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平八郎殿!あそこの女子達に声をかけてみないかい?
いや お お お お 俺は…
初陣のくせに馬で颯爽と登場し、俺は認めぬ!と初回の格好良いを全部かっさらって「忠勝の女」を量産した平八郎が、うぶすぎる件。
忠次と数正、彦と七、小平太と平八郎、ニコイチ家臣団が良すぎるんよ。
#どうする家康
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さっきゲスの極みをかましたのに、アイコンはめちゃくちゃ可愛い猿。
過去の大河でも登場人物の写真が地図上を動くシーンがよくありましたが、今年はアイコンです。
魔王信長のアイコンも見たかった。
#どうする家康
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子供達だけでなく、家康も蟹柄の浴衣を着ています!
家康が着用していた『薄水色麻地蟹文浴衣』が今も残っていて、メインビジュアルの水色の着物はここから着想されたとか。
名古屋の徳川美術館で、3月に復元品、夏休みに現物が公開予定。蟹のTシャツや手拭いなども販売されてます🦀
#どうする家康
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前回はピンボケしていて井戸の底の民が焦った岡部元信。
今回は長台詞こそないもののイケボを堪能できたし、芯の優しさが滲んでいたと思うのは六左田中美央さんという贔屓目だけではあるまい。
「何より忠義を重んじた猛将」だからこそ裏切は許せぬ、命にも逆らえぬ、しかし。その逡巡。
#どうする家康
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お調子者を装って腹の中は暗黒のムロツヨシ秀吉
胡散臭さ全開で飄々とした松山ケンイチ本多正信
どちらも声のトーンの使い分けが最高
芝居巧者が初登場から飛ばしまくるからこそ、振り回される一方の若造の元康の青さが際立つ。
そういえば小四郎も、去年の今頃はまだまだ若造だった。
#どうする家康
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瀬名奪還としてよく知られる策の前に、忍びによる作戦を差し込んで、そこにのちに家康の最大の危機を救う服部半蔵を出してきたり、鵜殿長照の二人の息子をしれっと出してきたり、この先を知っていると、丁寧な人物紹介ありがとう!という感謝しかない。眼鏡が本体の鵜殿長輝も然り。
#どうする家康
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本多正信の名が出た途端、全員が立ち上がってわあわあ言い出して、いつもは斜に構えてる忠勝までが心底嫌そうに「あれはニセ本多じゃ!」って吐き捨てるの、それでこそ我らが嫌われ者本多サド!って思うし、今後もそれを軽く超えてくるであろう松山ケンイチの芝居にワクワクしてる。
#どうする家康
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童のようにはしゃいでみせたり、うきうきと反物を選んだり、市が何故か元康を好いていることは容易にうかがえるのだけれど、何より、自分から元康を振って踵を返したとき、立ち止まった彼女の眼と鼻が真っ赤に染まっていた。
それでも欲しいものを力で奪い取れと。
お市様、少女で漢だ!
#どうする家康
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「相撲のシーンは、岡田さんが最初から最後まで動きをつけてくれたんです。ただ、『ここは足を掬ったりタックルしたりするから、それはフリースタイルで対応してね』って💦何年も格闘技やってる人に対応できる訳ないんですよ💦」
自宅にまで果物持参で伺って、師匠の教えを請うた松潤。
#どうする家康
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あれでしょう、ムロ藤吉郎、蹴飛ばされて「ありがとうごぜ〜ます!」とか喜んで阿呆のフリしてるけど、一瞬だけ真顔になった顔、誰に何をされたのか全っっ部覚えてて、いつか仕返しする奴でしょう。
「うつけもの」と呼ばれた信長と、「ぼんやり」と言われた家康と。三英傑早くも集結。
#どうする家康
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安心してください。
元康に裏切られた吉良義昭ですが、生き延びます。
その家系には、赤穂浪士で有名な吉良上野介が連なります。(安心できない)
#どうする家康
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兵糧や備蓄の大事さ、武士だけでなく農民を集めた兵、騎馬ではない泥臭い戦い、武具を奪われ売り払われる討死者、裏方の実務、首桶と首見分、妻も子も見捨てねばならぬ決断、主人公ですら裏切らねば生き抜けぬ戦。
初心者向けと言われるけれど、戦国をきっちり書いている大河です。
#どうする家康
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20時冒頭の『大河ドラマ』の挿絵。
毎回のサブタイトルに合わせたものとなっています。
第1回 どうする桶狭間
第2回 兎と狼
第3回 三河平定戦
さて、今回燃え落ちるのは、誰の城か。
#どうする家康
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主君のため死ぬことを夢見ながら、涙ながらに主君の介錯を務めようとした初陣の本多平八郎。
昼寝ばかりかと思えば、厭離穢土欣求浄土という家康の後の旗印を領主の志として説いてしまう小平太、後の榊原康政。
同い年の2人、このとき13歳。
徳川四天王と呼ばるるはまだまだ先のこと。
#どうする家康
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初陣のくせに偉そうな小僧が、はらはらと泣く。
仰ぐに足る主君を護って死ぬ夢を語って。
「お芝居じゃなくなったなって思えるぐらい、殿と対話できた気がした。これが“家康と忠勝”なのかもしれないって。僕はそこで役の感覚を掴んだ」
山田裕貴さんが本多平八郎忠勝になった瞬間だ。
#どうする家康
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「俺の真の望みは、いつの日かお主を主君と仰ぎお主を護って死ぬことであったわ」
この言葉から本多平八郎は、元康の父を護って死んだ父のことも、元康の祖父を護って死んだ祖父のことも、心から誇りに思っていたことが分かる。
『忠節を守るを指して侍という』。彼の晩年の言葉である。
#どうする家康
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家臣団の中にあって、平八郎はずっと殿を目で追っていました。
浜辺の殿をひとり追いかけたのも、自害しようとする殿を真っ先に見つけたのも彼でした。
「俺は認めぬ!」
繰り返されるその言葉の裏に隠されていたのは、主君が主君たる者であってほしい、その一心でした。
#どうする家康
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野間口徹さんに続き、メガネが本体の方が今回も。
(東京03の角田さん、ドラマ出演のご経験も豊富です)
#どうする家康
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「どうする家康ツアーズ」と銘打たれた、番組の最後の紀行。今回は松本潤さんが久能山東照宮を訪れたように、役者さんが縁の地を訪ねる、まさにツアーズとして放送されるそうです。
「家康と今の時代はこうして繋がっている」。聖地巡礼がより楽しめそうですね。
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番宣の頃から散々言われているけれど、本編で見ても信玄公のお召し物が古代ローマのトーガにしか見えないのは全部阿部寛さんのせい。
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味方の到着に鵜殿長照が必死に目を凝らしているのは、野間口徹さんのトレードマークのメガネがないからではありません。
#どうする家康
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