冗談でもなんでもなく釧路以東根室までの道は、厚岸と厚床の街以外、本当に街も施設も、いや家がほぼないんです。風光明媚な美しい原野と草原と海を征く120㎞を、北海道を走り慣れている者でもなければそう耐えられるものではないんです。高速道路?そんなものはない!あるのは120㎞の虚無だッ!
そして根室まで辿り着き、その足で本土最東端の納沙布岬まで行こうとするとこれがまた長く感じる。不思議なことに釧路根室間120㎞に比べればたった1/6の距離なのに異様に長く感じる。これが道東の恐ろしさ、そして最大の魅力なのだ。6月の北海道は爽やかな季節。さあ、最果てへ旅立ちませんか?
ある山奥の谷間にかかる藤花の橋。病気で体が不自由になった旦那さんのため、奥さんが家から見える位置に藤を植えたものがこうなったのだとか。別の用事で向かった集落で、現地の人に教えてもらった場所なのだが、こんなに雨が似合う風景もないと思えた。 262/365 #斜陽暦
土地の人に別件でいろいろ話を聴いていると、「あんたも藤の花見に来たのかと思ったんだ」「えー知らなかったの?じゃあ帰りに見ていくといいよあんなにいい藤もないから」と教えてもらったのがここだった。確かにこれは凄い…。奥側の家がご夫婦の家だったのだろうか?
ちなみにこちらが本来の要件だった旧簡易郵便局舎。これが見たくて当時はるばる周防国まで向かったのだ。農協支所も兼ねていたらしく、古い郵便局舎特有の2階に3つの上げ下げ窓と、屋根の蛇ノ目文様が特徴的(そりゃ「北海道からこれ見に来たんです」と言っても信用されないよなあ…)
伝奇ホラー小説の舞台に見える地名と看板
現代文は、気持ちや感受性の問題じゃなくて、「これをこう書くとこういう効果があってこういう表現としてこのような内容を表しています」という文の死体解剖だからね。文系科目の皮を被った科学分野ですよあれ(ゆえに得意だった)
(………狛犬だよな? 狛犬だ。狛犬のはずだ。たのむ狛犬であってくれ…)
「チワワ」を間違ったんだろうなあ…と思ったら本当に「チクワ」だったペットショップ(地名が「竹和」らしい)
・トクサの龍 岐阜県のとある峠で、龍が飛び出た蔵を見かけた。まるで壁から突き抜けたようなそれは、かつて左官職人がコテと漆喰で作った鏝絵だ。ふつう鏝絵はレリーフ程度だが、これほど立体的な造形のものは珍しく、作った人は相当腕が良かったと思われる…というわけで探した(続) 273/365 #斜陽暦
まず家の人に話を伺うと「ワシの爺さんの話だが、“トクサ”って江戸時代生まれの職人が作ったと聞いた」と教えてくれた。その後、郷土資料類を取り寄せて片っ端から読むと、地元の学芸員の手記に1件だけ記載があった。天保(1840年頃)生まれの左官職人で、80代まで職人を続け90代まで生きた人だという。
本当の名前は「とくやす」で、トクサは「とくさん」の訛りらしい。トクサは大正末まではコテを握っており、蔵の家の人の年齢からみて龍は明治末~大正頃の作だと考えられる。また資料によれば、この他にも近辺に龍がいる蔵を3つ仕上げた口伝があると記述があった。…ぜんぶ見つけたら願いが叶うやつ?
トクサはこの峠の近くの山村で生まれ、生涯そこで暮らした。奥さんと二人一組仕事の左官職人だったという。…しかし、東海地方の山深いこの地に、ここまで高い技術力と造形力を持った職人がいたという事実と、そんなに凄い人の記録が口伝以外ほとんど残っていないというのは実に惜しく感じる。
漆喰に竹で骨組みを作り、針金でヒゲや角、脚を、眼球はガラスを使ってリアルな質感を持たせている。円の土台には波文様が施されており、まるで本物の龍が壁(水面)から飛び出して来るようなうねりと表情の迫力がある。この造形を、トクサはコテだけで作り上げたのだ。…本当に人間か?
昔は当然だったのかもしれないが、美術専門の勉強なしで、左官とコテの修行でここまで立体的で洗練されたものが作れるものなのだろうか。その昔、一時でも仏像やら人形やらを彫っていた身から言えば…三次元造形ができる人は本当に人間を超えていると思っている。心の底から尊敬する。
そもそもなぜ蔵に龍なのかというと、龍は古来から水や雨に関係する瑞獣と思われてきたからだ。木造建築で一番恐れられたのは火災で、昔は蔵の屋根瓦や妻壁に水や龍の字を書いて火除のまじないとした文化があったのだ。でも、ここのように龍の姿を形として、しかも立体としてあしらう例はかなり珍しい。
「龗」という漢字がある。雨冠に龍で、水の神様を表す文字だ。「優れた芸術には本物の魂が宿る」、そんな表現を聞くことがあるけれど、この鏝絵はまさに龍神の魂が降りるほどのものなのではないかと、たまたま雨が降りしきるその峠道で考えていた。 (了)
さて、超絶技巧の左官職人といえば、伊豆松崎の長八が有名だろう。彼も江戸後期の生まれ、明治中頃まで生きた。若い頃江戸へ出て狩野派の絵や彫刻を学び、松崎で優れた鏝絵の数々を残した。松崎町の美術館には旧岩科村役場に施された作品が保存され、旧岩科学校では建物ごと彼の鏝捌きを垣間見れる。
さて、札幌駅のホームというのは実に寒い。冬ならそれはもう本当に本当に寒い。なんでこんなに寒いのかと腹が立つほどに寒い。北の都の真ん中で、風が吹き抜けて行く構造なのでより寒いのは仕方ないのだご、それにしたって寒い。しかし、この札幌駅のホームが私は好きなのだ。
道内を走る鉄道車両は、基本的には電車ではなく汽車である(なので、道民は内地の電車であっても「キシャ」と言いがち)。その排気ガスを外に逃しやすいよう、札幌駅のホームは工場のような側面天窓が空いている。ここから汽車の排気煙を通して光がさすと薄明となって、それはそれは美しい風景となる。
私の地元にある、女児向けコンテンツとかアイドルものアニメのキャラクターにいそうなトンネル、とてもとても好き
夜に新幹線に乗っていると、名前も知らない土地の夜景がつぎつぎ車窓に流れていって、「この光の向こうにこの光の数だけそれぞれ人の人生だとか家庭だとか土地の歩んで来た時間があるんだよなあ…」と寂しいような暖かくなるような不思議な感覚に包まれる。旅をよくするようになって、ずっとそう…。