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1945年8月15日12:37 特別放送が終わる。「玉音」と「内閣告諭」に続き、終戦決定の御前会議と交換外交文書の要旨、ポツダム宣言受諾に至った経緯などがニュースとして放送された #8月15日 #芙蓉録
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マンハッタン計画を率いたグローヴス少将は「京都」への原子爆弾投下を強行に主張し、スティムソン陸軍長官の留守中に標的の第1候補に選定していた。報告を受けたスティムソンは激怒し、トルーマンとアーノルド陸軍航空軍司令官と会って京都を標的リストから除外した #センターボード作戦 #芙蓉録
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「新聞は、今までの新聞の態度に対して、国民にいささかも謝罪するところがない。詫びる一片の記事も掲げない。手の裏を返すような記事をのせながら、態度は依然として訓戒的である。等しく布告的である。政府の御用をつとめている。度し難き厚顔無恥」 ―高見順、8月19日の日記より― #芙蓉録
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1945年8月14日23:25 宮内省二階御政務室で天皇自らの声による「終戰の詔書」の録音が始まる #芙蓉録
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「(原子爆弾搭載機のコールサインを)八月九日も同様にキャッチしたが、処置なし。あとの祭りとなる」 ―陸軍特種情報部、堀栄三少佐― #8月9日 #芙蓉録
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1945年8月15日05:30 陸軍大臣の阿南惟幾大将が陸相官邸で自決する 遺書 “一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル” 昭和二十年八月十四日夜 陸軍大臣 阿南惟幾 神州不滅ヲ確信シツ〃 辞世 “大君の 深き恵に 浴みし身は 言ひ遺こすべき 片言もなし 陸軍大将 惟幾 八月十四日夜  #8月15日 #芙蓉録
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V-82「エノラ・ゲイ」機長のポール・ティベッツ中佐はブリーフィングで「今夜の我々の作戦は歴史的なものだ。我々が長躯して落とそうとしている爆弾は、TNT火薬2万トンに相当する破壊力を持っている」と説明する #センターボード作戦 #芙蓉録
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1945年7月16日05:29(米国山岳部夏時間)、ニューメキシコ州アラモゴード爆撃試験場で「トリニティ」と名付けられた爆縮型プルトニウム原子爆弾の爆発実験が行われた。トリニティ実験成功の報は、ポツダム会談に出席しているトルーマン大統領へと直ちに伝えられた。 #芙蓉録
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広島方面での異変を察知した船舶司令官の佐伯中将が、視察先の金輪島から宇品に到着。広島市中心部へ篠原参謀らを偵察に向かわせる #8月6日 #芙蓉録
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1945年8月6日08:30 宇品の陸軍軍需輸送統制部(部長:畑勇三郎少将)から、偵察のため統制班長の田村治郎大尉が御幸橋西詰まで前進。被害状況を鑑み、負傷者輸送用として日本通運のトラックを全て接収する #8月6日 #芙蓉録
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1945年8月9日09:44 V-77「ボックスカー」、攻撃始点(IP)に到達。大分県姫島方面から小倉市の投下目標上空へ爆撃航程を開始するも、投下目標(AP)である陸軍小倉造兵廠が煙と雲に隠れ目視に失敗する #8月9日 #芙蓉録