・鬼追わぬ村 節分。鬼にはつらい一日だが、一部では節分でも鬼を追わない土地もある。青森県西部の旧鬼沢村も節分に豆まきをしない。なぜならこの村で鬼は神様であり、「鬼神社」という鬼を祀る社があるからだ。なぜ鬼が神なのか…。これは青森県弘前市鬼沢集落を訪ねた話です(続) 156/365 #斜陽暦
・トクサの龍 岐阜県のとある峠で、龍が飛び出た蔵を見かけた。まるで壁から突き抜けたようなそれは、かつて左官職人がコテと漆喰で作った鏝絵だ。ふつう鏝絵はレリーフ程度だが、これほど立体的な造形のものは珍しく、作った人は相当腕が良かったと思われる…というわけで探した(続) 273/365 #斜陽暦
ある山奥の谷間にかかる藤花の橋。病気で体が不自由になった旦那さんのため、奥さんが家から見える位置に藤を植えたものがこうなったのだとか。別の用事で向かった集落で、現地の人に教えてもらった場所なのだが、こんなに雨が似合う風景もないと思えた。 262/365 #斜陽暦
とある農村部を歩いていると、見慣れない円型郵便ポストを見かけた。住人に訊ねると、戦争が激化した昭和10年代、金属不足のため陶器などで製造された「代用品」の一種で、当時の逓信省がコンクリートで作ったポストだと語られた。しかも、現役のものは国内でこれが唯一なのだと…。 232/365 #斜陽暦
ある山中の温泉街。「この先に本当に温泉街なんてあるのか」と心配するほどの暗い山道の先に、赤い提灯が並ぶ小さな温泉街が確かにあった。その日は平日。昼間はずっと雨が降っていた。月明かりと赤い光の中に沈んだような沢沿いの温泉街には人一人歩いていない。…異界だ、ここは。 152/365 #斜陽暦
・御旅宿 月屋 「京町屋に住んでみたい…」そんな願望を叶えてくれた、京都市中心部の路地にある宿。築80年以上経過した京町屋を再利用しており、特に通りに面した2階の小部屋は天井が斜めで、虫籠窓という漆喰塗り格子窓の素敵空間。戦前期の下宿生になった気分で泊まる一夜だった。 49/365 #斜陽暦
関東地方のとある山間部に残る、ひと気のないお寺。そのお堂の奥へ向かう階段には、人の体や腕、脚の形をした金属製の人形(ヒトガタ)が並ぶ異様な光景がある。雨が降りしきる暗い森の中では恐ろしさすら覚えるが、これは参拝者が体の健康や快癒を願って奉納したものだ。 208/365 #斜陽暦
「都会の孫に故郷の風景画を」 過疎地らしい悲しい売り文句だ。けど、孫世代にとってそこはすでに「故郷」ではなく、親に連れられて行った先の「異郷」だ。大きな木造家屋や長いお葬式なんかがある「懐かしい土地」だ。そして彼らは先祖たちの故郷へはほとんど戻らない。悲しい…。 62/365 #斜陽暦
・徴兵保険の話 ある川沿いの民家に残るブリキ板には「徴兵保険」なる文字が書いてある。かつて日本には徴兵保険という民間保険があり、入っておくと被保険者の徴兵時に保険金が下りた。これはその当時の看板というわけだが、つまりは少なくとも70年は経過しているというわけで…。 110/365 #斜陽暦
・ゲストハウス醫(くすし) 瀬戸内海の離島、大崎下島の御手洗集落には昭和中期以前の古い街並みが今も姿を留めている。その路地奥に空色が美しい大正期の医院が残る。空き家になっていたこの旧越智医院は近年修復され、宿泊施設となった。そう、古い医院に泊まれるのだ(続) 306/365 #斜陽暦
・百年前の可動橋 瀬戸内海の、かつて塩田が広がっていた海辺を通った時のこと。河口付近に、老朽化で中央部が崩れ落ちたような廃橋が残る姿が目に留まった。近くで作業をしていた漁師さんに話を訊くと、「この橋は崩れたんじゃない。もとから繋がってないんだ」と語り始めた(続) 196/365 #斜陽暦
