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#C100カウントダウン 60日前
25周年、3回目のコミケットスペシャルは「首都圏以外で開催してみよう! だったら一番遠い沖縄で!」という米澤の思いつきで、2000年3月に沖縄コンベンションセンターで「リゾコミin沖縄」を開催しました。釣り大会も開催(米澤は釣り好きだったのです)
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#C100カウントダウン 78日前
この頃はバブル経済で展示会やイベントが数多く開催され、晴海会場の利用がタイトに。前年の冬に会場の都合がつかず開催されなかったため、C35は1989年の3月に6年ぶりの春コミとして開催しました。平成初のコミケットです。
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#C100カウントダウン 32日前
東日本大震災ではビッグサイトも一部損傷したり、その後避難所になったりしました。コミケットでも2011年夏のC80ではサークルのキャンセルを受け付けたり、いつもは森林保護募金を行っているのを、この回は震災の義援金に切り替えました。(共同代表)
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#C100カウントダウン 45日前
2004年冬のC67の1日目は一日中雪が止まず、シャッターの閉鎖や宅配便の雨シフトなど対応に追われました。
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#C100カウントダウン 92日前
晴海の頃は「コミケットでは雨が降らない」ジンクスが特に言われていましたが、実はC11はコミケットで初めて雨が降っています。雨の中でも218サークルと推定3000人の一般参加者が集まりました。
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#C100カウントダウン 81日前
コスプレ参加者の増加に伴い、C25から更衣室が設けられました。また、C25が開催された1983年は、春夏冬と年3回開催での「春コミ」が開催された最後の年でした。
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#C100カウントダウン 59日前
1990年代は同人誌や即売会への社会的注目が増す中で法律との関わりが起こってきた時代でした。
「有害」コミック問題やワイセツ図画、青少年条例や児ポ法、税金や著作権のトピックは過去の話ではなく、今なお我々が向き合う必要があります。
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#C100カウントダウン 20日前
2014年夏のC86では有名歌手の方のサークル参加が大きな話題に。2015年春のスペシャル6の中夜祭にはご出演いただきました。
有明西ふ頭公園を急遽三日目にコスプレエリアとして追加設定。流行ジャンルとの親和性もあり、海をバックに撮影できる場所として大好評。
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@kionachi #C100カウントダウン 73日前
1991年冬のC41から冬が年末開催になりました(それまではクリスマス🎄前後)。
また、C42は炎天下に並んだ多くの一般参加者が熱中症で倒れる事態に。気象庁の過去データによると両日ともに最高気温31℃🫠
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#C100カウントダウン 34日前
2010年の5月から東駐車場の面積が4倍に拡張されました。東・西両方に待機列の形成のための広い場所ができたわけですが、その後も、時々の状況に合わせて様々なアイディアを駆使して、一般参加者を収容しています
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#C100カウントダウン 46日前
1993年夏のC45から始まった森林ポスターは2003年冬のC65で一度中断されました。復活は2007年冬のC73になります。
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#C100カウントダウン 69日前
1995年夏のC48から「22:セーラームーン」が新設、久しぶり男女両方の参加者が盛り上がるジャンルが登場。
C48は、20周年と銘打って初の3日間開催に挑戦しました。
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#C100カウントダウン 70日前
1994年冬のC47からコミケットプレスが創刊されました。アピールやカタログでは伝えきれない細やかな情報やニュアンス、準備会の考え等を主にサークルさんに伝えるメディアとして、参加申込書セットに同梱されました。
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#C100カウントダウン 75日前
コミックマーケット100記念ロゴのデザインは、木緒なちさん(@kionachi サークル:コロリメイジ)にお願いしました。ありがとうございました❗️ 公式サイトのページの使用規約をご確認の上、ダウンロードして使って下さい。
comiket.co.jp/info-c/C100/C1…
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#C100カウントダウン 21日前
2013年冬のC85では天候に恵まれ穏やかだったこともあり、コスプレイヤー参加者が2万5千人を超え、過去最大に。(服とかお化粧の問題もあり)コスプレイヤーは夏より冬の方が参加者数が多いことが以前からの大きな特徴です。
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#C100カウントダウン 53日前
2002年夏のC62からがん研有明病院の建設が始まり、駐車スペースが2,500台から700台に激減。それまでは一部一般向けにも営業していた駐車場も、以後はサークルや各種企業、スタッフ等でいっぱいとなることに。
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#C100カウントダウン 37日前
現在ではすっかり定番とも言えるコスプレエリア(当時はコスプレ広場と呼称)となっている1階レストラン街外庭園は、2008年夏のC74から使用開始。初回から大盛況に。この頃は企業ブースの混雑も激しく、会場をどう効率良く使うかが課題に。
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#C100カウントダウン 43日前
この頃から海外取材が増加。アキバブーム、萌えブーム的な取材も増え、好意的な取材が多くなります。2006年夏のC70からサークルのオンライン申込が開始。6年後のC83でオンライン申込が約8割に達しました。
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@kionachi #C100カウントダウン 71日前
1991年夏に幕張から晴海に戻り、行列サークルを置く出入口が大幅に減ったことが問題になりました。このため一部の人気のあるサークルを1館に集めて配置し対応したのですが、より多くのサークルを受け入れるため、配置が見直されました(俗に「A館体制」C40~C44)。
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#C100カウントダウン 6日前
2019年冬のC97の次は、37年ぶりのSP以外で春開催のC98。2019年8月→12月→2020年5月と怒涛の開催日程の折り返し地点!…になるはずでした。
遥か彼方に遠ざかったかに思えたC100の節目も、気がつけばあと数日後。ラストスパート、かけていきましょう!
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#C100カウントダウン 36日前
2009年夏のC76では、参加者の入場が人気ジャンルの配置された地区に集中した結果、入場導線全体に混乱が生じました。この時の教訓は現在も準備会内で活用されています。
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#C100カウントダウン 42日前
2005年夏のC68では「これまでより子連れ参加、親同伴の参加者が目立って」いた、と記録されています。初開催から30年を迎え、この頃から参加者のライフステージの進展や、参加者の裾野がさらに若い世代に広がったと考えられます。
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#C100カウントダウン 38日前
2006年冬のC71は初の大晦日開催。31日を避けて2日間開催にした場合、サークル当選率が約50%になってしまうのを解消するための挑戦でしたが、言い出しっぺの米澤前代表は、それを見ることはありませんでした。
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#C100カウントダウン 31日前
この頃既に取材は夏冬の風物詩的な扱いに。2010年冬のC79で印象的だったのは、混雑の様子のヘリからの空撮でした。参加者への密着等切り口も多様かつ深まると同時に軋轢がおきたことも。