#サンライズを語る #シティーハンター 1986年1月、本社ビル5階の応接間で、エピックソニーの丸山部長(後のSME社長)とCHの主題歌歌手の最終決定会談があり、小比類巻かほるか、TMかと悩む丸山さんに、両方行きましょう!と「いいんですか?」「一粒で二度美味しいで!」#GETWILD の伝説の始まり
ヤバイ!このツイートを永野護先生に見られたらしい😫来週何年ぶりかにお会い出来るので謝っておこう!東所沢の角川サクラタウンで、ニュータイプ #アニメクロノロク が始まりました。全宇宙初公開の永野護先生の原画が見れますよ!行くべし🏃‍♀️先生エゴサしないでね(笑)#サンライズを語る twitter.com/mastin55/statu…
名前の持つ影響力、ブランド名を大事にしない人達に、 感動を呼ぶ作品が送り出せるのだろうか? 作り手とファンの気持ちが育んできたブランド力が感動を積み上げてきた。死ぬまで新社名に馴染まないだろう。それも止む無し。 #サンライズを語る
1993年某日、サンライズがバンダイへの株譲渡をする話しを聞いたのは銀座の風月堂であった。 社長以下専務、常務の三人に呼び出され、傘下に入ると。 まさに、晴天の霹靂、玉音放送であった。 昨日までプロダクションは自立してこそ良い作品が生まれる。独立独歩の精神こそ根幹。 #サンライズを語る
#サンライズを語る 既に30年近く経った。Vガンダムの放送中、Gガンダムの企画中に株譲渡は発表された。 今これまでの歴史を振り返ると、バンダイグループに入った事は成功だったのだろう。 しかしグループ入りしていなければ、Gガンダムはあそこまで振り切れなかっただろう。 まさに開き直りだった。
#サンライズを語る #ガンダムを語る  1stガンダム以降、Z.、Z Z、逆シャア、0080、F91、0083、とリアルガンダムを制作してきたが、往時の売り上げには中々届かない中、SDガンダムと言うある種際物が市場を賑わせるようになった。瞬間リアルプラモの4倍もの売り上げにサンライズは恐怖した
#サンライズを語る #ガンダムを語る 0083の制作も目処がついた辺りだったか、役員会議で次のガンダムをどうするかが議題に上がった。 会社の経営状態は順調だった。ガンダムのロイヤリティは入ってくるし、タカラやトミーの作品、シティーも好調だった。 なのに会議は重い空気に包まれていたー
#サンライズを語る #ガンダムを語る 重い空気は自分が感じてたプレッシャーだった。劇場、OVAと展開してきたガンダムの今後は、やはりTVシリーズ新作だと当時の会長が結論を出し、担当は誰か?三人の制作担当役員がいた、しばしの沈黙の後、「では植田が担当」富野監督と10年ぶりの仕事となった。
#サンライズを語る #ガンダムを語る 今は無き九州スペースワールドでのVガンダムのイベント。5mのガンダム像が出来ただけでも喜んでいた。 今は動くリアル等身のガンダムがあるらしい(笑) 新たにスタートするTVシリーズガンダムは、枠取りの為選ばれた代理店電通はアニメが初めてだった。
ここに新しいサンライズと言うアニメスタジオを誰か作りませんか(笑) #サンライズを語る twitter.com/takama2_shinji…
#サンライズを語る #ガンダムを語る 劇場版ガンダム〜めぐりあい宇宙を送りだし、ガンダムはサンライズ的にも自分的にも終わっていた。あまりにも大きなムーブメントに戸惑ったが、嬉しかったし、達成感もあった。良い思い出は壊したくない。ガンダムでプロデューサーになれたのも富野監督のお陰ー
#サンライズを語る #さよならサンライズ 20年の歴史の中で、やはりガンダムと #シティーハンター は別格。退社後はガンダムは関わりなく、シティーハンターはDVDBOXでまた出会えた。インナーの冊子の表紙が、全てのコマが思い出のリョウと香の映像を使ったモザイク画。感激し、担当者に感謝した。