エリザ(@elizabeth_munh)さんの人気ツイート(新しい順)

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ジェフリー・ペイジは二次大戦時のRAF戦闘機パイロット。 叔父のサー・フレデリック・ペイジは重爆の父と呼ばれるエンジニアであり、ペイジは幼い頃から航空機に強い興味を抱き、戦闘機に憧れる。その想いは年齢を重ねる毎に強化された。
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1932年、イギリス首相スタンリー・ボールドウィンは議会で「未来への恐怖」と呼ばれる演説をした。 「爆撃機はいつでもやって来ます。そして、それを防ぐ事は出来ないでしょう」 誰もが諦念と恐怖と共に聞き入る中、それを苦々しく聞く男がいた。 「舐められたものだ」
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19世紀後半、南アフリカに新たな民族が誕生した。その名を、アフリカーナー。 オランダ語でアフリカ人を意味するこの言葉はかつて黒人奴隷を指していたものの、やがてオランダ系アフリカ人の新たなアイデンティティとして選択される事になる。
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鎌倉は防衛に向いてないとは最近よく言われるようになったね。 というか概念がどうも現代と異なって、このくらいの時代の人たちは、逆茂木を並べてバリケードを連ねた物を『城』と称したらしく、恒久的な防衛拠点を作ろうという発想そのものがなかったみたい?
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愛飲した富豪がいるんだけど、髪という髪が全部抜け落ち、骨はスカスカ、内臓もボロボロと言う凄まじい死に方をしたそう。 遺体は高濃度に汚染されてて、鉛の棺に入れて埋葬されたとか。この人は極端な愛好家だけど、市販されてたからどれだけの人が影響受けたのか…… 幽霊より怖い。
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おはよう。ゴイアニア事故も有名だけどラジソールも有名だよね。 ラジウム入りエナジードリンク。まだまだ放射性物質と言うものへの理解が進まなかった20世紀初頭の話。 万能薬と宣伝され、飲むと実際(痛めつけられた身体が防衛反応で赤血球と白血球を増産して)元気になった(気がする)みたい。
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デーモンコアは有名だけど、ゴイアニア事故も有名だよね。 廃病院に放置されてた放射線治療装置が盗難に遭って、何も知らない人達が格納容器を解体して青白く光って綺麗だなーって見せ物にしてたら、何百人も被曝したやつ。 わたしは確実に被曝する側だわ。物騒な物を放置するんじゃない。
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管理事務所 会計主任:1名 会計士:1名 会計助手:2名 事務員:2名 秘書室 当主付秘書:2名 夫人付秘書:2名 長男付秘書:1名 次男付秘書:1名 子供部屋管理 ナニー:1名 ナースメイド:2名 家庭教師:1名 タウンハウス管理 ハウスキーパー:1名 ハウスメイドチーフ:1名 下級ハウスメイド:2名
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ジョン・フォレストは19世紀初頭のスコットランド産まれの軍医で、36年間軍隊で勤め上げて最終的に陸軍軍医総監、そしてヴィクトリア女王の名誉医師にまで上り詰めた医界の超エリート。一時的にナイチンゲールの上司をやっていた事もある。 しかし一方で死体泥棒をやった事でも広く知られている。
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19世紀のイギリスはホラーが流行したけど、現実に存在するホラーも。それが死体泥棒で、読んで字の如く、墓場から死体を掘り出して医者に解剖用で売り飛ばす。 背景となったのは皮肉にも人権意識の浸透で、微罪でも流刑か処刑の二者択一だった時代は医学的解剖のための死体には困らなかった。
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バーバラ・パーマーはチャールズ2世の寵姫(ロイヤル・ミストレス)の一人。そして最も悪名高いイングランドいちの悪女。 二つ名を『国家の呪い』或いは『国家の禍い』と称される超弩級の地雷女。 即ち、イギリス中が認める傾国の美女。
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RAFは何故か7.7ミリ機銃が大好きで、戦闘機から爆撃機までみんな7.7ミリ機銃を使ってる。 何でだろうと調べたら、空戦における射撃チャンスは少ないので、単位時間当たりに大量の弾丸を叩き込むのがいいと考えて手数を威力より重視したぽい。
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1945年2月13日。最後の構成も頓挫し、降伏まで秒読みとなったドイツの古都、ドレスデンに無数の爆撃機が向かう。既に迎撃に向かうべき空軍など絶えて久しかった。 虐殺が始まる。
