1
#鎌倉殿の13人 その時、陰陽師は】 昨年に引き続き、大河ドラマの時代に生きた安倍家の子孫や #陰陽師 について、時々ですがお伝えしていきます。 源平合戦の時代に活躍していたのは #安倍泰親#平家物語#源平盛衰記 に「指御子」としてその名が登場する、晴明公から5代あとの陰陽師です。
2
#鎌倉殿の13人 その時、陰陽師は】 頼朝の夢枕に立った後白河法皇。その頃幽閉先で、イタチが走り回る怪事が起きます。この意味を尋ねられた #安倍泰親 は「3日のうちに良いことと悪いことが起きる」とお返事。 翌日、後白河法皇の幽閉は解かれたそう。悪いことは以仁王捕縛の命が出たことでした。
3
#鎌倉殿の13人 その時、#陰陽師 は】 #後白河法皇 の幽閉、 #以仁王 の挙兵と、混乱を極めた朝廷。このできごとを #安倍泰親 は予言したと #平家物語 では語られています。 幽閉騒動の直前に起きた地震のあと、内裏へ駆け込んだ泰親は、涙ながらに「これは災厄の前兆だ」と話したそうです。
4
#鎌倉殿の13人 その時、陰陽師は】 #木曽義仲 にも陰陽師は仕えていました。 #安倍泰親 の長子季弘は義仲(一説には平氏)の祈祷師を務めたため、頼朝の不興を買ってしまったのだとか。 そのため頼朝の強い要請で、季弘は当時任じられていた掃部頭を解任されたと #吾妻鏡 に記されています。
5
#鎌倉殿の13人 その時、#陰陽師 は】 #安倍泰親 は九条兼実の日記 #玉葉 、藤原頼長の日記 #台記 に度々登場し、摂関家に重用されていたと考えられます。 特に博識で本人も易学に通じていた頼長は「占は7割当たれば神と称されるが、泰親は7~8割的中させ、他人には真似できない」と絶賛しています。
6
#鎌倉殿の13人 その時、#陰陽師 は】 天下の覇権を争う源平合戦の時代、#安倍泰親 もまた安部家嫡流を復興させんと奔走した人でした。 当時安部一門の氏長者は #安倍晴道 。泰親は自らが一門のトップにならんと、 #指御子 の実力を武器に摂関家や後鳥羽上皇の信用を得て昇進を重ねていきました。
7
#鎌倉殿の13人 その時、陰陽師は】 #倶利伽羅峠の戦い を前にして、#指御子・ #安倍泰親 は歴史書から姿を消しており、74歳くらいで亡くなったとされています。 この前年に念願の #陰陽頭 に着任、子息たちも陰陽博士・天文博士の座に就き、嫡流の復興は盤石かと思われるところまできていました。
8
#鎌倉殿の13人 その時、陰陽師は】 朝廷では #九条兼実 が実権を握り、彼の後押しもあり #源頼朝#征夷大将軍 に就任。 若き#指御子 #安倍泰親 は兼実にも「とても書き残せない」ほど大事の占を持ち込んだり、「今は身を慎むべき」と忠告をしたりと頻繁に兼実を訪ねた様子が #玉葉 に残ります。