・沢伝いの廃郵便局 四国山地の山深い集落に残る、郵便局舎の跡。昭和後期に廃止され、小さな業務室の壁には「清浄」と書かれた琺瑯看板や昭和50年頃の郵便貯金販促ポスターなどが貼られたまま。屋根に草が茂った木造の建物の背後からは深い蒼を湛えた四国の山と清流が響き続ける。 281/365 #斜陽暦
シン・ウルトラマンの4DX、メフィラス山本耕史がブランコこいでるのに合わせて座席が揺れるの面白すぎたんだが。
本能寺の対義語じゃん
これで現役という…(そろそろ解体予定)
小川の上に床がある世界。
六角形の空間がある廃医院。玄関と診察室の間にあり、ここから「入口」「診察室」「處置室」「藥局」「非常口」「便所」すべてへつながっている。辺鄙な土地の、昭和一桁台の木造建築であるがかなり先進的で機能的なデザイン。 285/365 #斜陽暦
係員さん「ここは見学者用に生薬の匂いを体験できる部屋です。どれも古い家の匂いとかカビみたいな匂いで皆さんしかめっ面されますが、漢方医によれば『いい匂いに感じる生薬はその人に今必要な薬』だそうで、変な匂いに感じる方が健康でいいことなんです」 私(…どうしよう全種類いい匂いに感じる)
「…蔵の中に誰かいる?」と思って近づくと、お地蔵さんだった。家併設のお地蔵さん専用の蔵で、お供え物の水とお茶も新しい。地元の人に大切にされている神様や仏様を見ると、なんだか見ているこちらが嬉しくなってなあ…。 287/365 #斜陽暦
さすがにそれは盛っとるやろ?
私が知っている京都。私が住んでいた京都。京都にだって「日常」はある。
・島の薬局 瀬戸内海、広島と愛媛の間に浮かぶ芸予諸島。その一つ、大崎下島の路地には資誠堂薬局という古い薬屋さんがある。急斜面と海の間に発達した迷路のような路地に、この建物の夕暮れはあまりに似合っている。お店のお婆さんに話を伺うと、島の思い出話に花が咲いた(続) 290/365 #斜陽暦
「死体を恐れる」という風習はかなり古い。そこでは死体を生前のその人とある種同一視していしない。死体は「捨てる」ものであり、「腐り落ちて動かなくなる」まで見守るものであり、骨になってようやく葬るくらい危険視されていた。古の葬送儀礼の殯や沖縄の風葬はこの名残だという。
古墳時代には、一度葬った後わざわざ墓を開き、骨になった死体をバラバラに壊すこともあった。死体が蘇ることを防ぐためだったという。また、近現代でも土葬の棺桶に死体を入れる際、縄でギッチギチに締め上げることがあった。あまりに縛りをきつくして背骨が折れることもあったくらいに。
なぜそこまでして死体を恐れたのか。死体が蘇ることがそんなに恐ろしかったのか。死体を縄で縛ったり壊すことは「死体に悪いものが入り込んで別の存在になって蘇ってくるのを恐れた」と解釈する研究者もいる。私はその理由がとてもとても知りたい。なので民俗の中で葬送儀礼に一番興味がある。
「昔は今より生と死の境い目が曖昧だったのかもしれない」 この領域に足を踏み入れて、そう思うようになった。答えはまだ出ず。出る話でもない。なので明日もまた野を歩く。楽しいぞ…。
ある古い木造旅館に泊まった時の話だけど、女将さんに「鳥居が立ってる山道を車で進んで何キロか登って下さい。一軒だけですからすぐわかりますよ」と言われたものの本当に合ってるのか不安になりながら進んだ先に、本当に一軒ぽつんと旅館が見えた時の昂揚感は忘れられない。だから旅はやめられない。
古いレンガ建築を再利用した施設のバックヤードにある螺旋階段、非常に好き。ひと気がないとなおよし。
古い建物の中でこういう大きい鏡を見るたび、「…なんか後ろに映ったらどうしよう」「今なんか動いたよね?動いたよ?」と思っている(年齢=乱視とのお付き合いな人生)
北海道の開拓集落に残る廃校。天井が抜け、机の上に森が生まれつつある。 299/365 #斜陽暦