すでに投票を済ませた人にも、これからの人にも届けたいな、と思い、綴りました。私たちの体は、「国益」のためのものではないし、「生産性」のために生きているわけではないはずだから。読んでもらえたら、嬉しいです。 《子どもを産まないことは“不完全”なのか》 d4p.world/news/17628/
この供述、学校関係者のみならず、コリアルーツの人々に恐怖を植えつける呪いのような言葉。こうした時こそ自治体や政府が差別に明確に「NO」を示す必要がある。公権力の沈黙は「無害」ではなく、差別する側に「これぐらいやっても黙認される」とお墨付きを与えてしまうから。 mainichi.jp/articles/20220…
そして、またも。エッセイにも書いたけれど、社会の側の支えが不十分にも関わらず、少子化がまるで女性たちの責任であるかのように語るのは筋違いだ。女性の寛大さの問題にすり替える前に、打つべき政策を打ってきたのか、自らを顧みるべき。 digital.asahi.com/articles/ASQ75…
書くのに少し勇気が必要でしたが、たくさんの声をありがとうございます。自民党・二階氏が、子どもを産まないのは「勝手な考え」と語っていたけれど、私は自分の体を「国益」のために差し出した覚えはないし、今後も差し出したりしない。その意思を込めて、投票に臨みます。 d4p.world/news/17628/
「選挙運動」という建前でヘイトを繰り返す候補が後を絶ちません。本日7月6日(水)21時からの「Radio Dialogue」は、長年差別やヘイトスピーチ・ヘイトクライムの取材を重ねてきた安田浩一さんをゲストに「選挙運動とヘイト、参院選の争点」を考えてます▶ youtube.com/watch?v=Ku7cvM… #d4p
ここにも書きましたが、子どもを産まない=“不完全”であるかのように人を扱う政治家は、婚姻や出産、子育てを、個々の人権としてではなく、最初から「国益」という大きな文脈でしかとらえていないと思う。私たちは、経済を回すだけの「駒」ではない。子どもを産む「機械」でもない。人間の話をしよう。
自民党公約には多文化共生を掲げながら「適正な出入国在留管理を徹底」と記されているけれど、今必要なのは適正化と称してただ監視を強めることではなく、「透明化」ではないかという安田浩一さんの指摘。入管収容もいまだ"ブラックボックス"状態。アーカイブで聴けます▶youtube.com/watch?v=Ku7cvM… #d4p
「選挙運動」を建前にヘイトを繰り返す候補が後を絶たない。命にも関わる問題のはずなのに、なぜ対策が進まないのか、その理由が浮き彫りになってきたように思う。与党・自民党側からも差別発言が繰り返されている今、ヘイト対策が自分たち向けられれば不都合なのだと思う。 youtube.com/watch?v=Ku7cvM…
安田浩一さんが、差別を許さない候補者は、他の困難を抱える人々の問題にもしっかり取り組む候補者であるはず、と指摘していましたが、大切な視点だと思う。逆に差別発言を繰り返したり、差別を黙認する候補者が、その他の問題に真摯に取り組めるとは思えない。すべてはつながっているから。
この点について、補足です。例えば、有機農法やオーガニック食品などに興味があり、力を入れているように見える政党を探したとして、その政党が差別発言を繰り返し排外的なスタンスを崩さないのであれば、「持続可能な社会」を築くことはできません。自分の投票軸と合わせて、慎重でありたい点。
こうした「選挙運動」の皮を被ったヘイトに、メディアも及び腰であってはならないと思う。差別を黙認した上で成り立つ「公正な報道」などないはずだから。
昨年書いたものですが、投開票日前の届けたいと思い再掲。女性差別に声をあげると、 「男性だって辛い」 「男性の辛さをまず理解ようとするべきだ」 という言葉が跳ね返ってくることがある。自分の中の「特権」を認める、とは。 d4p.world/news/17602/
「検証なしに信じたくなってしまう心理をたくみに利用」する参政党の危うさについての考察。自然主義や子育て政策を打ち出し人を取り込みながら、ここに書いてあるよりもずっと排外主義、差別を内包していると思う。そしてその危険性は、十分に伝わっていないように思う。 jeffrey.tokyo/blog/?p=57
かつての私は、自分が「日本人」であることを疑わず、日本社会で「マジョリティ」でいる限り、差別やヘイトの問題を考えなくて済んだ。朝鮮半島にルーツを持つ人々がどんなに差別や攻撃を受けていても、背を向けていられた。それこそが私が有してしまっていた「特権」だった。 d4p.world/news/17602/
この社会に必要なのは、暴力で口をふさぐことでも、まして命を奪うことではありません。無事を祈ると共に、民主主義を保ちたい、という意思を込め、投票に向かいます。
演説に集まっていた方、関係者の方で、ほかにケガをされた方がいないかも気がかりです。負傷していなくても、こうした現場を目の当たりにすることは、心に深い傷を残してしまうはず。そうした方たちが、「自分が弱音を吐いている場合ではない」と心を押しつぶすことなく、ケアにつながりますように。
ネット上にはすでに「犯人は在日」「日本人じゃないに決まってる」という声が。犯人の出自がどうあれ、属性をことさらに強調し、凶悪性と結びつけて語ることが、社会の中でどのような影響をもたらしてしまうか、誰を脅かすのかを考えてほしい。「正義感」で拡散しそうになった人も、一度立ち止まって。
暴力に抗い、民主主義を保つ意思を、ここに示します。また、犯人の出自、属性に関する憶測が飛び交っている事態に危機感を抱きます。書き込んだり、拡散する前に、「再考」を。それが、暴力の連鎖を止める一歩です。 d4p.world/news/17737/
加えて気になるのは、演説へのヤジを排除したのは「表現の自由侵害」という札幌地裁判決を引き合いに、「だから、警備が手薄だったんだ」とする声。安全のためにも、事件の検証は尽くされるべきですが、多くの人が不安を抱く中で今後、本来の「自由」が過度に制限されないかも慎重に見たい。
そして、この記事の中にも書きましたが、負傷していなくても、こうした現場を目の当たりにすることは心に深い傷を残します。遭遇してしまった高校生など未成年に、事件を思い起こさせるような質問をメディアが投げかけたり、それを記事・番組で流すことにも、慎重でなければと思います。
SNSに溢れる情報や、テレビで繰り返される銃撃時の映像に、苦しくなってしまっている方々へ。一度そうした情報から離れることも、大切な選択です。後ろめたさを感じる必要は全くなく、心身を守るために必要な選択です。
短い記事だけれど大切な視点。ウトロ地区でのヘイトクライムなどを、社会が放置、容認してきた背景。浩一さんの話をさらに的確にタイトルにするなら、「差別の容認」が「暴力の容認」につながる、ということだと思う。 mainichi.jp/articles/20220…
「批判したから加害が起きた」と結びつける言動が後を絶たない。脅迫や差別扇動があってはならないのはもちろんですが、一概に「批判」を否定することこそ、民主主義社会の否定です。
一部候補者から響く「この国は日本人のもの」という言葉。差別に声をあげれば「嫌なら出ていけ」と返ってくる。仮に本当に、出て行ったとしてみる。結局「嫌なら出ていけ」というマインドが変わらない限り、残った人たちの中でまた、形を変えた排斥が繰り返されるはず。そういう社会を、私は望まない。
なぜか奈良県立医大病院に”クレーム”の電話をしている人たちへ。そこで働く人たちを、あなたの感情のはけ口にしないで下さい。それは何にもつながらないどころか、病院関係者の心身に負担でしかない行為です。