【1945年8月6日】 晴。暑くなりそう。 #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月6日】 始発を逃してしまった。せっかくの帰省なのに! 西川が「どうせ今日中には家に帰れるんじゃ。」と言う。確かに。 八時過ぎの汽車に乗れるよう準備することにした。 #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月6日】 また空襲警報だ。ほんの一機だか二機だかが上空を出たり入ったり。こんな神経戦にはうんざりだ。ビラでも撒きに来たのか、気象観測にでも来たのか。 #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月5日】 夕食後のナゾナゾに始まり、怪談に、演芸会と今夜はどんちゃん騒ぎである。 明日は一番列車なのだが…寝れぬ。楽しみと緊張で眠気が来ない。あぁ。楽しみだなぁ。 #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月5日】 あ、動いた! おなかの赤ちゃんが動くのが最近分かるようになりました。また動いた。 元気に育っている証拠かしら?😊 #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月5日】 今夜は防衛当直。局長以下十四人の社員とともに社に泊まっている。この中にはあす早朝から義勇隊として建物疎開に参加する者もいる。私は代わってもらったが、ご苦労なことだ。 #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月5日】 三木教官に呼び止められた。 僕には別に任務が下された。 「廣島へ帰ったら、千田町の附中の留守部隊に連絡文書を届けよ。」 である。 教官から預かった公文書らしき手紙を、しかとポケットに収めた。 #ひろしまタイムライン #広島 #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月5日】 教官から、注意事項を承った。そして米を2日分受け取った。 いよいよ帰省は明日。 胸が躍るとは、まさにこの事だ。 #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月5日】 とにかく級友たちは、帰省をうらやましく思っているようだ。 皆が多くの手紙を預けてくるので困る。 僕は郵便屋さんではない。 #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月5日】 今日の作業は休止。 朝一番で寝衣を洗濯し、明日の廣島帰省の準備にかかる。 一緒に支度をする高田君、笠間君も嬉しそうである。 毎日農作業を頑張った甲斐があった。 朝食もいつもより二倍美味く感じる。 #ひろしまタイムライン #広島 #もし75年前にSNSがあったら
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75年前の広島に住んでいた、中学一年生の疎開中の少年、初産を控えた26歳の主婦、召集令状を受け取った新聞記者の男性、三人の当時の日記をもとにした、 #もし75年前にSNSがあったら という創作ツイートだそうです。 何気ない日常の何気ない言葉、でも私達は彼らの未来を知ってしまっている。
【1945年8月4日】 早速、母に廣島に帰省する旨、手紙を書く。 六日となるともう明後日ではないか。 嬉しい。 #ひろしまタイムライン #広島 #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月4日】 朝食の最中、第一回目の帰省者の発表あり。 なんと! 出動回数の多い者として、僕や西川たちが選ばれた!八月六日に廣島へ発って八日に帰寮せよとのことだ。 朝飯が喉につかえるぐらいの喜びだ。 #ひろしまタイムライン #広島 #もし75年前にSNSがあったら