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【1945年8月6日】
大洲橋東側、倒壊家屋につき自転車不通
ものすごい数の人々が走ってくる。こっちへ。全身血染めの男。まっ黒い顔に白い目の…男か女か判別不能
すれ違った中学生の顔、皮膚がめくれ肉がむき出しに。
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【1945年8月15日】
でも、それでも…八年に渡る、私たちの苦しい日々は、一体、いったい…
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【1945年8月6日】
汽車が来た。まずは乗る。ともかく、行こう。
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【1945年8月15日】
無念
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【1945年8月15日】
首相を務められた小磯の伯父様も、生きてはいらっしやれまい。
「やっちゃん、やっちゃん」とかわいがって頂いたのに。
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【1945年8月7日】
路上の死体はトラックや大八車で収容が始まっている。しかしまだ至るところに転がっている。記者でありながら、この凄惨さを活字にすることができないとは。
しっかり目に焼き付ける。いつかのために。
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【1945年8月6日】
顔が崩れている…目も鼻も崩れている
人、じゃない、あんなふうにはならない
人の形をしているが…
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【1945年8月15日】
「日本国民の間に民主主義的な傾向の復活が強化され、宗教、言論、思想の自由、ならびに、基本的人権の尊重を確立」
新聞も変わるのだ。自由に書いていいのだ。
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【1945年8月7日】
積み上げられた広場の死体は、着衣に名札のないものは性別と推定年齢を控え、急ごしらえの焼き窯に運ばれる。
折り重なる全ての犠牲者に家族がいることだろう。しかし、名無しで、誰にも気づかれず、灰にされていく。
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【1945年8月6日】
家が土まみれ。口ん中も
何が。妻は義姉は??
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【1945年8月7日】
近所がざわつく。
表札の文字だけが焼け抜けているのだ。
ハスの葉の変色といい、みんなが「何か変だ」と思い始めているようだ。
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【1945年8月6日】
一人一人の顔を確認したが、水原君はいない。
横たわる消防士がかすかに動き、水を欲した。
水筒の水を口に入れてやると、美味しそうにゴクゴクと飲んだ
その後、口と鼻から黒い粘液を出し、息絶えた。
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【1945年8月15日】
何だ? 放送局の跡に数名が立ち止まって何かを聴いている。
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【1945年8月6日】
僕の家…半壊している。
父母がいるはずだ。
どうか、どうか無事でいてくれ
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【1945年8月15日】
天皇陛下はこれ以上国民が傷つくのを見るのにしのびないと仰せになった
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【1945年8月6日】
夢遊病のように歩く兵隊、わずかなぼろぎれを腰から垂らした女、瓦礫の横にうずくまる重傷者、皮膚がめくれた両手を幽霊のように挙げている子供
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【1945年8月6日】
「お前たち軍人のやり方がわりいけえ、こういうことになったんじゃ。わしゃあ恨むぞ…子供や主人をどうしてくれるっ!」
「それはアメリカにいうことじゃ。自分らは責任とっていつでも切腹してみせますぞ」
「そうじゃ、腹を切れっ!くやしいーっ!」
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【1945年8月15日】
「戦地の兄さんたちも聞いたかのう」
「元気に帰ってほしいのう」
夜、牛田の実家で敗戦について話す。
三本のろうそくの炎が柔らかい。暗闇で空襲に恐れる必要はもうないのだ。みんなの心もなんとなく明るい。
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【1945年8月15日】
悲しい 口惜しい…くやしい…!!!
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【1945年8月6日】
汽車はのろのろと走る。もどかしい
窓の外、 湧き上がっている 巨大な雲。
猛烈な勢い
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【1945年8月6日】
民家の門前にムスビが並び、包帯をした住民が避難民を介抱している
ここで、水を飲ませてもらって、昼飯を食う。しかし腹は減っているが、泥を噛んでいるようだ
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【1945年8月6日】
廣島は全滅、皆と顔を見合わせた
「行こう、廣島へ」
「学校に文書も届けんと」
「歩くんじゃ、ここから」
同じように廣島方面へ向かう人もいる
みんな覚悟を決めた
#ひろしまタイムライン #広島
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【1945年8月13日】
ここまでうめき声が聞こえてくる。
実家の隣家では、長男が徴用先で被爆し背中一面に火傷を負ったそうだ。
大の男が夜中にこれだけの声を出さねば我慢できない。いったいどれほどの痛みだろうか。
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【1945年8月12日】
廣島を壊滅させた新型爆弾は、「原子爆弾」であったようだ。
わが国の決戦兵器が必死の体当たりであることを悲しむ中で、期待されていた新兵器の神風は、敵方に吹いた。
#ひろしまタイムライン #広島
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