昨夜の”NHKスペシャル”、沖縄戦を生々しく伝えました。 当初米軍は住民を保護する方針をとるも、日本軍の兵士が住民に偽装したり、女性や少年にも武器を持たせたため、住民も疑い殺すようになった事。 集団自決の様子(日本兵が住民を銃殺、住民同士が喉を切りあう…)を目撃した米兵の話など。続く→
→ 豊富な写真や資料と、綿密な調査に基づいて書かれた、10.10空襲の実態。 著者は、後に沖縄県知事も務める大田昌秀氏です。 朝ドラ「ちむどんどん」で、母・優子が被災したのもこの空襲でした。 この空襲について、もっと多くの方に知っていただきたいと思います。
→ こちら「那覇10.10大空襲」は、さまざまな資料を元にその空襲の全容を浮き上がらせた、貴重な本(現在は在庫切れ)。 記載された米軍の地図や司令官の証言から、作戦の狙いと動向が明らかに。 また日本軍側の記録からは、その無謀さと傲慢さが、那覇住民の体験談からは、混乱と恐怖が伝わります。→
今日は「10.10空襲」の日…と言っても、ご存知ない方もおられるでしょう。 大戦中の1944年10月10日、沖縄各地を米軍が空襲したのです。 早朝から夕刻までの5回、のべ1,000機以上の艦載機による無差別爆撃。 人口5万5千の都市・那覇では、市街の9割を消失させるという未曾有の大規模空襲でした。続く→
→ 沖縄県外に住み、沖縄に基地負担を強いている私たちは、白人の立場。 あなたなら、どれを選びますか。 ・黒人の横に座る ・嫌がらせをする ・見て見ぬフリをする もちろん見て見ぬフリは、黒人にとって嫌がらせと変わりません。→
Twitterにて紹介されていた写真です。 黒人を差別する”白人専用”の店。 そこにあえて入店し、抗議して座る黒人。 隣に座る白人男女も抗議の賛同者です。 しかし取り囲む差別者達は、彼らに飲み物をかけて嘲笑。 沖縄の基地反対運動に対し、ネットで行われている冷笑がまさにこれです。 続く→
沖縄・辺野古の基地問題/反対運動について知りたい方(または何か言いたい方)は、まずはこちらの本を。 辺野古で20年に渡る現地調査を行い、書かれたルポです。続く→ twitter.com/mameshobo/stat…
朝ドラ #ちむどんどん を見続け、#ちむどんどんまめ知識 を投稿し続けて半年。 最終回を終えて、様々な想いが胸に去来します。 登場人物の中で私が気になったのは、和彦でした。 沖縄県外に生まれ、沖縄の事を知ろう・伝えようとした人物です。 そんな彼に、最後に手紙を書いてみました。
→ 後に捕虜となった鹿山隊長と、久米島出身の兵士らが収容所で出会い、故郷での虐殺を知った人々が、怒りのあまり隊長を殴ったという証言も。 巻末には、沖縄戦で亡くなった久米島住民1,100余名の氏名が。 「国家・軍隊」に身を焼かれ未来を奪われた人々が、無言で何かを語りかけてくるようです。
→ 鹿山隊は玉音放送後も投降せず、戦争終結を知らせた人や朝鮮人などを妻や子どもまで含め斬殺し、家ごと火をつけ焼きました。 また教員と偽り島に住み、住民を監視・摘発した日本軍諜報員の存在も明らかに。 軍は自分達のスパイに住民を監視させ、一方で住民を敵のスパイと疑い殺していたのです。→
先日、Eテレでも取り上げられた「久米島の戦争」。 沖縄戦で久米島に駐屯した日本軍・鹿山隊が、住民20名をスパイ容疑で殺害した事件です。 こちら「沖縄戦 久米島の戦争」は、島の人々の証言や戦跡の写真・地図などから、当時の出来事を浮かび上がらせる一冊。続く→
今日の #ちむどんどん で、鶴見の県人会長・平良三郎の気になる発言。 “俺の親父は…俺には沖縄の言葉を一切使わせず…” 沖縄出身者のリーダーとして鶴見で仲間を助けながら、息子に沖縄の言葉を禁じた父。 そこにはどんな想いがあったのでしょうか?…続く→ #ちむどん #ちむどんどんまめ知識
→ 戦前・戦後にかけ、本土へ移り住んだ沖縄の人々は、様々な差別にあいました。 就職や銀行の融資を断られる、下宿探しや飲食店でも疎まれる、言葉使いを馬鹿にされたり結婚に反対される。 せめて子どもが差別されないように、苗字を日本風に変えたり標準語を徹底させた親もいたのです。→
