今でも明治の看板商品である明治ブルガリアヨーグルト。 製法もさらにまろやかになるように日々改良が続けられている。 ネーミングに拘ったからこそ、今でも当時の本気度が続いているのだろう。 #にいがたさくらの小話 その347
現在では、それらの若者が歳を取ってしまったり、日本酒の銘柄の多様化によって売上は落ちているが、日本酒業界は若者だけでなく海外への布教にも力を入れている。 日本酒業界はさらなるイノベーションを起こせるか。 これからの日本酒業界にも注目したい。 #にいがたさくらの小話 その344
スプレもんに限らず、ロボコンには若き技術者のアイデアが詰まっている。 特にルールのQ&Aは必見だ。 そんなことまで考えるの?というのは、ロボコニストにとっては褒め言葉。 回答する方も大変だろうな。 わたしも昔やってましたけど。 #にいがたさくらの小話 その99改
このマニ車もガチもんの関係者によって作られているので、法力も半端ない。 民族学に興味ある人はぜひ行ってほしい。 興味がない人はメシを食うだけでも楽しめるので、行ってほしい。 ちなみに屋内の常設展は開館以来ほぼ変わってないので、ちょっと怖い。 #にいがたさくらの小話 その338
この事象は大学の技術者倫理の授業でほぼ必ず登場する有名な事故。 登場人物の誰かを「悪」として批難することは容易だが、事故を防ぐのは難しい。 物事を短絡的に捉えて、「悪」を糾弾するだけの人間は、この登場人物の誰に成り代わっても事故は防げないだろう。 #にいがたさくらの小話 その336
市役所の熱意に押され、ふるさと納税の返礼品になると、さらにネットで火がつく。 ネタではなく、ガチな需要も発生。一時はSNSに投稿が相次いだという。 むつ市長も認めたホタテ水着。 陸奥湾のホタテは、美味しい。 食べる以外でも、2度美味しいのだ。 #にいがたさくらの小話 その327
漁師たちは、賭けに勝った。 豊かなホタテと安定した養殖手法を手に入れた彼らは盤石となった。 ただし、漁師になれるのは限られた人だけ。貝柱の加工工場は最低賃金のままで人手不足だそうだ。 この富を次は何に活かすのか。 それがこれからの課題だろう。 #にいがたさくらの小話 その326
現在、地球温暖化の『悪玉』となっている石炭火力。 だが、前述の火力発電所では現在、CO2排出削減のための最新設備を導入し、将来的には地中に埋める計画が推進中だ。 40数年前に受けた逆風と同じ。 彼らは黙々と技術を示していくのだろう。 #にいがたさくらの小話 その141改
ゴンザは1739年に21歳で亡くなる。 彼の没後は日本語教育が下火になるが、新たな日本人漂流民が発見され、モスクワへ送られて講師となり、存続していたという。 ちなみに彼らの出身は、現在の青森岩手。 薩摩訛りの次は南部訛りだ。 #にいがたさくらの小話 その115改
1927年に65歳で亡くなり、その後会社は1950年に潰れる。 だが、彼が日本の電機業界に残した業績は大きい。乾電池という言葉も彼が名付け親とされる。 彼の情熱の詰まった乾電池。液漏れしないように管理したいものだ。 #にいがたさくらの小話 その320
現在も、月刊ムーとコラボするなど、精力的に『キリストの墓』を推している。 キリストの墓の近くには、村人が作った売店『キリストっぷ』でキリストグッズを売っている。 真実なんてどうでもいい。 村に人が来てくれるなら、偽物だろうが本物より価値があるのだ。 #にいがたさくらの小話 その96改
製氷会社として生まれ変わり、会社合併などの紆余曲折を経て、現在は冷凍食品でお馴染みのニチレイとなっている。 時代や売るものは変わっても、冷たいもので人々を温かい気持ちにしたいという思いは、今も当時と変わらないのだろう。 #にいがたさくらの小話 その87改
こうして東京が首都になったが、首都を定める法律は現在もない。京都に配慮した結果、東西両都という形にしたからだ。 文化は京都、経済は大阪、政治は東京という形で明治政府はスタートした。 ちなみに現在の法律では東京が首都であることを前提とした法律はある。 #にいがたさくらの小話 その310
