エリザ(@elizabeth_munh)さんの人気ツイート(リツイート順)

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ブリティッシュ・レストラン、と言うと、イギリス料理でも出してくれるのかな? と思う。もちろんそうなんだけど、1942年のそれはイギリス国民最後の生命線だった。
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お昼のTIPS。 エリザベス朝以降、イギリスは大陸への野心を捨て、海洋国家としての道を拓くけど、商路の維持のためには海軍が必要だった。 この海軍に兵士を充当するために取られた手段が強制徴募。すなわち、誘拐同然の人攫いで、プレス・ギャングと言われる水兵達がこれをやった。
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限りある食材の中でソワイエは最善を尽くし、『貧者のスープ』と称される、可能な限り味と栄養に気を払った料理を届けた。それでも焼け石に水で、アイルランド人はばたばたと餓死し、祖国に見切りをつけてアメリカに渡る。 エリート料理人ソワイエの心に火が灯った。
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イギリスの雅称と言えば何と言っても『アルビオン』でしょうけど、他にも色々と異名はある。と言うかイギリスは呼び名がなかなか多い。 古代ローマ時代の属州としての呼称からブリタニア。地理的名称としてのグレートブリテン、或いは連合王国(UK)は異名としても使われる。正式名称長いし。
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1821年、ジョージ4世の戴冠式の祝宴での事。ウエストミンスターホールに中世式の甲冑に身を固めた騎士が見事な軍馬に跨り、陸軍中将エフィンガム伯爵と陸軍元帥ウェリントン公爵を左右に従えて現れた。 息を呑む観衆の前で騎士はすっと自らの籠手を外して地面に落とし、口を開く。
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現地の状況は酷いもので、兵士達は不衛生な環境で栄養価の乏しいものを食べていた。兵士達は輪番で料理しており、将校達は自分の家から料理人を連れてきている。負傷兵の状況はなおひどく、彼らは弱った身体で犬の餌のようなものを食べて死んでいった。 ソワイエの心が燃える。
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天然痘の流行だった。最愛の弟が罹患して亡くなり、彼女の親しい友人も亡くなった。メアリー自身も罹患し、何とか生き延びたものの、彼女はまつ毛を全て失い、弱視となった。天然痘の恐怖をメアリーは正しく認識し、それに対する医療がおまじないレベルなのを知った。
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『離婚』の事由は現代と同じく妻側にある事もあり、夫側にある事もあった。たとえばベッドで妻が見知らぬ男と寝てた事に気づいた夫が激怒し、妻の買取りを命じ、それを男が受け入れた、と言うこともある。 姦通の罪で追い上げられるより、そちらの方が安上がりだった。
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「いたずらに瀉血と下剤を施しても衰弱するばかりだわ。どうにかしないと……」 そんなある時、メアリーはトルコ大使である夫に帯同してトルコに赴く。そこでメアリーは衝撃的な光景を目にした。天然痘患者の膿を採取し、健康な人達の皮膚に植え付けている。
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幼い頃、どうして17〜19世紀のヨーロッパ人は奴隷を無慈悲に扱うのか、鞭打つなんて可哀想じゃないかと素朴に思ってたけど、今なら分かる。 主人たる彼ら自身の命がそもそも安い。上流階級でも体罰は当たり前だし、鞭打ちは日常だった。今よりもっと世界は暴力的だった。
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逆に夫側に責任がある場合、妻は法的には不利な立場だった。妻のふしだらを咎める法はあるけど、夫のそれを咎める法はない。これで離婚したいと思うなら売り飛ばされるしかなかった 故に、売買の段になって怖気付く夫を妻が怒鳴りつけることも。 「さっさと売りなさい! アンタとはもうゴメンよ!」
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マッチの発明はいつでしょう? 実は歴史は意外と新しく、19世紀。17世紀に発火温度の低い燐が発見されてから、簡易に火を起こせるマッチの発明まで実に2世紀もかけてるのね。火がなくては生活は成り立たないけど、簡易にそれを起こせるようになるのは案外、ごく最近だった。
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エリート料理人街道まっしぐらのソワイエだけど、転機が訪れる。 1845年、アイルランドで飢饉が発生。 主食であったジャガイモが一斉に疫病に感染し、アイルランド人は飢餓に苦しんだ。イングランドの植民地であるアイルランドでは小麦はイングランドに流され、貧民はジャガイモを食べるしかない。