徳島県は阿波市のある自動販売機コーナーには、ボンカレーの自動販売機が存在する。しかも現役だから衝撃的である(つい最近までこれが国内最後の稼働筐体だったとか)。昔は街道沿いに、こういった自販機と食品を取り扱うコーナーがよくあったが、年々数を減らしている。(続) 228/365 #斜陽暦
旧国鉄士幌線に残る鉄道橋梁跡。このような場所をかつて汽車が走っていたと思うと、北海道開拓の辛苦と自然の壮大さが偲ばれる。 112/365 #斜陽暦
・神になった蛾 長野県内のとある神社にはカイコが彫られた石碑が立っている。長野や群馬などかつて養蚕業が盛んだった地域では、蚕の繭や養蚕具を神として祀る風習があり、「蚕玉神」と字を彫った石碑や女神像を立てて蚕の生育を願った。その中でも蚕そのものの石像は非常に珍しい。 307/365 #斜陽暦
六角形の空間がある廃医院。玄関と診察室の間にあり、ここから「入口」「診察室」「處置室」「藥局」「非常口」「便所」すべてへつながっている。辺鄙な土地の、昭和一桁台の木造建築であるがかなり先進的で機能的なデザイン。 285/365 #斜陽暦
・森に埋もれゆく廃校 北海道北部の大森林地帯。その真っ只中に、屋根の抜けた廃校がぽつんと残っている。今では森に還ったここにも当時20戸ほど住人がいた。だが昭和41年に住人は集団離村、先生2名だけが残され、冬以降は学校だけが一つ残された。どうしてそうなったのか(続) 315/365 #斜陽暦
・島の薬局 瀬戸内海、広島と愛媛の間に浮かぶ芸予諸島。その一つ、大崎下島の路地には資誠堂薬局という古い薬屋さんがある。急斜面と海の間に発達した迷路のような路地に、この建物の夕暮れはあまりに似合っている。お店のお婆さんに話を伺うと、島の思い出話に花が咲いた(続) 290/365 #斜陽暦
・森の中の廃発電所 四国山地の渓流に残る水力発電所の跡。廃止から50年以上経過し、建物は山の緑に飲まれつつある。1階がタービン室、両翼階段を挟んで2階が運転制御室。川の音、白い漆喰が塗られたコンクリートと蔦の緑のコントラストが「森の神殿」という言葉を想い起こさせる…。 312/365 #斜陽暦
・国道193号 先日、四国の方から「『四国山地らしさ』ってなんだと思います?」と訊かれた際、香川から徳島の剣山系を貫く四国の本気、国道193号がまっさきに思い浮かんだ。深山幽谷をうねる150㎞。岩盤を穿ったままの隧道、Ω型のカーブ…まるで国道とは思えない道が続くのだ(続) 324/365 #斜陽暦
高知県、四国山地のとある渓流の真ん中に座った超巨大な岩の上には小さな祠が立っている。対岸に注連縄が張られ、河原に降りる階段もあるが、岩へ辿りつくことはできない。四国にはこういう水神の岩が点在し、調べるとここも水の神様を祀った祠だったがけっこう危ない神様だった(続) 359/365 #斜陽暦
・旧殿居郵便局 山口県のゆったりとした農村部に残る擬洋風建築の郵便局舎。大正12年竣工。木造平屋に2階建ての八角塔屋が付属する瀟洒な雰囲気が特徴的。中国山地の赤い屋根瓦と田んぼが広がる土地に、淡いミント色のレトロな姿はのどかな風景にとても似合っているように見える。 320/365 #斜陽暦
・旧八百津(やおつ)発電所 かつて岐阜県の木曽川本流で運転していた煉瓦造モルタル塗りの巨大水力発電所。明治44年に完成し、昭和49年の廃止まで名古屋方面の電力を支え、その後資料館となる。巨大な白亜の空間に発電機が残る光景は圧巻だったが、平成30年から休館が続いている(続) 355/365 #斜陽暦
森に還る円形病院、夏と秋 317/365 #斜陽暦