冬場の北国の陽が暮れる速さは異常だ。感覚としてではなく実際に速いから恐ろしい。4時半にはもう真っ暗である。この間まで四国や西日本をうろついていたせいで輪をかけてそう感じる。雪、灰色の空、鉛色の海、明けない夜、短い昼、それが10月頃から4月頃まで、北国の冬は半年間も続く…。
岐阜県には下呂だけでなく上呂と中呂もある。 茨城県には下妻だけでなく上妻と中妻もある。 山口県には下関だけでなく上関と中関もある。 愛媛県には道後だけでなく道前もある。 秋田県には大仙だけでなく中仙もある。…が小仙はない。
・沢沿いの狭い急傾斜地 ・渓流の向こうに建つ増改築を繰り返した巨大旅館 ・玄関は専用の橋を渡った先(謎アーケードあり) 最高かよ…泊まるぜ
福岡県南部の大刀洗町今集落には「あぶなかばい」という思いっきり九州方言な交通安全標示がある。たいてい「止まれ」「スピードおとせ」などの文言が、この集落でだけ危なかばいと地元言葉である。北の民野の私が九州の人と話すと「九州の人って本当に"〜ばい"、"〜たい"っていうんだ…」と驚きがち。
【告知】 こちらの書籍に寄稿させていただいました。廃墟系書籍は基本物件に的を当ててますが、こちらは各寄稿者さんの活動と視点から見た廃墟と魅力を語る、今までと少し変わった切り口の本です。面白いです。 『廃墟マニアックス!廃界本』一般書店4/28発売 Amazon予約:amzn.asia/d/0VYUhva
ネイティブ北東北弁の爺ちゃん婆ちゃんの話し方、だいたいこんな感じ。
ここは雪国。道路から水が噴き出る町。
・ろ 広島県の尾道周辺では、ひらがなが一文字だけ書かれた謎の看板をいくつか見かける。尾道本土と向島を繋ぐ渡船発着所横にある「ろ」の字看板もその一つ。「ろって何…?船用の標識なのかな?」と思って近所の人に訊くと、「船の櫓作ってる会社だから『ろ』だよ」と教えてくれた。そのままぁ…。
あの日々の状況は絶望的であった。人々は迫り来る凍結に備えるべく他サービスへアカウントを作った。人々は真剣に考え込んだ面持ちで歩いていた。私たちは人で溢れるTLを、密かな感慨を持って眺めるのだ。明日はすでに凍結がその日常を粉砕してしまうのではないかと。 ――ツヴァイク『昨日の世界』より
長崎空港、正規空母説 大分空港、ヘリ空母説
社殿を窓越しに覗いてみると、壁に古めかしい扁額が見えた。これこそ『蒙古襲来絵詞』の御家人の横に描かれた塩屋の松。敷地内の石碑や伝承によれば「埴安神社の『塩屋の松』は幹回り大人六人で囲うほどである」「明治中頃に塩屋の松は枯れてしまった。その材を使って記念にこの扁額を作った」と言う。
「正月になったら子供たちと孫いっぱい帰って来る」と言ってお婆さんは顔を綻ばせた。…私はよく考えている。高度成長期以降の核家族世代がシニア化する昨今、こういう「田舎の婆ちゃんの家」に帰省する経験がない人が増えていくだろう。つまり夏冬の帰省に伴う物語や風景はそろそろ「時代劇」化する。
そして、ひょろわーさんから「これ答えなんじゃない?」というツイーヨを教えてもらって「マジかよ!?」ってなった。私がここに行ったのは2022年、このツイは2019年…何事も先達はいらっしゃるものである。しかもこの人、机上でいろんな地図見ただけで考察してて凄いわ…。 twitter.com/boziimillionho…
そして、このお店に飾ってある招き猫が招く腕ムッキムキなパワー系招き猫なのがかなり気になる。
映像の世紀 第n集 TLは地獄を見た
(一般日本人が行ける中で)日本最北の有人島、礼文島のフェリーターミナル食堂で食べられるウニ丼はこの世に存在するウニ丼の中で一番美味しいウニ丼だから、メニューに載ってない裏メニューではあるけど必ず食べてくだされ…。お吸い物にすらウニ入ってるとか反則だぞ。
ミチキリで有名なものは、道祖神や塞の神という道脇に立っている境界の神様だろう。道を介してウチへ入り込もうとする悪いものを退ける、脳の血液関門みたいな神様だ。甲信地方の男女が並ぶ双体道祖神、秋田県の巨大な藁人形「カシマサマ」、近畿地方の村の境に縄を張る「勧請縄」もミチキリ民俗だ。
「澪標(みおつくし)」と言って、海や川で船の座礁等を防ぐため立てる道しるべである。海面化の地形や障害物、潮位を示したりする。今でも木や竹の澪標は全国的に見られるが、ここは近頃新調したばかりらしく、竹竿に葉が残る珍しい風景があった。有明海では潮位の上下が激しく澪標が大活躍する。
シイタケ→加熱しないと消化不良起こす ベニテングタケ→可愛いし美味しいけど幻覚見たり吐いたりする ヒトヨタケ→美味しいけど酒と一緒に食べると超悪酔いする アンズタケ→美味しいけど土壌によって重金属中毒になる ドクツルタケ→美味しいけど1週間後内臓ズタズタに破壊されて死ぬ キノコ怖い
交換列車待ちでちょっと降りられた駅がとてもとても長野していて、「人生の夏休み」を感じている。ああ…旅はいい。旅がないと私は生きられない。そして、やっぱり長野県は四方八方すべてが山に囲まれたその中で人の世界があるこの「神の箱庭」のような感覚が素敵だなあと思う。
選挙当日が来るたびに、「選挙当日の投票所は(島嶼部とか一部を除いて)午前7時に開場されるが、各投票所の最初の投票者は投票箱に何も入っていないことを確認する役目が与えられる」ことと、その「選挙当日一人目になる」ことに命掛けてる趣味勢がいることを思い出している。
個人的に「四国で4つここぞという廃校を…」と言われたらこの4つです。つらい…。
吊り橋の先には田んぼと数軒の家がある小さな集落が広がっている。橋の手前側に大きめの集落があるので、郵便局や買い物に出るくらいの徒歩移動ではこの吊り橋を使い、車で出る際は崖を越える車道(例によって狭い)を通るという使い分けで運用しているようだった。
崩壊した廃バス停。九州山地の片隅で見かけた半分崩れた小屋。その正体はバス停の待合小屋だった。路線が廃止されたから廃墟になったのか、屋根が崩れたから使われなくなったのか、それはわからない。過疎化の現実を叩きつけてくる一幕である。崩れた屋根の間から時刻表やベンチが覗いていた。
この病院は、北海道東部のある山間の炭鉱街で1960年代末に建てられた。当時流行だった曲線を多用する現代建築デザインをメインに、円形スロープを持つ中央建屋、その両翼に病棟を配する造りになっている。しかし竣工とほぼ同時にこの街を支えた炭鉱は閉山。以来50年間放置され、一帯は森へ還っている。