この北の地では寒さに適応できないやつは死ぬしかない。幸い人は寒さに抗い、暖をとる技術を生み出した。だからオレたちは「ここ」で「生きている」。だが、色の無い中にも、秋の色っていうのは意外に多い。北方だからこそあるものもある。オレたちは…「雪の匂い」を知っている。
都会で生きてみると「公園」に人がいて、憩いの場や遊び場として機能していることに驚く。田舎の公園は人がいない虚無空間なのが当然なので、映像作品や小説で公園に人がいる描写がずっと意味不明だった。都会で生きてみて、シムシティで公園配置するだけでシムの幸福度あがる理由もわかったよ…。
4月からホテルの部屋に歯ブラシが置かれなくなるという話を聞いたが、伊賀市内のビジネスホテルは部屋に手裏剣が置かれてあるから気にするな。
昔、大陸戦線にいた今90代の人が「日本語も支那語も漢字使ってるしだいたい通じるだろ」と思い、中国人の現地協力者に「油断大敵」と激励書いたら笑い始めたそうで、通訳に訊ねると、「中国語だと『料理用の油を切らすな』みたいな意味になりますよそれ」と言われたという話を唐突に思い出した。
ここまで来ると自然による殺意を感じる。
内勤マン、出禁ちゃん、職安マン様、事務おじさん、現場を無視した営業や嘘の仕様を話す法螺ーマン、上司のご機嫌取りに余念がないごますりマン、売上を誤魔化して報告する水増しどんたちがつむぐ深夜30時アニメなんて見たくない…。
ところで、北海道の翼エアドゥの機内用紙コップがかわいいので見てください。
四国(というより高知県)は川や池の水があまりに蒼くてだんだん沈みたくなってくる。
仲良しのネコが死んで遺体になったら威嚇し始めるネコか…。これ、もしかしたら昔の人が死体を恐れていたことと同根のものじゃないか。日本でも縄文時代からついこの間の昭和まで、死体を恐れる風習が根強くあった。たとえ肉親や思い入れのある人物の「遺体」でも、忌避、恐怖の対象だった。(続く)
北海道の滝野霊園っていう場所なんですが、丘の上にモアイ並んでるし、なぜかストーンヘンジとかあるし、奈良公園のシカっぽいブロンズ像がいるし、今にも起動しそうな大仏が格納されてたりするしで、ぶっちゃけ霊園っていうよりなんでもありの宗教カオステーマパークって感じなのでおすすめです。
本当に北国民の「暦」との感覚のズレは絶望的だ。たとえば卒業式や入学式の「桜」だ。「なんで3月4月に桜咲いてるんだろう。桜は5月に咲くものだろ…。そうか!これは『日本人が門出の場でこうであってほしい』と願う心象的風景なんだな!武士道!九段!」と本気で思っていたくらいなのだ。
最大の見どころともいえる学校併設のプールは、シュモクザメやエイが泳ぐ魔境水槽と化している。幼い頃「プールにサメが出現しないかなあ」と思ったことは誰でもあるだろう。…それが現実となってここにある。学校のプールの水面に、サメの背びれが滑走している。こんなの大はしゃぎする以外にない。
先日歩いた峠道の脇に草履がぶら下がっていた。ただの草履ではない、やたらデカいこの草履は「ここから先の村にはこれだけ大きい履物を履いてるよつな大きいヤツがおるんやぞ?」という脅し。つまり「悪いモノ」が村に入らないようにする古いおまじないだった。いわゆるミチキリ民俗の一種。
不輸不入権は、その後戦国末まで長きにわたって日本の国土や土地の支配者細分化の根幹を支える制度になった。つまり「ブニヨド」は不入権を得た荘園、「不入土(ふにゅうど)」に由来すると考えられるのだよ!!!
これはオホーツクの大地に芽吹いたカニ。
お爺さんは語る。 「このあたりは戦争終わったくらいまでは何年かに一回、向こうの利根川から水が溢れて大洪水になるのが当たり前だったんだ。だからここらの家は舟を置いて、洪水になったら家財道具と家族を乗せてやり過せるようにしていた。うちの先祖の命があったのはこういう舟のおかげなんだ」
「子どもの頃に戻りたい」という言葉があるが、あれは正確には「子どもに戻りたい」のではなく「子どもの頃の時間に戻りたい」だと思う。私はあんな貧弱な身体でかつさまざまな制限を加えられ、なおそれに抗うすべもない子どもという存在になんて二度と戻りたくない。魂の牢獄だったよあんなものは。
かように、日本各地の謎な地名、変な地名の現地に行って由来を調べたり、実際に住んでいる人の話を聴いたりもしています。例として、こちらをどうぞ。四国山地の謎の地名・京都です。 【四国、京都集落】 ――山の上にも都のさぶらふぞ fantia.jp/posts/448288
暦ってもんを誰が決めたかはしらねェ。オレたちは運動会は5~6月にする。10月には冬タイヤにする。そして…真冬は暖房をガンガン焚いた部屋で半袖でアイスを食う…。一歩外に出りゃ-10℃なのにな…。ジョニィ、LESSON1。『妙な期待はするな』
愛知県の奥三河や徳島県、秋田県等はいわゆる小字以下の細かい地名が今も住所として使われている。足助もそんな地域で、地図には「月沢」「長クゴ」「イドシリ」など生活に密着していたであろう、どこか懐かしくも不思議な名前が連綿と広がる。だがその中でも「ブニヨド」はかなり異彩を放っている。
中抜きジャパンなのがすでに笑えるけど、孫クンが正直な金額を申請するとトラップカード「もらいすぎ!お母さんが預かっておきます!」を発動されるのを回避、あるいは3000円取り上げられても2000円は守れる租税対策ばっちりなのが芸術点高いんよな…。
「今はもう川の水が溢れることもなくなった。でもオレの目の黒いうちはこの舟は残しとくつもりだ。あんたみたいに若い者はそういうのも知らんからなあ。あんた北海道の人か。そらなお知らんよな。物残すってのはそういうもんだよな」 お爺さんの目はなんとなく暗かった。たぶん昔何かあったのだろう。
明治末期から戦前期の新聞を読んでると、けっこうな割合で日本人が蛮族やってた頃を感じるニュースがあって笑う。愛ゆえに全滅エンド。
ちなみに、静岡県袋井市には「不入斗(ふにゅうと)」、福岡県那珂川市には「不入道(ふにゅうどう」という地名がある。また東海地方や関東地方には「不入斗」と書いて「いりやまず」と読む地名がいくつかある。これらも同じく不入権がある土地、「不入土」が由来と考えられているそうだ。
そら古事記の頃から「九州にクマソという反抗的な男がいました。ヤマトタケルと言う若者はクマソを討つため、叔母に服を借り女装してクマソの宴会に出ました。気に入られたヤマトタケルはクマソに寝床へ呼ばれた(意味深)ところで尻から剣を刺して倒しました」とか書いてる国だからね。仕方ないね。