126
幼い頃抱いた「どうしてヤクルトってこんな小さいんだろう。ビッ◯ルとかじゃなくてヤクルトがたくさん飲みたい。大人になったらペットボトルくらい用意してごくごく飲んでやる」という野望を先日ついに叶えた結果、丸一日トイレの神様になったので良い子は用量用法を守って正しくヤクルトしような。
127
実は腸内環境を整える決心をしてヤクルトを申し込んだが、ネット申込みできるわ、家にいなくても玄関先箱置いとくだけで保冷剤入れて置いて行ってくれるわ、ネットからだけ買える高効果のヤクルトがあるわ、配送代無料だわの至れり尽くせりで「これで儲かるのかヤクルト!」って心配になっちゃった。
128
ありがとうヤクルト、腸内環境整えるぜ。ちなみに、ヤクルト配送のネット申し込みページの名前は「ヤクルト届けてネット」 後にも先にもこんなにわかりやすいネーミングのページはじめてみたゾ…。
yakult-t.jp/shop/pages/w_c…
129
130
・御旅宿 月屋
「京町屋に住んでみたい…」そんな願望を叶えてくれた、京都市中心部の路地にある宿。築80年以上経過した京町屋を再利用しており、特に通りに面した2階の小部屋は天井が斜めで、虫籠窓という漆喰塗り格子窓の素敵空間。戦前期の下宿生になった気分で泊まる一夜だった。
49/365 #斜陽暦
131
大人になってから、子どもの頃できなかったこと、禁止されていたこと、やりたかったこと、「自分はそれをすることを許されてはいない」と刷り込まれていたことを回収していく日々を送ってかなりの時間が経ったが、やはり「今やっても意味がない」「今はもうできない」ことがけっこうな数あって悲しい。
132
「子どもの頃に戻りたい」という言葉があるが、あれは正確には「子どもに戻りたい」のではなく「子どもの頃の時間に戻りたい」だと思う。私はあんな貧弱な身体でかつさまざまな制限を加えられ、なおそれに抗うすべもない子どもという存在になんて二度と戻りたくない。魂の牢獄だったよあんなものは。
133
内側と外側の反転
58/365 #斜陽暦
134
「都会の孫に故郷の風景画を」
過疎地らしい悲しい売り文句だ。けど、孫世代にとってそこはすでに「故郷」ではなく、親に連れられて行った先の「異郷」だ。大きな木造家屋や長いお葬式なんかがある「懐かしい土地」だ。そして彼らは先祖たちの故郷へはほとんど戻らない。悲しい…。
62/365 #斜陽暦
136
九州の山奥、いくらなんでも時間が止まり過ぎている…。感涙。
137
瀬戸大橋線の文字通り海を渡っていくこの感じがもう好きで好きで…。いつもこの橋を渡って私は四国へ渡り、この橋を渡って四国へ帰る。そして、毎日この橋で岡山と香川を渡っている学生さんの姿を見るたびに、この風景が日常である人々のことを考えている。
139
140
141
寝ている間自分が寝言やいびきしてるのかが気になり、就寝中の音声録音するようにして数週間が経ったが、今朝の5時過ぎに確かに私の声で「三島由紀夫も足捻挫するんだね」と言ってて「???」状態になってる。
142
・徴兵保険の話
ある川沿いの民家に残るブリキ板には「徴兵保険」なる文字が書いてある。かつて日本には徴兵保険という民間保険があり、入っておくと被保険者の徴兵時に保険金が下りた。これはその当時の看板というわけだが、つまりは少なくとも70年は経過しているというわけで…。
110/365 #斜陽暦
143
旧国鉄士幌線に残る鉄道橋梁跡。このような場所をかつて汽車が走っていたと思うと、北海道開拓の辛苦と自然の壮大さが偲ばれる。
112/365 #斜陽暦
145
電子音ではない、本物の鐘が鳴るタイプの踏切。初めて見た…。
146
都会で生きてみると「公園」に人がいて、憩いの場や遊び場として機能していることに驚く。田舎の公園は人がいない虚無空間なのが当然なので、映像作品や小説で公園に人がいる描写がずっと意味不明だった。都会で生きてみて、シムシティで公園配置するだけでシムの幸福度あがる理由もわかったよ…。
148
149
ある山中の温泉街。「この先に本当に温泉街なんてあるのか」と心配するほどの暗い山道の先に、赤い提灯が並ぶ小さな温泉街が確かにあった。その日は平日。昼間はずっと雨が降っていた。月明かりと赤い光の中に沈んだような沢沿いの温泉街には人一人歩いていない。…異界だ、ここは。
152/365 #斜陽暦
150
「北海道新幹線が札幌まで延伸すると函館札幌間を1時間で移動できる」のがどれだけ素晴らしいかは「10GBのデータを自宅のADSL回線か空いてるかわからない微妙に遠くにあるネカフェまで行ってダウンロードしなきゃならない時、家に光回線引きたくない?」という説明で納得いくと思う函館市民である。