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「時間を巻き戻せるなら、あの日あのままゴールしたい。そして世界中の競馬場で、心地いい風を感じたかった。」(YUTAKA TAKE THE 30th ANNIVERSARYポスターより引用)
#サイレンススズカの話をしよう
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1998年11月1日、第118回天皇賞(秋)15時35分
1枠1番、1番人気 サイレンススズカ 武豊
「君はスピードの向こう側を見ることが出来たのだろうか…」(引用:サイレンススズカ スピードの向こう側へ…より)
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今年もみんなの事、見守ってくれてありがとね。
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1998年11月1日、夢に見て。
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その知らせは最終レース後の場内アナウンスで伝えらた。
「左前脚手根骨粉砕骨折により安楽死」。
1998年11月1日、秋の天皇賞にてサイレンススズカが残したものは何だったのだろうか、我々が彼に残せたものは何だったのだろうか、23年経っても未だ、答えは出ない。
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あの秋の府中を想い出して。
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宝塚記念で念願のGⅠタイトルを手に入れたサイレンススズカは、秋初戦に毎日王冠を選ぶ。13万人の観衆が見守る中、エルコンドルパサーとグラスワンダーとの3強対決を制した彼は、最大の目標である秋の天皇賞へ駒を進めるのであった。
誰しもが願っていた、その勝利を。
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1998年バレンタインS、ある1頭の馬が本格化の兆しを見せた。
彼の名はサイレンススズカ。5歳になるまで重賞未勝利だったそんな折、前走香港国際C5着から引き続き鞍上に迎えたのは天才武豊騎手。OP特別の為だけに東上した相棒を背に連勝街道の1歩を歩みだした。
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豊さんはパドックであまり馬を撫でたりしない印象があるのだけれど、サイレンススズカの秋天では鼻筋をひと撫でしてから騎乗していた。サイレンススズカも待ってたよ、と言わんばかりに豊さんの動きを追い、擽ったそうに馬体を揺らしていた。何時までも忘れえぬ光景。
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中山記念1着からその年3戦目、中京で行われた小倉大賞典。ついに挑戦する側からされる側へとなったサイレンススズカに課せられたのは57.5kgのトップハンデ。1000m57秒5のHペースを物ともせずコースレコードをコンマ1秒更新する圧巻の勝利、ついに才能は覚醒する。
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「最高の状態、負ける筈がない」と陣営が豪語した金鯱賞、結果は周知の通り。観客から拍手と大歓声に迎えられながら前半58秒1、後半59秒7のレコード大差勝ち、武豊騎手の「今日のサイレンススズカならどんな馬が出てきても負けないんじゃないか」が全てを物語る。
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バレンタインS1着から中3週で迎えた中山記念。
イシノサンデー等を押さえ1番人気に支持されたサイレンススズカ、それでも未だ挑戦者の立場。道中大差を付けながら、直線は内にモタれ手前替えにも苦労し右回りへの課題を残しつつ念願の重賞初勝利、連勝を2に伸ばした。
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金鯱賞1着から迎えるのはグランプリ宝塚記念。エアグルーヴへの先約の為、武騎手から南井騎手に乗替と初の2200mが不安視されオッズは3倍近くに。道中は1000mを58秒6と得意のHペースで逃げ、ステイゴールドの猛追を退け歴代2位のタイムでついにGⅠの栄光を勝ち取った。
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