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ここで「荘園」について説明する。めちゃくちゃざっくり言うと日本の平安期の律令制崩壊から戦国末期までの中世日本で続いた農地とその地域の支配制度のことだ。要は主に農地を含む不動産とその支配権を指し、現代風に言えば「村単位の巨大な私有地」と「その地域の支配・被支配関係」的なものである。
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アサガオの花には多様な色があるが、本来黄の色素は作らない。現代科学でも遺伝子操作で無理やり再現して創るしかなかった。そんな代物を江戸時代の人は作り出し、栽培していたのだから、そこにかける試行錯誤、変異の研究熱は計り知れない。現代科学が一番進んでるなんて畏れ多くて言えないぜ…。
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家の呼鈴を押すと年配の女性が出てきた。「旅の人間ですが、つかのことをお訊きします。ブニヨドって何ですか?由来はありますか?」と単刀直入に問うがやはりというのか「わからない」と返された。家の奥から更にひと世代上のお年寄りも出てきたがそれでも「わからん。ブニヨドはブニヨドや」と言う。
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太宰治、筋骨隆々の三島くんとは喧嘩できるのに、ただの酒乱野郎中原中也に絡まれてビビって何も言えないのなんなん?(なお、その後太宰&檀一雄vs中原&草野心平で殴り合いになり、お互い何が原因で喧嘩してるのか分からなくなりつつ檀は丸太で中原を殴ろうとし店のガラスは割れるいい迷惑と化す)
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荘園は当初朝廷やその任命官が管理したが、中央の権力が弱まわると、荘園にかかる租税を朝廷へ納めなくていい権利や、朝廷が派遣した今でいう警察兼税務調査官的な役人を荘園内へ立ち入らせない権利を得る者が現れた。これを「不輸不入権(ふゆふにゅうのけん)」と言う。
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あちら側
323/365 #斜陽暦
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関東地方のとある山間部に残る、ひと気のないお寺。そのお堂の奥へ向かう階段には、人の体や腕、脚の形をした金属製の人形(ヒトガタ)が並ぶ異様な光景がある。雨が降りしきる暗い森の中では恐ろしさすら覚えるが、これは参拝者が体の健康や快癒を願って奉納したものだ。
208/365 #斜陽暦
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歴博で調べてみると、ブニヨドがある足助付近は鎌倉時代末に足助庄として成立し、八条院や昭慶門院、皇室の土地であった。その影響だろうか、この地にいた足助氏は南朝方に付き、室町期に没落した。その後は足助鈴木氏が足助庄を支配し、江戸時代を迎えるころに荘園として解体されたという。
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日本は災害大国と言われるが、こうしてみると、現代において地震や火事、台風、津波の対策は盛んに行われている一方で、水害対策は治水治山事業がメインで、個人や家庭レベルでの対策は昔に比較すると小さくなっている気がしなくもないなあたしかになあ。なんて思っていた。
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にしても、なんで昭和期までは「ブニウド」できちんと音や意味合いが残っていたのに、今の住所地名では「ブニヨド」になっているのだろう。史料に採録された表記と行政が管理していた住所表記が違ったのだろうか(各務原の「かかみがはら」と「かがみはら」みたいなやつ)