・沢伝いの廃郵便局 四国山地の山深い集落に残る、郵便局舎の跡。昭和後期に廃止され、小さな業務室の壁には「清浄」と書かれた琺瑯看板や昭和50年頃の郵便貯金販促ポスターなどが貼られたまま。屋根に草が茂った木造の建物の背後からは深い蒼を湛えた四国の山と清流が響き続ける。 281/365 #斜陽暦
・トクサの龍 岐阜県のとある峠で、龍が飛び出た蔵を見かけた。まるで壁から突き抜けたようなそれは、かつて左官職人がコテと漆喰で作った鏝絵だ。ふつう鏝絵はレリーフ程度だが、これほど立体的な造形のものは珍しく、作った人は相当腕が良かったと思われる…というわけで探した(続) 273/365 #斜陽暦
ある山奥の谷間にかかる藤花の橋。病気で体が不自由になった旦那さんのため、奥さんが家から見える位置に藤を植えたものがこうなったのだとか。別の用事で向かった集落で、現地の人に教えてもらった場所なのだが、こんなに雨が似合う風景もないと思えた。 262/365 #斜陽暦
とある農村部を歩いていると、見慣れない円型郵便ポストを見かけた。住人に訊ねると、戦争が激化した昭和10年代、金属不足のため陶器などで製造された「代用品」の一種で、当時の逓信省がコンクリートで作ったポストだと語られた。しかも、現役のものは国内でこれが唯一なのだと…。 232/365 #斜陽暦
徳島県は阿波市のある自動販売機コーナーには、ボンカレーの自動販売機が存在する。しかも現役だから衝撃的である(つい最近までこれが国内最後の稼働筐体だったとか)。昔は街道沿いに、こういった自販機と食品を取り扱うコーナーがよくあったが、年々数を減らしている。(続) 228/365 #斜陽暦
関東地方のとある山間部に残る、ひと気のないお寺。そのお堂の奥へ向かう階段には、人の体や腕、脚の形をした金属製の人形(ヒトガタ)が並ぶ異様な光景がある。雨が降りしきる暗い森の中では恐ろしさすら覚えるが、これは参拝者が体の健康や快癒を願って奉納したものだ。 208/365 #斜陽暦
・百年前の可動橋 瀬戸内海の、かつて塩田が広がっていた海辺を通った時のこと。河口付近に、老朽化で中央部が崩れ落ちたような廃橋が残る姿が目に留まった。近くで作業をしていた漁師さんに話を訊くと、「この橋は崩れたんじゃない。もとから繋がってないんだ」と語り始めた(続) 196/365 #斜陽暦
・鬼追わぬ村 節分。鬼にはつらい一日だが、一部では節分でも鬼を追わない土地もある。青森県西部の旧鬼沢村も節分に豆まきをしない。なぜならこの村で鬼は神様であり、「鬼神社」という鬼を祀る社があるからだ。なぜ鬼が神なのか…。これは青森県弘前市鬼沢集落を訪ねた話です(続) 156/365 #斜陽暦
ある山中の温泉街。「この先に本当に温泉街なんてあるのか」と心配するほどの暗い山道の先に、赤い提灯が並ぶ小さな温泉街が確かにあった。その日は平日。昼間はずっと雨が降っていた。月明かりと赤い光の中に沈んだような沢沿いの温泉街には人一人歩いていない。…異界だ、ここは。 152/365 #斜陽暦
旧国鉄士幌線に残る鉄道橋梁跡。このような場所をかつて汽車が走っていたと思うと、北海道開拓の辛苦と自然の壮大さが偲ばれる。 112/365 #斜陽暦
・徴兵保険の話 ある川沿いの民家に残るブリキ板には「徴兵保険」なる文字が書いてある。かつて日本には徴兵保険という民間保険があり、入っておくと被保険者の徴兵時に保険金が下りた。これはその当時の看板というわけだが、つまりは少なくとも70年は経過しているというわけで…。 110/365 #斜陽暦
「都会の孫に故郷の風景画を」 過疎地らしい悲しい売り文句だ。けど、孫世代にとってそこはすでに「故郷」ではなく、親に連れられて行った先の「異郷」だ。大きな木造家屋や長いお葬式なんかがある「懐かしい土地」だ。そして彼らは先祖たちの故郷へはほとんど戻らない。悲しい…。 62/365 #斜陽暦
・御旅宿 月屋 「京町屋に住んでみたい…」そんな願望を叶えてくれた、京都市中心部の路地にある宿。築80年以上経過した京町屋を再利用しており、特に通りに面した2階の小部屋は天井が斜めで、虫籠窓という漆喰塗り格子窓の素敵空間。戦前期の下宿生になった気分で泊まる一夜だった。 49/365 #斜陽暦