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#もし75年前にSNSがあったら
いま問題になっているのは、「もし75年前にSNSがあったら」ではなく、「もし75年前の偏見を注釈無しでSNSで垂れ流したら」ということでは?
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【1945年8月17日】
将校が箱の上に上がった。みな息を飲む。
「大本営および第二総軍の命令を伝達する。今日の応召者は全員即日帰郷とする。解散!」ワーッと割れんばかりの歓声。
瞬く間にみんな四方八方に散っていった。やれやれ、私も帰ろう。
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#もし75年前にSNSがあったら
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【1945年8月6日】
生きていたっ!
「おじさん、ここよ、ここ」猿宮下の藪で甥と遭遇、母も
私の顔を見た途端「一郎っ!」と母がワっと泣き出す。社で死んだものとばかり思っていたそうだ。
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【1945年8月6日】
お義父様や お義姉さまたち ほかの子供たちも無事 ひとまず家族に負傷者なし
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【1945年8月15日】
そろそろだ。教官達がいつになく騒然とされている。
少し緊張してきた。
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【1945年8月6日】
廣島の街の二、三里四方は滅茶苦茶に潰れて、大火災になっているとのこと。
大やけどの負傷者が多数。潰され焼かれた人は数知れないそう。
けれど詳しくは誰も分からない、要領を得ません。
#ひろしまタイムライン #広島
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【1945年8月14日】
この期に及んでまだ、戦えというのか。
近所に住む徴用工の山田さんが、数日前に徴兵されて即日九州へ連れていかれたそうだ。軍は最後の手段として、軍需工場の壊滅でだぶついた労働力を本土決戦の矢面に立たせようとしている。
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【1945年8月6日】
来るべき時が、遂に来たのかもしれない。
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【1945年8月6日】
一体どれほどたくさんの爆弾が落とされたの?
これからも落ちるの?
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【1945年8月5日】
三木教官に呼び止められた。
僕には別に任務が下された。
「廣島へ帰ったら、千田町の附中の留守部隊に連絡文書を届けよ。」
である。
教官から預かった公文書らしき手紙を、しかとポケットに収めた。
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【1945年8月6日】今日の一面
◆北に我陸海の精鋭
必死 B29の北海道爆撃
◆写真:朝の出撃 戦友に送られて愛機に赴く
◆完遂期する船舶救難
義勇戦闘隊 きのう生誕
◆ボルネオ 敵殺傷四千八百余
◆青果物の自由市場問題
◆社説:収穫への戦い
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【1945年8月6日】
瀬野駅の駅員が「列車は運行見合わせ!これ以上先には行けません!」と。
ここから廣島までは十五粁あるらしい。
どうしたものか……
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【1945年8月15日】
でも、それでも…八年に渡る、私たちの苦しい日々は、一体、いったい…
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【1945年8月6日】
府中町茂陰付近国道沿い。民家及び町工場軒並み倒壊
何があった
火災がないということは、ガスタンクの爆風か
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【1945年8月6日】
診療所や洗面所、二階の窓ガラスはめちゃめちゃ。雨戸はそりかえってる。押し入れの天井は、吹き上げられて。土壁とほこりがおちて、畳の上はザラザラ。…どうなっているのでしょう。
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【1945年8月6日】
一人一人の顔を確認したが、水原君はいない。
横たわる消防士がかすかに動き、水を欲した。
水筒の水を口に入れてやると、美味しそうにゴクゴクと飲んだ
その後、口と鼻から黒い粘液を出し、息絶えた。
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【1945年8月6日】
ゆっくりと倒れ伏す、ひとり、またひとり、倒れていく
動かない、うごかない
次々
ゆっくり、道を埋め尽くしていく…どうしたら…
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【1945年8月6日】
負傷者の列に、産経の唐津君がいた。重傷
紙屋町で電車ごとやられた。
お化けのような黒焦げの顔なのに、壊れたカメラを悔やんでいた
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【1945年8月15日】
無念
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【1945年8月19日】
窓の外に、暗い空の下でポツポツと家の明かりがついた家が立ち並んでいるのが見える。
父が六甲山のあたりと教えてくれる。
不思議だ。つい最近まで、明かりなんて、つけられなかったのに。
綺麗だ。本当に負けたんだ。
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【1945年8月6日】
来るべきものが遂に来た
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【1945年8月17日】
滑稽なほど形ばかりだ。
身体検査は異常を訴える者にだけ聴診器をあてる。
「何だ!火傷くらいで!!」
頭と両腕に包帯をして前かがみになっている負傷者を軍医が叱っている。
彼も「異常なし」と、合格していた。
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【1945年8月6日】
皮がはげてる
赤いのは?真皮?赤身が見えてる!
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【1945年8月12日】
廣島を壊滅させた新型爆弾は、「原子爆弾」であったようだ。
わが国の決戦兵器が必死の体当たりであることを悲しむ中で、期待されていた新兵器の神風は、敵方に吹いた。
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