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#硫黄島 戦没者のご遺族と共に、人混みを避けつつ、都内の高尾山へ。登山道には多くの人。でも、今年で建立50年となる「硫黄島戦没者慰霊碑」前はひっそり。しばし足を止めて眺めていると、まるで「よく来たね」と喜ぶように、石碑に日が差しました=写真=。
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東京五輪開幕を前に、#硫黄島 戦で戦車部隊を率いた1932年ロス五輪馬術金メダリスト西竹一男爵(バロン西)の墓参のため、青山霊園に来ました=写真=。硫黄島玉砕から76年。現在に至るまで日本人唯一の馬術金メダリストの最期は不明で、遺骨も未発見とされています。
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「バロン西といふアナウンスが響き観衆が嵐のような拍手を浴びせた」。1932年ロス五輪表彰式を伝えた新聞の一文です。西竹一男爵(#硫黄島 で戦死)は今なお日本人唯一の馬術金メダリスト。国際社会で日本が孤立化しつつあった時代、ウラヌスと人馬一体で見事な技を見せ、国の枠を超え、讃えられました
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#硫黄島 戦で消息を絶った1932年ロス五輪馬術金メダリストの西竹一男爵(バロン西)。西夫人は52年ヘルシンキ五輪の日本代表壮行会で形見のムチなどを馬術代表選手に託しました。西男爵の消息は不明のまま年月が過ぎましたが、彼の〝魂〟は終戦の7年後、オリンピックの舞台に向かったのです=写真=
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日本人唯一の馬術金メダリスト西竹一男爵(バロン西、#硫黄島 で戦死)。最後の五輪(ベルリン)ではメダルを逃しました。報道によると、西はナチスに憤り、妻にこう話したという。「コースは濠の真ん中だけ深くしてあった。ドイツ以外の選手は知らずに飛んで落馬したりした。騎士道に反したやり方だ」
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「戦没オリンピアン」は #硫黄島 で戦った馬術金メダリスト西竹一男爵だけではありません。が、その人数はJOC100年史でも触れられていないなど、全容は不明です。一方で、38人に上るとの研究者の調査結果も。主な戦没地は南方の激戦地など。シベリア抑留で戦後に命を落としたサッカー日本代表もいます
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遺骨1万柱が今なお未発見の #硫黄島。ある議員は「多くの生還者が『滑走路の下に戦友がいる』と言い続け、亡くなった」と無念さをにじませ、こう語りました。「実際に滑走路を掘り返さなければ、遺族と戦友の戦後70年をかけた悲願は達成されない」
全文は特集「令和の硫黄島」bit.ly/2Pyhx2G
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きょう8月28日はソ連軍が北方四島への侵攻を開始した日です。日本固有の領土なのに戦後76年たっても元島民や子孫が自由に帰れない島は、ほかにもあります。#硫黄島 です。93歳の元島民が取材に応じてくれました。記事全文を公開中です。「南方領土」の歴史にも目を向けたい―。hokkaido-np.co.jp/article/447171…
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【現地取材 小笠原諸島で相次ぐ火山活動】
8月13日、海底火山「#福徳岡ノ場」で大規模な噴火が発生。翌14日「#西之島」がおよそ1年ぶりに噴火
▼#硫黄島 は、火山活動による地殻変動で大きくなり続け、今では小笠原諸島で一番面積の大きい島に
@Station_sun
#サンステ #サンデーステーション
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#硫黄島 発の米軍戦闘機による惨劇「湯の花トンネル列車銃撃事件」(八王子市)。現場近くの高尾駅の柱にはその1カ月前に掃射された際の弾痕があり、本日見てきました。弾痕部分だけ塗装されず当時のままの柱。戦争の惨禍と平和の尊さを忘れないでー。駅ホームの雑踏の中、そんな声が聞こえた気がした
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#硫黄島 通信兵の最期を巡る情報は様々です。父島の元将校によると、玉砕前に「サヨナラサヨナラ ジカンガナイジカンガナイ」との電文とともに「○ニヨロシク△ニヨロシク…」と人名や住所を交えた電文が次々と届いたそうです。死に際し、家族ら大切な人々に最後の思いを伝えようとしたと推察されます
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