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昔、大陸戦線にいた今90代の人が「日本語も支那語も漢字使ってるしだいたい通じるだろ」と思い、中国人の現地協力者に「油断大敵」と激励書いたら笑い始めたそうで、通訳に訊ねると、「中国語だと『料理用の油を切らすな』みたいな意味になりますよそれ」と言われたという話を唐突に思い出した。
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九州の山奥、いくらなんでも時間が止まり過ぎている…。感涙。
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お爺さんは語る。
「このあたりは戦争終わったくらいまでは何年かに一回、向こうの利根川から水が溢れて大洪水になるのが当たり前だったんだ。だからここらの家は舟を置いて、洪水になったら家財道具と家族を乗せてやり過せるようにしていた。うちの先祖の命があったのはこういう舟のおかげなんだ」
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仲良しのネコが死んで遺体になったら威嚇し始めるネコか…。これ、もしかしたら昔の人が死体を恐れていたことと同根のものじゃないか。日本でも縄文時代からついこの間の昭和まで、死体を恐れる風習が根強くあった。たとえ肉親や思い入れのある人物の「遺体」でも、忌避、恐怖の対象だった。(続く)
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本当に北国民の「暦」との感覚のズレは絶望的だ。たとえば卒業式や入学式の「桜」だ。「なんで3月4月に桜咲いてるんだろう。桜は5月に咲くものだろ…。そうか!これは『日本人が門出の場でこうであってほしい』と願う心象的風景なんだな!武士道!九段!」と本気で思っていたくらいなのだ。
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関東地方のとある山間部に残る、ひと気のないお寺。そのお堂の奥へ向かう階段には、人の体や腕、脚の形をした金属製の人形(ヒトガタ)が並ぶ異様な光景がある。雨が降りしきる暗い森の中では恐ろしさすら覚えるが、これは参拝者が体の健康や快癒を願って奉納したものだ。
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「都会の孫に故郷の風景画を」
過疎地らしい悲しい売り文句だ。けど、孫世代にとってそこはすでに「故郷」ではなく、親に連れられて行った先の「異郷」だ。大きな木造家屋や長いお葬式なんかがある「懐かしい土地」だ。そして彼らは先祖たちの故郷へはほとんど戻らない。悲しい…。
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「今はもう川の水が溢れることもなくなった。でもオレの目の黒いうちはこの舟は残しとくつもりだ。あんたみたいに若い者はそういうのも知らんからなあ。あんた北海道の人か。そらなお知らんよな。物残すってのはそういうもんだよな」
お爺さんの目はなんとなく暗かった。たぶん昔何かあったのだろう。
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