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【#二・二六事件 から87年】
1936年2月26日の発生から3日目、クーデターを起こした下士官兵たちに向けて繰り返し放送された「兵に告ぐ」は、日本軍同士の市街戦を未然に防ぐことに役立ちました。
当時の記録映像とともに音声資料を聞くことができます。
#戦争証言アーカイブス
www2.nhk.or.jp/archives/tv60b…
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【#二・二六事件 から87年】
事件で一命をとりとめた侍従長の鈴木貫太郎(のちの首相)。妻・たかさんが当時の様子を語った証言テープが残されています。
『何事が起ってこんなことになりましたか?』と尋ねたたかさんに、兵士が語ったことばとは?
#戦争証言アーカイブス
www2.nhk.or.jp/archives/shoge…
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#二・二六事件
事件で襲撃され危うく難を逃れた岡田啓介総理だが、実は決起側(青年将校含む)にわかっているだけでも4回見つかっている。
が、すべてスルーされそういう意味でも難を逃れている。
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昭和天皇は事件の第一報を鈴木侍従長の夫人経由で午前中に聞いた
報告を聞き「とうとうやったか」「全く朕の不徳の致すところだ」と言った後直ちに軍装に着替えた
この第一報から決起側を「賊軍」と言っており、信頼してた部下を襲撃した事をかなり怒っていた
決起はここに失敗した
#二・二六事件
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#二・二六事件
岡田啓介総理の身代わりとなって殉職した松尾伝蔵予備役大佐、不穏な動きは察知して普段から髪型を似せるなど身代わりの準備はしていた。が、体格は痩せ型の松尾に筋肉質の岡田と全く違い、岡田の娘婿の迫水久常は「決起側はなんで間違えるのかわからん。準備不足乙」と回想している。