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人痘と言う予防接種だった。天然痘に一度罹った者は2度とかからない事はよく知られており、アジアでは比較的毒性の弱い天然痘を接種する事で天然痘を予防することが行われていた。 メアリーは幼い息子にこの方法を試す。息子は少しの間発熱したものの、無事で天然痘の抗体を獲得した。
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17世紀から18世紀、ロンドンは退廃の魔都と化し、都市は犯罪で渦巻いた。 急速に成長し、大都市として伸びゆくロンドンは無秩序に人々を受け入れており、貧しい人と富める人は隣り合って生活する。やっては来たものの仕事がなくてあぶれた人達は泥棒に身を持ち崩した。
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生まれ育ちに恵まれる事なく、己自身の努力や才能で成功を成し遂げた人をself-made manと言う。18世紀半ばの実業家にして発明家、リチャード・アークライトこそは人類史にその名を残す最大のself-made manだった。
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欲深いイングランド人の農主達はアイルランド人が飢えても構わず小麦を輸出したので、アイルランドの人口は最終的に半分になった。 この危機にソワイエが派遣されるけど、現地の状況にソワイエは衝撃を受ける。 痩せ細った人達に料理を届けようとしても、そもそも何もない。
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酒場がなくなったので仕方なく、ギャングとお近づきになりたくない普通の人たちはソーダ・バーに行った。 この際、ソーダの上にまだ目新しいアイスクリームが載せられたんだけど、アルコールがないなら甘味とばかりにアメリカ人達はアイスクリームにハマった。アイスクリーム需要は急増。
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ヴィクトリア朝時代初期、一般的な労働者の勤務時間は12時間を下回ることがなく、しかも週6日勤務だった。 家事労働が機械化されていない時代でこの労働条件は過酷としか言いようがなく、賃金の安い女子供が主力として使われ、片っ端から労災死して行く。
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夫が戦死したらたちまち再婚しないとならないけど、どっこい生きてたと言うケースも頻発する。 この際、関係を整理するために大量の妻売りが発生したと言う。 見た目にはとんでもない光景だけど、実のところ合理的に機能したのね。不備のある法に対する民衆のバランス感覚の発揮と言えるかも。
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慌てて帽子とエプロンを脱ぎ捨てたソワイエは群衆の中に混ざり、革命派のフリをしてその場をやり過ごすと、命辛々、イギリスへと亡命する。 当時のイギリスはメシマズ街道をまっしぐらに進み、フランス料理を礼賛、メニューでは意味もなくフランス語で料理名が記されるレベル。
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18世紀末まで女性はハンドバッグを持つ習慣がなく、概ねどこに行くにも手ぶらだった。 荷物は使用人に持たせたり、馬車に積めばいいと言う考えもあったけど、日用品を収納する大きなポケットがあったと言うのが理由としては大きい。 これが女性用結びポケット(Woman's tie-on pockets)。
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お昼のTIPS。 豚は古くから食べられていた家畜で、古代ローマ人も豚肉を愛し、博物学者プリニウスは「豚は50近くの風味を持つ」と称えてる。色んな風に加工できるし、ソーセージやハムにすれば保存もきくからね。軍隊食にもぴったり。 ただ、そのローマ人もガリア人に比べればそこまで食べてない。
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次にソ連の要人を魅了したのはペプシだった。 1959年、モスクワで開催されたアメリカ産業博覧会で時の書記長だったフルシチョフにペプシ・コーラが振る舞われる(もちろんペプシコ社が後ろからプッシュしてた)。 フルシチョフは大いにこの飲み物を気に入り、たちまち半ダース開けた。げっぷ。
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鉄条網は非常に頑丈なのは勿論だけど、細いワイヤーをよじり合わせた構造なので、砲弾の爆発による爆風も、撒き散らされる破片も受け流す事から、確実に排除するためには歩兵を投入してボルトクリッパーで一本一本切断するしかなく、鉄板より遥かに厄介だったみたいね。