今日の #ちむどんどん より、自身の沖縄戦体験を語る、嘉手刈源次氏。 短いシーンながら、大きな存在感を示しました。 ガマ(洞窟)で遺骨収集を行う氏ですが、実際に今も沖縄で遺骨を掘り続ける人がいるのをご存じでしょうか? その方は…続く→ #ちむどん #ちむどんどんまめ知識
終わっていないわけ…ウチの戦争は! 今日の #ちむどんどん は、優子のセリフが全てでしょう。 沖縄には、戦争の体験を誰にも語れず、心に秘めてきた方々がおられます。 それはあまりにも悲惨だったり、罪の意識に苛まれていたり、心の傷が大きすぎるから…続く→ #ちむどん #ちむどんどんまめ知識
「戦争マラリア」をご存知ですか? 沖縄戦時、八重山・宮古諸島の住民がマラリアの発生する僻地へ強制的に疎開させられ、八重山だけで3,600名以上がマラリヤで死亡。 この地域での米軍の攻撃による被害を上回る犠牲者を出したのです。 比嘉慂の漫画集「カジムヌガタイ」にも、この話が。続く→
→ “友軍”にさえ危険を感じ、息子を守ろうと女装させた父。 たとえ少女だろうと殴りつけ、食糧を奪った日本軍。 血のついた服を着せ、演出して写真を撮った米軍。 戦争とは単に兵隊同士が撃ち合うとか、空襲から逃げるだけではない、もっと凄惨で醜悪な物なのだと、この”少女”の写真が伝えてくれます。
→ 写真で腕を釣り目がうつろなのは、食糧を奪おうとした日本兵から暴行を受け、肩を脱臼し目や頭に大怪我を負ったせい。 また血にまみれた服は、壕に脱ぎ捨てられた物を米兵が持参、写真を撮る前にわざわざ着せたのでした。 (大田昌秀著「沖縄戦を生きた子どもたち」より) →
→ こちらは1945年6月21日に米軍が撮影した写真。 大田昌秀著「これが沖縄戦だ」の表紙になり、”うつろな目の少女”として有名に。 しかし大田氏は後に、生きていたこの少女と面会、実は男性だった事を知ります。 日本兵から手荒な事をされぬよう、親の指示で髪を伸ばし、少女に扮装していたのです。→
今日は6月23日、沖縄「慰霊の日」。 しかし今週の #ちむどんどん に沖縄戦の話題は一切無し。 そして今日の最後の写真コーナーがこれ。 画面全体から伝わる ”言い訳感・他人事感” に、言葉を失いました。 ならば私から、沖縄戦の写真を1枚ご紹介します。続く→ #ちむどん #ちむどんどんまめ知識
→ また開会式出席のため訪沖した明仁皇太子と美智子妃が、ひめゆりの塔で過激派から火炎瓶を投げられる事件も。 開催地の本部町はやんばると近いので、歌子がコンパニオンに挑戦する・賢秀が変なグッズを売る・開会式を演出した金城哲夫(ウルトラマンの父)が登場…などの展開を期待したのですが…。
→ 「EXPO’75 沖縄国際海洋博覧会」は、”海ーその望ましい未来”をテーマに36カ国が参加、1975年7月~翌年1月まで開催された、国を挙げての一大イベント。 道路・ホテルなどの大規模工事と集客・物販による経済発展が狙いでしたが、来場者数が伸びず、結果的に不況や環境破壊などの問題を残しました。→
朝ドラちむどんどん、今週月曜から1974年となり、金曜の回に突然76年まで飛びました。 つまり1975年は丸ごと省略した、という事のよう。 しかし沖縄ではこの年、大きな出来事があったのですが…。 そう、沖縄海洋博です。続く→ #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識
大変ユニークな本が入荷しました。 こちら「めんそーれ!化学」は、沖縄の夜間中学で化学を教える著者が、その授業の様子を綴った本。 生徒は沖縄戦で学校に通えなかったおばあさん・おじいさん達。 彼らは化学の授業中、先生の話から戦後の暮らしを思い出し、語り始めるのです。続く→
→ それでは、製作者と同じヤマトゥンチュー(日本人)の一人として、あまりにも情けなく恥ずかしい。