【1945年8月14日】 この期に及んでまだ、戦えというのか。 近所に住む徴用工の山田さんが、数日前に徴兵されて即日九州へ連れていかれたそうだ。軍は最後の手段として、軍需工場の壊滅でだぶついた労働力を本土決戦の矢面に立たせようとしている。 #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月13日】 ここまでうめき声が聞こえてくる。 実家の隣家では、長男が徴用先で被爆し背中一面に火傷を負ったそうだ。 大の男が夜中にこれだけの声を出さねば我慢できない。いったいどれほどの痛みだろうか。 #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月12日】 廣島を壊滅させた新型爆弾は、「原子爆弾」であったようだ。 わが国の決戦兵器が必死の体当たりであることを悲しむ中で、期待されていた新兵器の神風は、敵方に吹いた。 #ひろしまタイムライン #広島 #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月9日】 布団の中でうつらうつらしていると、加藤部長が寄ってくれた。その表情は虚ろだった。 「今日午前、B29が長崎にも新型爆弾を投下した…」 六日に目の当たりにした地獄が蘇る。絶望のみ。 #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月9日】 なんと、ソ連が我が国に宣戦布告!! 今のこのような状態でまた攻撃を受けるとなると、一体僕たちはどうなるのだ? 近所の人達が「もう駄目だ」と口にしている。 #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月8日】 あれは、独で発明した新兵器を米が手に入れて廣島で試したということだ 試した? #ひろしまタイムライン #広島 #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月8日】 日本が白旗を上げる日はこれで早まるだろう。 それにしても、この戦争を始めた軍、軍と結託した官僚と財閥は、この無防備の国民をこれからどうしようというのか。 #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月8日】 「熱い」「暑い」毎日だった。 この三日間に見たものは人間のすることではない。有史以来桁外れの暴挙だ。 #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月8日】 皆いなくなってしまった #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月8日】 他社にも渡すようにと知事諭告を受け取る。以下抜粋。 「廣島県市民諸君よ、被害は大なりといえども之戦争の常なり。断じてひるむことなかれ」 「速やかに各職場に復帰せよ」 「戦争は一日も休止することなし」 #ひろしまタイムライン #広島 #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月7日】 思うに敵は新兵器をつかってみたのだろう。そのために今まで廣島を残しておいたのかと思うと全く口惜しい。 #ひろしまタイムライン #広島 #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月7日】 積み上げられた広場の死体は、着衣に名札のないものは性別と推定年齢を控え、急ごしらえの焼き窯に運ばれる。 折り重なる全ての犠牲者に家族がいることだろう。しかし、名無しで、誰にも気づかれず、灰にされていく。 #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月7日】 路上の死体はトラックや大八車で収容が始まっている。しかしまだ至るところに転がっている。記者でありながら、この凄惨さを活字にすることができないとは。 しっかり目に焼き付ける。いつかのために。 #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月7日】 近所がざわつく。 表札の文字だけが焼け抜けているのだ。 ハスの葉の変色といい、みんなが「何か変だ」と思い始めているようだ。 #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月7日】 広島を地獄に変えたものは一体何なんだ。 近所の人の間で「石油が降った」「毒ガスがまかれた」などの噂が広がっている。 #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月6日】 空襲警報。え……また…?この状況でどう……… #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月6日】 南の空が…廣島の街が燃えている すさまじい炎 燃えてる竜が、のたうちまわっているかのよう #ひろしまタイムライン #広島 #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月6日】 今日のはすべて、米軍がガソリンを撒いて火をつけたためらしい。 また来るという話もある。 ならば防空壕が必要だ。だが僕が作ったのでは全く役に立たない #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月6日】 今朝突然に起こった爆発。そして次から次へと目の前に現れた想像を絶する残虐。 どうして、どうしてこうなったのだ… 私にはわからない 汗と土埃の結晶がへばり付いて、頬に手をやると、ざらざらと落ちた。 #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月6日】 一人一人の顔を確認したが、水原君はいない。 横たわる消防士がかすかに動き、水を欲した。 水筒の水を口に入れてやると、美味しそうにゴクゴクと飲んだ その後、口と鼻から黒い粘液を出し、息絶えた。 #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月6日】 生きていた。父ちゃんはガラスの破片で血だるまになり、母ちゃんは顔面を大きく腫らしている でも二人とも、生きていた。 僕が来たことに飛び上がって驚いていた。 ああ、よかった。本当に… #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月6日】 目の前の交差点に、焼けていない死体が並んでいる 水原君はいないかと近づく。「磯崎芳子」の名札。 最近入社したタイピストの女性だ。 可愛らしいと評判だった顔は目の下から顎にかけてぱっくりと切れ、奥歯が覗いている。 #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月6日】 今日目の当たりにしたことも、何も伝えられない 玄関石の上にへたり込む 焼け跡と、死体の群れが目の前にある どうしてこうなった? #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月6日】 僕の家…半壊している。 父母がいるはずだ。 どうか、どうか無事でいてくれ #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら