さすがにそれは盛っとるやろ?
あの『映像の世紀』が8月3日から再放送されると聞いて歓喜している。歴史好きやミリ好きでなくともぜひ一度見て下さい。20世紀の世界の歩みと人類の栄光と愚かさが全10集にまとめられた、NHKドキュメンタリーの金字塔的作品です。この作品の何が好きって当時の手記から引用された逸文の秀逸さですよ。
・0.1t以下制限 近畿地方に存在する、おそらく日本で一番軽い数字の重量制限標識。古い橋には5.5tなど車両重量制限を示す丸い標識があるが稀に1t以下のがあり、中でもこれは最小の重さ。吊り橋とはいえ100kgとかバイクはむろん人間でも制限引っかかるヤツいるぞ。ここ以外で見たことがない破格の数だ。
ミーム汚染とは恐ろしいもので、私はすでに「ある男の娘」という文を見れば「あるおとこのこ」と読み下してしまうし、「イヤー!!!」はニンジャスレイヤーだし、「お兄さん許して!」は甲高い中年男性の声で再生されてしまう身体になっている。
すぎやまこういち氏、森繁久彌氏、藤村俊二氏、笹野高史氏、桂歌丸氏あたりは、子どもの頃に見た初期状態が「おじいさん」だったおかげで、「おじいさんの姿をした不老不死の存在」だと思っている節があった。
定期的に話題になる新千歳空港の「道外民 嘆きの壁」かなり好き。
JR北海道で昆布から昆布盛にしてもらえる券を買った。
母「これ、あんたから孫クンにってことにしとき(1万円)」 私「お、おう。おーい孫クン、お年玉やぞ(5000円)」 父「おー孫クン、タカシからいくらもらったんだ?」 孫「3000円だった🥺」 父「なにぃ!? 2万円渡したのに!😡😡😡」 これ大好き
この江戸期〜戦前期のアサガオ研究は本当にすごい。江戸期のアサガオには「黄色いアサガオ」があったことがわかっている。黄色い花のアサガオは青いバラのように本来ありえない色なのだけど、江戸期にはそれが存在した。その後失われた黄色いアサガオは、最近、遺伝子操作でようやく再現させられた。
夜に新幹線に乗っていると、名前も知らない土地の夜景がつぎつぎ車窓に流れていって、「この光の向こうにこの光の数だけそれぞれ人の人生だとか家庭だとか土地の歩んで来た時間があるんだよなあ…」と寂しいような暖かくなるような不思議な感覚に包まれる。旅をよくするようになって、ずっとそう…。
ある山奥の谷間にかかる藤花の橋。病気で体が不自由になった旦那さんのため、奥さんが家から見える位置に藤を植えたものがこうなったのだとか。別の用事で向かった集落で、現地の人に教えてもらった場所なのだが、こんなに雨が似合う風景もないと思えた。 262/365 #斜陽暦
「特定の道や橋、手段を使わないと入れない土地」に憧れる(四国にて)
北海道の滝野霊園っていう場所なんですが、丘の上にモアイ並んでるし、なぜかストーンヘンジとかあるし、奈良公園のシカっぽいブロンズ像がいるし、今にも起動しそうな大仏が格納されてたりするしで、ぶっちゃけ霊園っていうよりなんでもありの宗教カオステーマパークって感じなのでおすすめです。
「AIに『ひなびた温泉街』の絵を描いてもらったらたぶんこう」って感じの一角を見かけた。強い…。
山形県民が芋煮に命かけてるのは聞いていたが、座ると自らが芋煮の具になれるベンチがあるレベルで好きなのね。
4年前、長野県内のある廃醫院を管理していたおばあさんに「あんたそんなに調べるのが好きだったら、私の父が撮った写真にどこだかわからない場所があるから探してほしいよ」とお願いされた古写真がある。 見つけたわ。
三重県津市の農村部で10m近いクソデカ灯籠を見かけた。気になって地元の人に訊くと「江戸時代に滋賀の豪商が伊勢神宮へ寄進するのに運んできた。でもここで荷車が壊れた。重すぎて皆疲れてたから『もうここでええ』って話になって置いて帰っていった。以来ここに200年建ってる」とか。おおらか世界…。
とある農村部を歩いていると、見慣れない円型郵便ポストを見かけた。住人に訊ねると、戦争が激化した昭和10年代、金属不足のため陶器などで製造された「代用品」の一種で、当時の逓信省がコンクリートで作ったポストだと語られた。しかも、現役のものは国内でこれが唯一なのだと…。 232/365 #斜陽暦
「怒る」「キレる」のにも訓練がいる。いや、正確に言えば、「正直な感情を他人に発現する」と表現した方がいいだろうか。特に家族、あるいは社会や集団の中で抑圧され続け、「自分が我慢すれば全部丸くおさまる」と考えるタイプの人ほどこの訓練がうまくいってない。
広島県の帝釈川ダムの「…どうやって作ったのこれ」って配置、かなり好き。何この壁っぷり。
これ本当そうなんですよ。中国山地は「全体的にながらかにすべて山」というのが大きな特徴で、どこに行っても人がまんべんなく住んでいて、小さい集落が銀河や星間物質の分布構造のように連なっている。こういう山地であってもどこに行っても人がいる土地は国内ではほかにない。
香川の宇多津町にあるオッペン化粧品のネオンサインを、四国最強の昭和文化の遺産だと思っている。
四国でほっかほっか亭が今も元気に存続しているのを見るたび、「かつて大陸で栄えた種が他種との競争に敗れ、海で切り離された島嶼部や遠く離れた大陸でのみ生き残っているタイプの生物みたいだ…」ってなってる。
北関東の今は解体された廃医院で、慶応元年生まれの人のカルテを見たことがある。昭和17年受診のものだった。確かに当時なら決して少なくはなかっただろうけど、それでも1865年→1942年で満77歳なわけで…。