕末にはロシアなど各国に輸出されたコンプラ瓶をだが、この可愛らしい形と欧州の日本趣味が合わさり、ヨーロッパでは空瓶に花を活けたりと、オシャレアイテムとして使われたそうだ。 今でも欧州ではアンティーク品として瓶が取引されているらしい。 #にいがたさくらの小話 その167醤油輸出·前編
アメリカに工場を作ったら次はヨーロッパ、そしてアジアへと展開。 大事にしているのは今でも、地元料理に溶け込むこと。和食が世界に普及した今でも、その地域に愛されることが、普及のカギだという。 調味料は主役ではない。 地元料理が主役なのだ。 #にいがたさくらの小話 その168醤油輸出·後編
現代では、かつてのようなギンギラギンな出で立ちではなくなったが、アニメがデザインされていたり、故郷の風景が描かれていたりと、独自の進化を遂げている。 オタク文化とヤンキー文化は意外とマッチしやすいのかも? #にいがたさくらの小話 その169
1957年に帰国するまでの台湾農業改善による台湾経済への効果は大きい。 農家の収入は増え、蓬莱米輸出による外貨獲得、それによる工業への投資と、今の台湾の発展の根源を生み出したといっても過言ではない ちなみに台湾ビールにも蓬莱米が入っている。台湾の命だ。 #にいがたさくらの小話 その31改
現代と比べて娯楽の少なかった江戸時代、出開帳は一躍ブームになったそうだ。 ちなみに道中の名古屋などでも出開帳を行われた形跡があるという。 江戸時代の庶民も我々とあんまり変わらないのかもしれない。 #にいがたさくらの小話 その187
こうして途上国での穀物生産は急増し、人々は飢餓から開放されたが、功罪はある。 高い収穫量を得るには大量の肥料を必要とするため、高くて買えない人々との貧富の差を産んだり、塩類集積で使えない土地が出てきたり。 世界は解決しなければならない課題が山積みだ。 #にいがたさくらの小話 その196
コンクリートよりもしなるパネルのほうが風や地震の影響を受けにくいし、塗装もいらないので、メンテナンスコストも安い。 パネル自体も最近は様々な材料が使われており、直射日光の影響も緩和するものもあるようだ。 カッコよくしたいわけではなかったのだ。 #にいがたさくらの小話 その197
現在のプリキュアで19作目。 作品によってジェンダーや働き方、絆や宇宙、そして食事など、テーマは様々だが、女の子だって暴れたいというコンセプトは継続し、現在も人気を博している。 ちなみにプリキュアが何人居るかを問うのは愚問で、答えは70億人以上だ。 #にいがたさくらの小話 その200
彼の死後、英語など様々な言語に訳され、当時の百科事典にも引用された。オランダ語訳を通して江戸後期には日本語にも翻訳されていた。 シーボルトも来日前に読んでいたらしく、彼もドイツ人なので、怪しまれた際に山オランダ人と答えたらしい。 先人の知恵である。 #にいがたさくらの小話 その207
この望遠鏡は幕府の天文方だけでなく、様々な人たちへも広まる。裕福な町人も望遠鏡を買えたらしい。 伊能忠敬も測量のため、この望遠鏡を持ち運んでいたという。 なお、この後技術革新があり、江戸後期には更に高性能な望遠鏡が鉄砲鍛冶により作られることになる。 #にいがたさくらの小話 その209
もぐり対策としては、幕府による公認。免許制が取られ、江戸のお玉ヶ池種痘所などが公認されている。 江戸後期の予防接種はこうして普及していった。 ちなみに迷信では接種すると牛の角が生えるとか言われてたそうだ。 現代でも似たような事を言ってる人もいるなぁ。 #にいがたさくらの小話 その216
現在でも更にカニに近づけるために研究を行っており、農林水産大臣賞も受賞している。 ちなみに研究員は毎年、最高級のカニを皆で食べ、この味と同じにしたいという意思を醸成している。 そこに本物になろうという意思があるだけ、偽物のほうが本物よりも本物だ。 #にいがたさくらの小話 その221
だが明治後期を境に化学合成された安価な藍に押され、昭和中期には最盛期の1万分の1にまで減少。現在は天然素材が持つ色合いと伝統で徐々に回復している。 世界的にも特殊な製造方法の藍だが、高価なため輸出実績はないらしい。 ジャパンブルーの未来に期待したい。 #にいがたさくらの小話 その228
粉を振りかけるから粉を埋め込む方式、菌糸自体の純粋培養など技術も進歩した。 昭和17年に発明された種駒によって栽培方式が完全に確立。 種駒の開発者もガチャ爆死した農夫を憂い開発を志したという。 美味しい椎茸の裏には悲しい爆死の歴史があったのだ。 #にいがたさくらの小話 その268椎茸·後編
藩主を擁護する直訴は前代未聞。幕府役人も江戸市民も庄内農民に同情的になる。仙台藩主伊達斉邦も幕府中枢に苦言を呈す程。 命令を出していた11代将軍家斉が死去すると、幕府は命令を撤回。村々では勝利の宴が繰り広げられた。 江戸期の転封撤回はこの1件だけだ。 #にいがたさくらの小話 その62改
戦後シアトルに戻った日系人は米国社会に完全に溶け込んだが、現在でも宇和島屋という北米最大の日本食スーパーの本店があるなど、日本との関係は深い。 ちなみに、かつてシアトル・マリナーズに在籍していた城島健司も移籍の決め手はこの宇和島屋だったそうだ。 #にいがたさくらの小話 その286
マラッカ海峡の海賊は減少傾向だが、まだ治安に不安がある。マラッカ海峡が通れなければロンボク海峡を通るが1600km以上も遠回りだ。 タイの一番細いところに運河を作る話もあるが、出ては消えの状態で実現には程遠い。 マラッカ海峡の重要性は千年以上変わらないのだ #にいがたさくらの小話 その287
学校では英語、家では島独特の混ざった日本語と使い分けた結果、また見るよ(see you again)のような英語の影響が残る言葉使いだったそうだ。 現在ではほぼ消滅したが、独自の文法を持つ日本語方言の一つとして辞典に残る。 世界自然遺産・小笠原諸島は、文化も遺産だ #にいがたさくらの小話 その6改
この報告書No.25が太平洋戦争や戦後政策に直接齎したものは不明だが、影響は多分にあるだろう。 また、文化には優劣はなく、タイプが異なるだけだという見方が一般に広まる契機にもなった。 文化とは相対的なものなのだ。という例として菊と刀を見てほしい。 #にいがたさくらの小話 その290
こうして日本商船隊は再建を果たし、1969年には英国商船隊を抜くほど復興を遂げる。 現在でも日本の商船隊は世界三位のシェアを持つほどの存在だ。 人は宝。政府に裏切られても強い組織を作ることが大切なのかもしれない。 #にいがたさくらの小話 その292