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そういや、『湯水の如く』と言う表現あるけど、これっていつ頃が発祥なんだろ。 日本でもたとえば江戸時代とかだと、燃料費もバカにならんはずだから、お湯というのは中々それなりに高価なものではないかと思うんだけど。ゆで卵は江戸時代高級品だったと聞くし。
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1870年代以降、イギリスでは『自転車狂い』と言われるサイクリングブームが続いていた。当初、その担い手は富裕な中産階級の男性達で、自転車は高価で扱いの難しいペニーファージング(大小の車輪がペニー貨幣とファージング貨幣に準えられた) しかし1880年代に大きな変化が music.youtube.com/watch?v=GugsCd… twitter.com/elizabeth_munh…
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しかし四つ脚の馬と二輪の自転車では流石に違う。試作はされたものの、当時の技術では何をどうやってもサイドサドルは自転車では難しかった。 ではどうするか、と言う事で作られたのがトライサイクル。三輪車。 サドルの代わりにシートに座り、ペダルではなく足踏みを左右に踏んで加速する。
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何せこの自転車、ブレーキがない。 サドルの位置から分かる通り重心はかなり前にある。しかも現代の自転車よりかなりスピードが出る代物なので、ブレーキなんてかけたらつんのめって自転車ごと回転する。ブレーキが無意味なのでつけてない。 もちろん足も地面に届かない。
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巨大な前輪は何よりもスピードを出すためのもので、チェーンもなく、前輪が駆動輪。35キロは出た。高い座席はまるで乗馬中のような心地よさを感じさせる。正にスポーツサイクルそのもので、労働者階級よりお金持ちだけど、上流階級程にはお上品さを求められない中産階級の若い男性は熱狂した。
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ドライス男爵が二輪の足蹴り車ドライジーネを開発して以来、自転車は産業革命と共に急速に進歩してきた。 1860年代にベロシロードと呼ばれる現代の自転車に近いものが作られるけど、このフレームは木材でかつサスペンションがないので非常に乗り心地が悪かった。 twitter.com/elizabeth_munh…
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歴史の写真や動画等で見覚えもあるこれはペニーファージング。アメリカ英語ではハイホイーラーと言う。 見ての通り非常に前輪が大きく、対照的に後輪が小さい。大いに流行したこのタイプの自転車だけど、見るからに乗りにくそうなのに何故流行ったのか。 答えは単純で、速かった。
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生まれ育ちに恵まれる事なく、己自身の努力や才能で成功を成し遂げた人をself-made manと言う。18世紀半ばの実業家にして発明家、リチャード・アークライトこそは人類史にその名を残す最大のself-made manだった。
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シャルル・ド・バッツ=ド・カステルモール=ダルタニャン。通称ダルタニャンは17世紀を生きたフランス軍人。 彼は古より戦の絶えないフランス・スペイン国境ガスコーニュ地方の男であり、気性荒く勇猛果敢な『ガスコン』だった。
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18世紀末まで女性はハンドバッグを持つ習慣がなく、概ねどこに行くにも手ぶらだった。 荷物は使用人に持たせたり、馬車に積めばいいと言う考えもあったけど、日用品を収納する大きなポケットがあったと言うのが理由としては大きい。 これが女性用結びポケット(Woman's tie-on pockets)。
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英文記事に機械翻訳かけて見てたら、アメリカの歴史サイトで『イギリスとイギリスとイギリスの違いはなんですか』って書いてて、何の事かと思ったらイングランドとグレートブリテンとユナイテッドキングダムってそれぞれ書いてた。 アメリカ人でもそう言う事思うのね。
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イギリスのいいところも悪いところも共に知って行きたいという気持ちがあるけど、日本が犯した過去の非を厳しめに指摘するのを見ると、何気に日本人なので、お前が言えた義理かよ七割、それはそれとしてまぁ悪かったよね三割くらいの気持ちになる。