・百年前の可動橋 瀬戸内海の、かつて塩田が広がっていた海辺を通った時のこと。河口付近に、老朽化で中央部が崩れ落ちたような廃橋が残る姿が目に留まった。近くで作業をしていた漁師さんに話を訊くと、「この橋は崩れたんじゃない。もとから繋がってないんだ」と語り始めた(続) 196/365 #斜陽暦
はあ…正月休みも終わりよ。まあ新年だし、たまには新聞で普段あまり触れない領域の話を探ってみようかな。 …ん?
古い車の愛媛ナンバーには、すごい略字っぷりな「愛媛」表記のナンバープレートが存在する。「愛」とか雨かんむりじゃん。
函館札幌間の移動の悲哀は、この図見るだけで一発で理解できる。
・国鉄労働闘争の残り香 某駅付近を歩いていたら、柵の向こうの倉庫らしい建物にペンキで殴り書きがあり、落書きかと思ったが「マル生粉砕」って書いてあって驚愕した。これ1960~70年代の国鉄反マル生闘争で書かれたアジ(煽動用の落書きのこと)の生き残りだ…。よく消されずに残っていたものだ。
冗談でもなんでもなく本気でこうだから困る。
「北海道新幹線が札幌まで延伸すると函館札幌間を1時間で移動できる」のがどれだけ素晴らしいかは「10GBのデータを自宅のADSL回線か空いてるかわからない微妙に遠くにあるネカフェまで行ってダウンロードしなきゃならない時、家に光回線引きたくない?」という説明で納得いくと思う函館市民である。
・ゲストハウス醫(くすし) 瀬戸内海の離島、大崎下島の御手洗集落には昭和中期以前の古い街並みが今も姿を留めている。その路地奥に空色が美しい大正期の医院が残る。空き家になっていたこの旧越智医院は近年修復され、宿泊施設となった。そう、古い医院に泊まれるのだ(続) 306/365 #斜陽暦
「もののけ姫でモロが『黙れ小僧!』って言う場面でさ、高い所の洞窟から岩が突き出てるような所あるでしょ。あれに似た感じのところが四国にあるんだよ」と言ってこの写真を見せると、たいていなんとも言えない顔をされる。
無知ではなく、よく知っているからこその自信と余裕。よく知っているからこそ「広くない」と言える胆力。それを無知ゆえだと侮り、見抜けなかったのはまことに不甲斐ない。さあ帰ろう。いくら運転しても風景が変わらないあの大地へ。札幌根室間弾丸運転という不毛な世界へ。名寄以北の虚無の原野へ…。
北海道、「街中にヒグマが現れる」ってより、「ヒグマが闊歩する世界に人間が住んでる」って言ったほうが適切なところがあるので、北海道の首都札幌であろうとヒグマの力からは逃れられないのだ。街中に現れるキタキツネ、道路脇から突っ込んでくるエゾシカ。野生の力、ノルドの地、北海道。
長崎県や九州地方はお墓の文字を金色に塗る風習がある。これが見たくて長崎まで来たようなものよ! はかいしキラキラきんようび✨🪦✨
3年前くらいに島根県で聞いた話。「このへんの大きな家…昔はブギンシャ(分限者、庄屋さんのこと)と言ってました。そういう家で結婚があると、婚礼の祝いの夜に、村の若い衆が村の辻やお寺にある地蔵を担いで家にやって来るんです。家の者はその人たちをもてなすのが習わしでした(続く)
数年前にイギリスがEU脱退した時に作った映像の世紀風加工動画をHDDから発掘したけど、今見返してもけっこうソレっぽいな…。 映像の世紀 第n集 分断の時代 ―新冷戦とテロとの戦いを経て、世界は主義と自由を奪いあった。
いろんな所に何体もいる。
似た理由で、廃醫院の本棚や書庫がかなり好きだ。インテリアや雰囲気がいいからという理由もあるが、ここは先生が医師になるための勉強に使ったり、先祖から受け継いだり、当時最新だった医学書や愛読書の集積地だ。だが今となってはそれらも過去のもの。ご遺族の方も「要らない」という人が多い。
高知県に行った人はね、これ飲んでね。高知じゃなくても四国の道の駅とか駅とか空港だと高確率で置いてるから飲んでね。まじでね、中身が15秒で消えますよ。3本買ってもすぐ消えますよ…。四国行くたびにこれ飲まないと帰れない体になってしまった。
山口県宇部市の砂浜には海から頭を出した2つの塔がある。かつて海底炭鉱として稼働した長生炭鉱の吸排気塔だ。昭和17年に大規模な落盤と海水流入事故が発生して坑内労働者183人が犠牲になり、水没した炭鉱は放棄された。回収する術もないため遺体は今でも海底で眠ったままだ。墓標…という言葉が湧く。
・神になった蛾 長野県内のとある神社にはカイコが彫られた石碑が立っている。長野や群馬などかつて養蚕業が盛んだった地域では、蚕の繭や養蚕具を神として祀る風習があり、「蚕玉神」と字を彫った石碑や女神像を立てて蚕の生育を願った。その中でも蚕そのものの石像は非常に珍しい。 307/365 #斜陽暦
「中国山地は四方八方どこにでも行けるしどこに向かっても人が住んでいる土地に出られる」これは山がちな日本の国土内でもかなり大きな特徴なんですよ。Twitterやほかの媒体でも何回もこのことは書いている。他の山地や山脈ではこうはいかない。こんなに移動や土地の自由度が高い山地は他にない。
行き止まりの漁村の夕暮れで無事情緒が崩壊してしまっていた。卑怯だ…こんなの卑怯だ。秋めく夕暮れの瀬戸、島の上を悠々と渡っていく大きな橋、地元の人しかいない狭い道沿いで夫婦揃って魚釣り、散歩中のご近所さんが釣れるか訊いて家へ戻って行く…。こんなの精神に効かない理由がない。
これは奈良県のド山の中を歩いてたら、地元の人と話し込んだ結果軽トラに乗せてもらって超急傾斜地のてっぺんで老夫婦2人だけ住んでる集落へ案内してもらってる謎の状況の私(道が激狭い、窓の先が崖、坂の角度ヤバい、楽しい!)(運転してくれてる人は昔ここに住んでたが今は谷に下ったとか)
ぶっちゃけ我々ヲタクには、NTRよりBSSの方が構図的に正確だし、より精神的に突いて欲しくないところを的確に抉って来るので良い。「自分だけはあの子の魅力をわかっている」という謎の選民感と、何一つ自分は出来ないままなのに悲しくなる身勝手さ。B(ボクが)S(先に)S(好きだったのに)