・西南限のオシラサマの話 東北地方には「オシラサマ」という神様を祀る家がある。馬と人間の娘一対の木像で、養蚕や農業の神様とされている。今日1月16日はオシラサマの祭日で、供物を捧げ新しい着物を着せたあと祭文を唱えるという。岩手県遠野市の御蚕神堂には千体のオシラサマが納められている(続)
冬の青森といえば、温湯温泉にある後藤温泉客舎さんは世に多くある「ひなびた旅館」の中でも最強格のひなび具合だった。浴室のない木造平屋造りで、外にある共同浴場へ入りに行く古い湯治スタイルを今にまで残す宿だ。これは北国が最高にひなびた雰囲気を放つ冬場に、そんな湯治宿へ行った話です(続)
明治築の廃旅館の柱に貼られたままの「喼急如律令」のお札。キョンシーの頭に貼ってあるお札と同じものと言えば通じやすいと思う。「喼急如律令」はもともと古代中国の公文書に使われていた定型句が道教の方士が使うようになり、日本でも陰陽道や民間の魔除けの呪術やお札に使われるようになったもの。
いまや全国チェーンになった北海道のドラッグストア、ツルハだが、旭川市内には創業1号店時代の看板が今も残ってたりする。70年代に株式会社に改組した頃のものと思われる。
素敵な農村なのに、3割側の人間には情報量が多い既視感が脳内を襲う場所。2019年のそんな場所。
同人誌やグッズ制作するようになると、こういう箱を見たとき「印刷費めっちゃ高そう。箔エンボスにホロ加工って…ヒェ」とか思うようになってしまう病を発症しがち(それより早く風邪治せ)
昨年2022年は明治維新から太平洋戦争終戦の期間と戦後の期間が77年間、ちょうど釣り合う年だった。昭和17年に受診したトラさん…ちょうど私たちが戦中に生まれた人を見るような感じだったのかなあと思うが、たった150年ちょっと前が江戸時代だったと思うと不思議なような恐ろしいような気がする。
明治期の日本酒の銘柄調べてたんだけど、「○鷹」「○正宗」みたいないかにも日本酒な名前に混ざって「総理大臣」「憲政」とか政治由来の名前もあるのが時代を感じて面白い。当時は目新しい言葉だったんだろう…でも憲政なのに剣の意匠にしてるのが根本的にわかってないの感じて好き(武断政治かな?)
寝ようと思ったのに久々に「『はだしのゲン』の強さランキング」が目に入って笑いが止まらなくなっている。他の強さ議論だと笑うような話じゃないのになんではだしのゲンの強さ議論だけこんなに面白いんだ。
ちなみに日本で人口1千人あたりの喫茶店の数が最も多いのは実は高知県である(あの愛知県でも4位) 理由は①朝早い漁師さんのモーニングのニーズが大きかった②女性が稼げる職業として需要が高かった③孤立した地域が多いので娯楽の場が必要とされたからとされる。高知のサ店文化、面白いぞよ…。
終戦の日になるたび、太平洋戦争中徴用された200隻近い自社船舶を沈められて、その分の補償金も「もちろん払うよ。ただし補償金に対して100%の税率でお金取るよ(要するに「びた一文払いません」の意)」って法律通されて、政府への恨みが天元突破した日本郵船のこと思い出してる。
廃商店の脇に置かれたままのタバコの自販機。もう見れないあの銘柄とデザインのパッケージが並んでいる。というより「新百円硬貨専用」って…(昭和42年より前のものってことよね…ヒェ)
「何も悪いことをしていないのに凍結されるはずがない」と信じていました。だから凍結画面が現れた時はまったく何の準備もしていなかったのです。私たちが住む世界では我々オタクは虫けら以下の存在でしたが、それが今や敵とみなされたのです。 ――日系人女性の回想より
JR北海道には昆布駅(蘭越町)と昆布盛駅(根室市)がありましてね。どちらもアイヌ語由来で、昆布盛は和訳で「昆布のある湾」な通り海沿いにあるが昆布駅は山の中にあり「コブのような小山」に由来する。道のりは約500㎞。鉄道営業距離数なら約630㎞…東京姫路間や東京八戸間よりも遠い。北海道ェ…。
猫の神様? いるよ、ちゃんと。
・島の薬局 瀬戸内海、広島と愛媛の間に浮かぶ芸予諸島。その一つ、大崎下島の路地には資誠堂薬局という古い薬屋さんがある。急斜面と海の間に発達した迷路のような路地に、この建物の夕暮れはあまりに似合っている。お店のお婆さんに話を伺うと、島の思い出話に花が咲いた(続) 290/365 #斜陽暦
まず家の人に話を伺うと「ワシの爺さんの話だが、“トクサ”って江戸時代生まれの職人が作ったと聞いた」と教えてくれた。その後、郷土資料類を取り寄せて片っ端から読むと、地元の学芸員の手記に1件だけ記載があった。天保(1840年頃)生まれの左官職人で、80代まで職人を続け90代まで生きた人だという。
補足すると地図の右端にある「六月デン」は漢字で書くと「六月殿」らしい。すぐ近くに「五月殿」、その隣の土地は「御用田(ごようでん)」と読むかつて寺社や偉い人が耕作する土地だったことを指す地名もあったりで、奇祭「花祭」の印象が強い奥三河はやはりいろいろ埋もれた何かがありそう…。
駅のホームの下に鯉泳いでるんだが
トクサはこの峠の近くの山村で生まれ、生涯そこで暮らした。奥さんと二人一組仕事の左官職人だったという。…しかし、東海地方の山深いこの地に、ここまで高い技術力と造形力を持った職人がいたという事実と、そんなに凄い人の記録が口伝以外ほとんど残っていないというのは実に惜しく感じる。
案件マン「やめるんだ内勤マン!」 内勤マン「出たな現場無視!今度こそお前をやっつけてやる!いけェ!詫びルンルン」 案件マン「うわぁあああ(涙で)顔が濡れて力が出ない…」 内勤マン「わーはっはっはっは!オレ様は謝罪の天才だぜぇ」 事務おじさん「みんなで案件マンに新しい席を届けるんだ!」
深夜なので私の地元にいたオシラサマを拝む老女の話を。 晩に話したオシラサマの北限は今は青森県だが、その向こうの北海道渡島半島にも昔はオシラサマを祀った家があった。私の生まれる前の話だが、昭和末まで私の地元の寒村にはいわゆる地域の宗教者のような存在でオシラサマを拝む老女がいた。
京都と奈良の境目あたりをふらついてたら「ステーション」を「ステンシヨ」と書いた道案内の石標があって笑った。紀年銘によると建立は昭和4年。ステンシヨという発音表現に時代を感じる。古い道路や交差点には昔建てられた道しるべの石標がけっこう残っているが、これはとりわけ面白い(京都府にて)