朝ドラちむどんどん、次回から時代は1971年に。 沖縄が米軍に統治されていたアメリカ世(ゆー)も、残りわずかです。 ここでドラマでは描かれなかった、当時の沖縄での出来事を、番外編としてご紹介します。 その1は、宮森小学校米軍機墜落事故。続く→ #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識
朝ドラ「ちむどんどん」まめ知識の超番外編。 先週までを観ての感想です。 できれば笑い飛ばしたくて漫画を描いてみましたが、やはり笑えませんでした…。 以下、長文ご容赦ください。 続く→ #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識
朝ドラちむどんどん、今週月曜から1974年となり、金曜の回に突然76年まで飛びました。 つまり1975年は丸ごと省略した、という事のよう。 しかし沖縄ではこの年、大きな出来事があったのですが…。 そう、沖縄海洋博です。続く→ #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識
今日は6月23日、沖縄「慰霊の日」。 しかし今週の #ちむどんどん に沖縄戦の話題は一切無し。 そして今日の最後の写真コーナーがこれ。 画面全体から伝わる ”言い訳感・他人事感” に、言葉を失いました。 ならば私から、沖縄戦の写真を1枚ご紹介します。続く→ #ちむどん #ちむどんどんまめ知識
終わっていないわけ…ウチの戦争は! 今日の #ちむどんどん は、優子のセリフが全てでしょう。 沖縄には、戦争の体験を誰にも語れず、心に秘めてきた方々がおられます。 それはあまりにも悲惨だったり、罪の意識に苛まれていたり、心の傷が大きすぎるから…続く→ #ちむどん #ちむどんどんまめ知識
今日の #ちむどんどん より、自身の沖縄戦体験を語る、嘉手刈源次氏。 短いシーンながら、大きな存在感を示しました。 ガマ(洞窟)で遺骨収集を行う氏ですが、実際に今も沖縄で遺骨を掘り続ける人がいるのをご存じでしょうか? その方は…続く→ #ちむどん #ちむどんどんまめ知識
今日の #ちむどんどん で、鶴見の県人会長・平良三郎の気になる発言。 “俺の親父は…俺には沖縄の言葉を一切使わせず…” 沖縄出身者のリーダーとして鶴見で仲間を助けながら、息子に沖縄の言葉を禁じた父。 そこにはどんな想いがあったのでしょうか?…続く→ #ちむどん #ちむどんどんまめ知識
朝ドラ #ちむどんどん を見続け、#ちむどんどんまめ知識 を投稿し続けて半年。 最終回を終えて、様々な想いが胸に去来します。 登場人物の中で私が気になったのは、和彦でした。 沖縄県外に生まれ、沖縄の事を知ろう・伝えようとした人物です。 そんな彼に、最後に手紙を書いてみました。