以前も沖縄ご出身の方に教えて頂いた、「ちむぐりさ」という言葉。「肝苦りさ」と書く。単純にかわいそう、たいへんね、という意味ではなく、「あなたが悲しいと、私も悲しい」という共感の言葉なんだ、と。 d4p.world/news/3038/
昨年の入管法政府案は当初、あっさり通されてしまうと思われていた。廃案の背景には様々な要素があったにせよ、抗議のシットインの場で持ち寄られた声は切実なものだったし、「無駄」ではなかった。自らシットインを企画した当時の高校生が、「私には声がある」と伝えてくれたことは忘れない。
ヘイトスピーチの問題を発信していても思うことだけれど、声をあげづらい、矛先を向けられた当事者に対し、問題の本質を知ろうともせず、ただ「安全地帯」から「そんな言葉じゃ分からない」「俺が分かるように説明してみろ」とさらに消費してかかろうとする態度は、暴力的なものでしかない。
誰かに「寄り添う」を掲げる前に、自身の言動が誰かの苦しみを生み出していないか、もしくは踏みにじっていないか、という視点は常に持っておきたい。
以前出会った沖縄出身の大学生が「東京に来て、6月23日が何の日か知られていなくて驚いた」と話してくれたことを思い返している。私も大学生のときに、「沖縄慰霊の日」とすぐ答えられただろうか。当時は戦火、今は基地負担、そして無関心――構造的な問題は変わっていないように思う。
あるとき、通りがかりの男性が、知的障害のある人を、差別用語を使ってせせら笑った。小学生だった私は、何らそれに反応も反論もできなかった。そんな「引っかかり」が、皆さんにもないだろうか。冷笑や蔑みを、「受け流してしまった」という後ろめたさや、悔しさ。 note.wowow.co.jp/n/nf5651062300c
読みながら、BPOに人権侵害が認定された「ニュース女子」の話かと思ってしまった。大きな違いは、AbemaTVがBPOの審査対象外であるということ。「自由な放送」と「なんでもかんでもやっていい」は違うはず。 twitter.com/seijifujii1965…
こんな理不尽な「見せしめ」のために、大切な人生の時間をむしり取っていくのか。一刻も早い釈放を求めます。もちろん、不当拘束されているすべての人々を。 「不当な判決」ミャンマーで拘束の久保田徹さんに7年の禁錮。判決に強い非難の声 buzzfeed.com/jp/sumirekotom…
「差別ともとれる」という奥歯に物が挟まったような表現が気になるけれど、NHKも報じた。”染色体”云々まで持ち出して”日本人”の”血統”を説き、他のルーツの人が劣っているかのような言葉をわざわざ引っ張ってくる態度、優性思想を思わせ、最初知ったときぞっとしたほど。 www3.nhk.or.jp/lnews/shizuoka…
被爆者差別のみならず、民族差別をかけあわせた書き込みをする側が問題であることはもちろん、それを放置し、取材に反応すらしないプラットフォームの責任も思い。 twitter.com/kyodonohate/st…
ひろゆき氏に限らず、踏みにじってはばからない側はよく、”にやにや”している。それは”にやにや”としていられる余裕、マジョリティとしての「特権」のある側だからだと思う。そんな暴力的”にやにや”がはびこる空気感を、少しでも変えていきたい。冒頭でお話しました▶ youtube.com/watch?v=SCNTZ0… #d4p
「戦没者の血が染み込んだ土砂を、新たな基地を作ることに使うこと自体、戦死者への冒涜だと思うんです」 なぜ、沖縄戦で犠牲になった人々の遺骨がまじっている可能性のある土砂で、海を埋め立ててまで、辺野古基地建設を続けるのか。 d4p.world/news/10183/
ABEMAの番組を見る前にぜひ、辺野古で何が起きようとしているのか、遺骨捜索の現場が今どうなっているのか、観てみて下さい。外から来た人間が屁理屈を投げつける前に、真摯に耳を傾けるべき声がある youtube.com/watch?v=LrY-br… #d4p
主張が滅茶苦茶であっても屁理屈でしかなくても、言葉をねじ込んでねじ伏せれば「勝ち」とする態度が量産されている限り、子どもの世界からいじめをなくすことも難しいのでは、と思うことがある。そうした態度が「正解」であるかのように伝えてしまうメディアの責任も重い。
座り込みの現場に来て、わざわざ嘲笑うような発信をする人物が問題であることはもちろんのこと、後ろからカメラを構えてついていき、そうした態度に「お墨付き」を与え、煽りに加担するメディアも、その暴力性を自覚する必要があると思う。
深沢潮さんの小説『海を抱いて月に眠る』をもう一度、読み返そう。親戚、家族から疎まれ亡くなった在日一世の父親、そんな父を葬儀の日に悼みに来た見知らぬ人々――手記とともに父の軌跡をたどると、思いもよらない顔が見えてきた、という物語。歴史に翻弄された人々の、生きた声が聞こえてくる。
韓国取材から帰国しました。私が中学生のときに亡くなった父は、一切のルーツを語らなかった人でした。多くの方の協力で、今回ついに、父方の親族と対面しました。一方、若くして亡くなった祖母の足取りは、いまだつかめないままです。短いものですが、帰国報告を掲載。 d4p.world/news/18835/
写真を撮ったのは、はとこの一人の仕事場で。絵本の取り次ぎがお仕事、というのも、ご縁を感じます。
これまで、父のルーツをたどる旅には、多くの方が我が事のように親身に相談に乗って下さり、協力して下さいました。その全てが、私の財産です。旅の原点はこの記事にまとめていますので、よろしければぜひご一読下さい。そして、道のりはまだ、続きます。 d4p.world/news/8032/
【ご報告】これまでも書いてきましたが、父が在日コリアン二世だと知ったのは、父の死後でした。家族について一切語らなかった父のルーツは、長らく謎に包まれたままでした。そして、多くの方のご協力あって、父方の祖父の親族が見つかり、韓国・大邱で私のはとこ、父のいとこと今日、対面しました(続
安倍元首相の国葬はすでに執り行われましたが、「終わったからもういいだろう」ではありません。そこに至るまでの意思決定のあり方、その行い方にどんな問題があったのか、「丁寧な説明」という名の「一方的説得」ではなく、徹底的な検証が求められてくるはず▶ youtube.com/watch?v=FhngWq… #d4p
《国葬をやろうという人々からは、説得力のある説明も聞こえてきません。国民的合意を得る必要性、国民に対する畏れを、政権を担っている人々が感じていないということを示す決定だと思います》 d4p.world/news/18281/
たとえ、国葬がそのまま執り行われたとしても、それは批判の「幕引き」ではありません。そこに至るまでの意思決定のあり方、その行い方まで、「丁寧な説明」以上に、徹底的な検証が求められてくるはずです。
コロナ禍になり、意思決定のあり方や政策にどう声をあげていくのかが、どれほど生活と命に直結するのかを、より多くの人が実感したのではないかと思う。それでも「アベノマスク」は配られた。けれども批判の声があがらなければその後、「お肉券」「お魚券」と商品券が乱立していたかもしれない。
国葬について「もう決まったことだから」「まだ反対してるの?」「空気よみなよ」といった言葉が飛び交う。「決まったことだから」と無批判に権力側の決定を受け入れ、思考を止めてしまうことこそ、民主主義を機能不全にすることでは。硬直した「空気」にはむしろ抗いたい、と思う。