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滅多に人を褒めないので有名な哲学者ヴォルテールは手放しでパルマンティエを賞賛した。
「貴殿の如き栄光は純粋で、人類を愛する全ての人々の賞賛に値するものであります」
パルマンティエは全く無私の心でじゃがいもの普及に努めた。
「地位も年金も要らん。じゃがいもは人々を救う」
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こうしてじゃがいもは毒物から貧民のパンに、そして、フランス料理の定番として定着し、ヨーロッパ料理の基礎の一つである高貴な野菜になる。
今やその高カロリーは嫌われる事が多い。しかし貧しい頃、どれだけ多くの人の命をじゃがいもが救ってきたか。
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「芋学者が!」
とエリート層はパルマンティエを馬鹿にする。しかし熱心で、しかも見返りを求めず、ただじゃがいもの普及に努める彼の姿にやがて大勢が絆されていった。
「凡人は華やかな悪党を持ち上げる。しかし、パルマンティエ氏は飽くまで純粋で、等しく人類のために身を捧げている……」
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ヘンリー8世もエリザベス1世も家臣団を引き連れて王宮大移動を繰り返してたけど、これは娯楽や忠誠心の刺激と言う目的はもとより、単純に彼らが住まう宮殿が過密状態で、すぐに不衛生になるから掃除のために逃げ出さないとならなかったと言う事情もあったみたいね。
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1850年、スコットランドの首都エディンバラに、ジョン・グレイと言う庭師が引っ越してきた。
庭師の仕事を見つける事ができなかったジョンはエディンバラの夜警になるけど、この際、スカイテリアのボビーと言う犬を引き受けた。
二人はすっかり仲良しになり、片時も離れないようになる。
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当時の常識では、大型船は沈むまでにはかなりの時間があるので、その間に付近の船が駆けつけてくれると言うのが常識だった。
しかし実際にはこれは誤った観念で、タイタニックは急速に斜度を深める。救助を当てにした設計のタイタニック号の救難ボートの数は乗客の数にまるで足りない。
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前線で戦うだけが名誉や義務ではない。危険な工場で二度にも渡って勤務し、負傷してもなお身を奮い立たせて国家と戦勝に貢献した彼女もまた、イギリスの英雄の名に相応しい存在でしょう。
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「毒物を勧めるか!」
と言う人にパルマンティエは言い返した。
「科学はじゃがいもの安全を証明している! 国王陛下も禁止されていない! あなたはなぜ国王よりも王様ぶるのか!」
そして当の国王もパルマンティエに熱い視線を注ぐ。
「貧民をも満腹させられるのか!?」
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「ソ連海軍は酔っ払い揃いか!」
当該の潜水艦のNATO側のコードネームがウイスキー級だった事に引っ掛けて『ウイスキー・オン・ザ・ロック』と称された一連の事態は西側諸国からの嘲笑を浴び、ソ連海軍は程度の低さを敢えて発表せねばならぬと言う切腹ものの恥を公式自らがかくことになる。
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フォリーはいろんな形があるけど、大体、ピカピカの新築ではなく、古ぼけた感じの古臭い様式や、田舎の農村風、パルテノン神殿のミニチュア版みたいな廃墟、果ては人工の洞窟なんかもフォリーのうち。今でもこうした装飾的な建物はあるわね。
さて、フォリーを建てたお金持ちは次に変な事を考える。
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お昼のTIPS。
ルドルフ・キルヒシュレーガーは1974年から86年までの長期間、オーストリアの大統領職にあった名政治家。当選時の得票率は80%にも登ったと言うから驚き。どこぞの独裁国ではなく、オーストリアでこれだけ支持されるのはよほどの事ね。
さて、そんな名大統領も泣きべそかいたことがある
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救貧院に落ちたら最後だと知る人達は何としてもここに入る事だけは拒否し、子供たちにしろ大人にしろ、ここに入るぐらいならと犯罪にまで手を出したので、救貧院は却って治安悪化の一因となった。
貧困者の最後のラインが機能しないなら、それは彼らを反社に走らせる事になるわね。
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しかし排水量45000トンの巨大船舶も氷山には勝てない。処女航海でタイタニック号は沈没する。ベッドで寛いでいたジェソップは跳ね起きて着替えると、乗客を甲板に誘導し始めた。
「大丈夫です! 本船はそう簡単には沈みません! 付近を航行する船が必ず駆けつけてくれます!」
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「今のは……競馬だったのですか……?
物凄い形相の馬が竜巻のように通り過ぎてから、だいぶん過ぎて普通の馬が私の傍を通り過ぎて行って……」
と、目撃者は述懐する。
デビュー戦の第一戦もそんな感じで、観衆も一撃でエクリプスの隔絶した実力を叩き込まれた。
「この馬は、他と違う」
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アイルランドの貧農出身のオケイリーは、イギリスの名門貴族達からどうか種付けをと懇願されるようになった。
オケイリーは名士となる。しかしイギリスのジョッキークラブは意地でもオケイリーを正会員とは認めない。どう考えたって生まれも卑しく、また、立身出世も賭場でのものではないか。
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「我々の村から広げてはならない。たとえそれで我々が全滅しても」
エヤム村は最終的に350人いた村人のうち、260人が感染死すると言う甚大な被害を受けた。たった14ヶ月の事だった。その中には、モンペッソン牧師と共にペスト患者の看護に回っていた奥さんすら含まれていた。