26
漠然とイメージされてる、大名の奥向=夢のハーレムみたいな幻想を力技で破壊していく過程がめちゃめちゃ面白い回だった
#どうする家康 #如何なさいますか家康公
27
五徳の手紙は本人が書いたものではない説があるんだけれど、ここで彼女を守るためにあの手紙を持ち出すのすごい演出だなと #どうする家康 #如何なさいますか家康公
28
激おこ瀬名様がいろいろぶん投げるシーン、小平太は新たな投擲アイテムを手渡して笑ってたけど、オロオロしてるようにしか見えない色男殿は、実は手前の囲炉裏?に物が落ちないように必死に両手で防いでいて、芸が細かいなと思った。
#どうする家康 #如何なさいますか家康公
29
その忠真は三方ヶ原の戦いにおいて、家康公が速やかに撤退できるように、道の両側に旗と槍を突き立て、これより後へは一歩も譲らぬと立ちはだかり、武田兵と戦い討ち死にしたそうです。
犀ヶ崖資料館のところに本多忠真の顕彰碑があります
#どうする家康 #如何なさいますか家康公
30
築山殿が千代や糸さんや於大様といった独自女性外交ルートを持っていたのは評価できるけど、一番絶対持っているべきだった『織田家女性ルート』を持っていなかったのが全ての手落ちだった。
どうしたってまず織田と組まなきゃこの案は成り立たない
#どうする家康 #如何なさいますか家康公
31
あまり知られていないけど、徳川の退き戦は一級品なのですよ #どうする家康 #如何なさいますか家康公
32
高額品の鉄砲を一向宗だけ装備してるのが肝です。
本證寺の土塁からは火縄銃の弾が出土していますが、松平にその財力は難しいだろうから、一揆側の武器かと
#どうする家康 #如何なさいますか家康公
33
『心に淀みがない実直な御人だからこそ裏切る』なんて台詞を石川数正に言わせるなんてこの脚本!この脚本!!
#どうする家康 #如何なさいますか家康公
34
田鶴さまが頑張った理由が、実家を滅亡させて兄を殺された恨みでなく、あの美しくて幸せだった祖国への思慕だったというのがせつない #どうする家康 #如何なさいますか家康公
#如何なさいますか家康公 #どうする家康
35
田鶴さまが頑張った理由が、実家を滅亡させて兄を殺された恨みでなく、あの美しくて幸せだった祖国への思慕だったというのがせつない #どうする家康 #如何なさいますか家康公
#如何なさいますか家康公 #どうする家康
36
ずっと岡崎殿と呼ばれる=再婚しない #どうする家康 #如何なさいますか家康公
37
『御旗楯無』は武田に伝わり神聖視されていた二つの家宝で、この二つに宣誓した命令は絶対違えてはならない、家臣も反対できない強い実行力を持ちました。
#どうする家康 #如何なさいますか家康公
38
39
子供が歩けないのを察して縛を解いて抱っこさせたり、岡部さんの人情が透けて見えるのがいいね
#どうする家康 #如何なさいますか家康公
40
今日のタイトルのところは傘連判状。一揆などの首謀者が分からぬように(首謀者が重罪になる)、また、全員が平等に同じ立場だと表現するため、円形に名前を書きます。
書いた名が傘状に見えるので傘連判状といいます
#どうする家康 #如何なさいますか家康公
41
「元の野原に戻す」は三河一向一揆の勉強を始めた面々がだいたい一番最初に「酷ぇ!!」と突っ込みポイントです
#どうする家康 #如何なさいますか家康公
42
ところで、「来年はそんなに死なない」と言いながら不安になって没年を調べてたら、最終回が元和2年4月17日と仮定した場合、現在発表されてるキャストがほとんど生き残らない。殿が長生きだからなぁ…
#如何なさいますか家康公
#どうする家康
43
薄い本が厚くなる
#どうする家康 #如何なさいますか家康公
44
それにしても
『岡崎時代の子供は、西郡局(お葉)の産んだ督姫ひとり』
という『結果』から、よくもこんな面白い筋書きを考えたなと唸っております。大河ドラマ史に残る床入りシーンだったわ
#どうする家康 #如何なさいますか家康公
45
雪が降ってきたのを素直に喜んじゃうような温暖な気候だからこそ、武田が欲しがっちゃうんだよ #どうする家康 #如何なさいますか家康公
46
ドラマで描かれませんでしたが、鳥居元忠の弟で、徳川十六神将のひとり、鳥居忠広もこの三方原の戦いで討死しています。数ヶ月に父(鳥居の爺)も亡くしているはずで、彦右衛門にとって悲しい出来事が続いています。
#どうする家康 #如何なさいますか家康公
47
平八小平太あの小僧の3人は史料ではここにいません、史実ではここにいない。解りますね、活躍し放題です!!
#どうする家康 #如何なさいますか家康公
48
本多正信の仮名(けみょう・通称のこと)は弥八郎(やはちろう)です。
これを知ってる自分と知らない家族で冒頭ちょっと驚きポイントがずれたので本放送前にお伝えしておきます
#どうする家康 #如何なさいますか家康公
49
瀬名姫一家が駿府から吉田まで歩かされたという屈辱も、『身分の高い女性は外を徒歩で移動しない』
というこの時代の常識を知らなくても辛い目に遭わされたと分かるように演出していました。
糸の脚が不自由という設定もこの説明のためでしょうね
#如何なさいますか家康公 #どうする家康
50
五徳様、嫡男の正室として何も間違ってないのに、下女から足軽みたいなのの前で叱責される奴、しかも見当外れの『三河のおなご』って怒鳴られるの可哀想すぎた。
#どうする家康 #如何なさいますか家康公