日本側にも緑茶の定義の議論以前の態度を反省し、議決権を持つメンバーになる。 現在は抹茶の定義について、日本主導で国際規格化が進行中。規格ができれば、偽物を締め出せる。 国際規格には魂が宿る。 魂を吹き込む際にはそれに立ち会う必要があるのだ。 #にいがたさくらの小話 その309·茶ISO後編
そこでできたワインは国内外で賞を受賞するほどに成長。 戦後農地改革で敷地面積は減るが、現在でも牛久シャトーとしてワインを製造し、国内外で高い評価を得ている。また洋風の建物も人気で、ドラマのロケ地としても使われている。 傳兵衛の拘りは今でも生きている。 #にいがたさくらの小話 その301
三角形で絵を作るフィールドアートなども見事だ。 2022年11月15日で10周年を迎えるIngress。 これまで様々な遊びをやってきたし、これからもまだ知らない遊び方があるかもしれない。 様々な人が一緒にやるからゲームは面白い。 真剣にやってます。仕事じゃないので。 #にいがたさくらの小話 その300
英語圏の人々や非英語圏の知識人層への影響は計り知れない。 冷戦期のアメリカは自国の文化を売り込むのに躍起になっていたが、このときに意図せず齎した大量の安価な本が売り込まれた国のアメリカ文化の受容に一役買ってるのかもしれない。 安価な本と侮るなかれ。 #にいがたさくらの小話 その295
最近は日本では焼畑が復活しているところも多い。 焼畑は肥料や農機が不要で、伐採・火入れの時期以外はそんなに人手もかからないメリットがあり、山間部の農業として見直されている。 日本には焼畑に纏わる伝統文化も継承している地域もある。 今、焼畑がアツい! #にいがたさくらの小話 その54改
こうして日本商船隊は再建を果たし、1969年には英国商船隊を抜くほど復興を遂げる。 現在でも日本の商船隊は世界三位のシェアを持つほどの存在だ。 人は宝。政府に裏切られても強い組織を作ることが大切なのかもしれない。 #にいがたさくらの小話 その292
この報告書No.25が太平洋戦争や戦後政策に直接齎したものは不明だが、影響は多分にあるだろう。 また、文化には優劣はなく、タイプが異なるだけだという見方が一般に広まる契機にもなった。 文化とは相対的なものなのだ。という例として菊と刀を見てほしい。 #にいがたさくらの小話 その290
学校では英語、家では島独特の混ざった日本語と使い分けた結果、また見るよ(see you again)のような英語の影響が残る言葉使いだったそうだ。 現在ではほぼ消滅したが、独自の文法を持つ日本語方言の一つとして辞典に残る。 世界自然遺産・小笠原諸島は、文化も遺産だ #にいがたさくらの小話 その6改
マラッカ海峡の海賊は減少傾向だが、まだ治安に不安がある。マラッカ海峡が通れなければロンボク海峡を通るが1600km以上も遠回りだ。 タイの一番細いところに運河を作る話もあるが、出ては消えの状態で実現には程遠い。 マラッカ海峡の重要性は千年以上変わらないのだ #にいがたさくらの小話 その287
戦後シアトルに戻った日系人は米国社会に完全に溶け込んだが、現在でも宇和島屋という北米最大の日本食スーパーの本店があるなど、日本との関係は深い。 ちなみに、かつてシアトル・マリナーズに在籍していた城島健司も移籍の決め手はこの宇和島屋だったそうだ。 #にいがたさくらの小話 その286
藩主を擁護する直訴は前代未聞。幕府役人も江戸市民も庄内農民に同情的になる。仙台藩主伊達斉邦も幕府中枢に苦言を呈す程。 命令を出していた11代将軍家斉が死去すると、幕府は命令を撤回。村々では勝利の宴が繰り広げられた。 江戸期の転封撤回はこの1件だけだ。 #にいがたさくらの小話 その62改
粉を振りかけるから粉を埋め込む方式、菌糸自体の純粋培養など技術も進歩した。 昭和17年に発明された種駒によって栽培方式が完全に確立。 種駒の開発者もガチャ爆死した農夫を憂い開発を志したという。 美味しい椎茸の裏には悲しい爆死の歴史があったのだ。 #にいがたさくらの小話 その268椎茸·後編