交換列車待ちでちょっと降りられた駅がとてもとても長野していて、「人生の夏休み」を感じている。ああ…旅はいい。旅がないと私は生きられない。そして、やっぱり長野県は四方八方すべてが山に囲まれたその中で人の世界があるこの「神の箱庭」のような感覚が素敵だなあと思う。
Q.だから「もさもさ降る」ってどういう状態やねん A.これ(名古屋駅構内入線前停車中に撮影)
とある城下町の旅館にある地下水路。女将さんは今でも畑で採れた野菜の土を落としたり水やりに使ってるとな。こういう一風変わったモノにとてもとても心惹かれるのじゃぁ…。
ミチキリで有名なものは、道祖神や塞の神という道脇に立っている境界の神様だろう。道を介してウチへ入り込もうとする悪いものを退ける、脳の血液関門みたいな神様だ。甲信地方の男女が並ぶ双体道祖神、秋田県の巨大な藁人形「カシマサマ」、近畿地方の村の境に縄を張る「勧請縄」もミチキリ民俗だ。
『It's My Life』という世界的ロックアーティストの代表曲のサビに対して、日本人だけは問答無用で「ヤーーーーーーッ!!!!!!!」って声が脳内再生されるようになったの大好き。
崩壊した廃バス停。九州山地の片隅で見かけた半分崩れた小屋。その正体はバス停の待合小屋だった。路線が廃止されたから廃墟になったのか、屋根が崩れたから使われなくなったのか、それはわからない。過疎化の現実を叩きつけてくる一幕である。崩れた屋根の間から時刻表やベンチが覗いていた。
社殿を窓越しに覗いてみると、壁に古めかしい扁額が見えた。これこそ『蒙古襲来絵詞』の御家人の横に描かれた塩屋の松。敷地内の石碑や伝承によれば「埴安神社の『塩屋の松』は幹回り大人六人で囲うほどである」「明治中頃に塩屋の松は枯れてしまった。その材を使って記念にこの扁額を作った」と言う。
私が知っている京都。私が住んでいた京都。京都にだって「日常」はある。
電柱が立つ干潟の夜明け。語彙力が「…きれい」しかなくなる。それほどきれい…。
長崎空港、正規空母説 大分空港、ヘリ空母説
性別がどうこうとか未成年がどうこうの以前に、売り子を直接面識がない人に頼むって、「金銭管理」、「安全管理」、「個人情報管理」、「健康管理」のすべてにおいて問題抱えてるリスクの数え役満だと思うんだけど…。
(またこの人、山奥の古民家に住んでるおばあちゃんに昔話聞いてる…)
「チワワ」を間違ったんだろうなあ…と思ったら本当に「チクワ」だったペットショップ(地名が「竹和」らしい)
「昔は今より生と死の境い目が曖昧だったのかもしれない」 この領域に足を踏み入れて、そう思うようになった。答えはまだ出ず。出る話でもない。なので明日もまた野を歩く。楽しいぞ…。
同じ階層が連続してたり、旧字体の「神」だったり、ホテルとホテルの間に鳥居がいきなりあったり、夕暮れの色味がAI感強い。「和風 ひなびた温泉 さびれた街並み ホテル」とか呪文で出力されそう。やはり旅はいい…。
ホー↓ホー↓ ホッ↑ホー↑ ホー↓ホー↓ ホッ↑ホー↑ ホー↓ホー↓ ホッ↑ホー↑ ホー↓ホー↓ ホッ↑ホー↑ ホー…
四国の旧街道に佇む廃銭湯。特徴的なシルエット。 333/365 #斜陽暦