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📖【五色(ごしき)の糸】
臨終者を極楽浄土へ導くとされる、青・黄・赤・白・黒の糸を縒り合わせたもの。十一話で後白河法皇が訪問した寂光院に安置された阿弥陀如来(あみだにょらい)の御手にも五色の糸がかけられており、現在も拝観することができます。
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📖【沙羅双樹(さらそうじゅ)】
初夏に椿に似た白い花を咲かせることから、日本では「夏椿」とも呼ばれています。一日花で、朝に開花すると夜には花ごとぼとりと落ちるのが特徴です。京都の妙心寺塔頭東林院が「沙羅双樹の寺」として知られています。
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📖【仏御前と祇王(ほとけごぜんとぎおう)】
仏御前は、祇王の推挙をきっかけに平清盛の寵愛を受けた白拍子です。かつて清盛の寵愛を集めた祇王は、母・妹と出家し尼に。その後仏御前も祇王を追って尼となりました。女性たちの静かな連帯が印象的に描かれるエピソードです。
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📖【大原 寂光院(じゃっこういん)】
現在の京都市左京区大原にある寺院。出家し建礼門院となった平徳子が、安徳天皇や平家一門を弔いながら終生を過ごした場所として知られています。1186年に後白河法皇が訪ねてき、その際に徳子は自らの人生を語ったといわれています。
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📖【一ノ谷(いちのたに)の戦い】
1184年3月20日に福原・須磨(現在の神戸市兵庫区・中央区・須磨区)で行われた合戦。源義経が鵯越(ひよどりごえ)を馬で下り、平氏の陣へ奇襲を仕掛けた有名なエピソード「鵯越の逆落とし」によって源氏が勝利しました。
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📖【禿(かぶろ)】
「髪がない」という意味で、現代でいうおかっぱ頭を指すものです。禿童(かむろ)と呼ばれることもあります。当時は都(京都市中)で平家を悪く言う者を取り締まるという役割を果たしていました。
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📖【壇ノ浦】
現在の山口県下関市壇之浦町周辺地域にある浦で、壇ノ浦の戦いの舞台となった場所。
戦は当初平家軍が優勢だったものの、劣勢になると敗戦を悟った平時子が安徳天皇、三種の神器とともに入水。その後も平知盛を筆頭に、平家の武将が次々に海へ身を投じました。
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📖【那須与一(なすのよいち)】
弓の名手として知られる武将で、治承・寿永の乱では義経の軍勢に従軍しました。
有名なエピソードは屋島の戦いで平家の軍船に掲げられた扇を射抜いた「扇の的」。その妙技に平家は船端を叩き感嘆、源氏は箙(えびら)を叩いて沸き立ったといいます。
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📖【灯籠殿(とうろうどの)】
平重盛は自身の邸宅に48もの灯籠を設置していたことから、灯籠殿とも呼ばれていました。
京都にある浄教寺は重盛の建てた灯籠堂が起源となっています。
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📖【殿下乗合事件(てんかののりあいじけん)】
鷹狩の帰途に藤原基房の一行と鉢合わせた資盛が、下車の礼を欠いたという理由で基房の従者により馬から引きずり降ろされ、過度の辱めを受けました。これに清盛は参内する基房を襲撃し報復。「平家悪行のはじめ」とされています。
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📖【那智(なち)の沖】
高野山で出家し、熊野参詣を終えた維盛が訪れたのは那智の沖(現在の和歌山県東牟婁郡那智勝浦町・勝浦湾)にある山成島。松の木に祖父・清盛と父・重盛、自身の名籍を書きつけると維盛はさらに沖へ漕ぎ出し、念仏を唱え終えるとともに入水しました。
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📖【保元・平治の乱(ほうげんへいじのらん)】
保元元(1156)年・平治元(1160)年に起きた、平氏が覇権をとるきっかけとなった内乱です。重盛が「年号は平治、都は平安、我らは平氏、同じ『平』ならば敵を平らげよう」と自軍を鼓舞したことで知られています。
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📖【三種の神器(さんしゅのじんぎ)】
安徳天皇が即位する場面に登場する神器は「八咫の鏡(やたのかがみ)」「八尺瓊の曲玉(やさかにのまがたま)」「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」。皇位の象徴となるもので、今後の物語でも重要となってくる品物です。
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📖【橋合戦(はしがっせん)】
「平家物語」で初めて描かれる合戦。平家二万八千余騎が以仁王を追うも、宇治橋の橋板を外す作戦で足止めをくらいます。橋の際からの闘いで苦戦を強いられますが、足利又太郎忠綱が「馬筏」で川を渡ることを提案。三百余騎が対岸へ渡りました。
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📖【熊野参詣(くまのさんけい)】
四話で重盛が参詣したのは熊野の本宮の証誠殿(しょうじょうでん)。平家一門が繁栄し続けること、それが困難なら自身の寿命と引換に来世の菩提を祈りました。すると重盛の身から灯篭の火のような物が現れ、ぱっと消えるように失せたといいます。
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📖【富士川の戦い(ふじがわのたたかい)】
「頼朝挙兵」の急報を受け、討っ手の派遣が決定。維盛が三万余騎の大軍を率いました。しかし富士川での開戦前夜に水鳥の羽音に驚いた一軍は、我先にと逃げ出してしまいます。
実は第二話でも、維盛が鳥の羽音に驚くシーンがありました。
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📖【小枝(さえだ)の笛】
敦盛が吹くのは、もともと祖父・平忠盛が笛の名手であったことから、鳥羽院から賜った小枝の笛。忠盛から子の経盛(清盛の弟)へ、さらに子らの中でも笛が得手だった敦盛へと譲り伝えられました。その音色はシーンによって雅にも、もの哀しくも聴こえます。
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📖【曲水の宴(ごくすいのえん)】
第八話で清経と敦盛が試しているのは、上流から流れてくる盃が目の前を過ぎるまでに和歌を詠む遊びで、春(3月)に行われていました。現在でも全国各地で当時の様子を再現したイベントが催されています。
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📖【俊寛(しゅんかん)の末路】
鹿ケ谷の陰謀に激昂した清盛により、俊寛は藤原成経、平康頼と共に鬼界ヶ島へ流罪に。成経と康頼には与えられた恩赦が俊寛には与えられず、一人島に取残されます。後にかつて有王から渡された娘の手紙を読んで死を決意、食事を断って自害しました。
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📖【倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦い】
1183年6月2日に倶利伽羅峠(現在の石川県と富山県の境)で行われた合戦。寝静まったところに義仲軍の攻撃を受け、退路を絶たれた平家軍は大混乱に陥り、約7万もの兵が断崖から落下。平家都落ちの決定打となりました。
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📖【福原の変事(ふくはらのへんじ)】
福原殿の中庭に髑髏が現れ、清盛が睨み返すと跡形もなく消え失せたというエピソード。その様子を葛飾北為が描いた「福原殿舎怪異之図」は、森アーツセンターギャラリーで開催中の「#TheHEROES展 」で見ることができます。
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