エリザ(@elizabeth_munh)さんの人気ツイート(新しい順)

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事の発端は1942年に実行され、完敗に終わったディエップ強襲だった。不十分な体制の中、軍の体面のために行われたこの作戦でドイツ軍に上陸側の英仏軍は射すくめられる。イギリス軍は上陸作戦の困難さを思い知った。 「たとえ部隊を上陸させても、後続が詰まれば先鋒は孤立する。各個撃破だ」
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制海権を保持する国は一見、どこからでも敵に攻め掛かれるように見える。しかしその実上陸作戦を出来るところはとても限られた。何故なら浅瀬に向かって攻め寄せても船が接岸できず、満足な荷下ろしができない。 そこでイギリス軍は考えた 「港を移動させよう」 かくして前代未聞の計画が持ち上がる
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イギリスの一兆円外食産業はカレー。 日本人の国民食たるカレーだけど、カレー好きならイギリス人も負けてない。寧ろカレー好きを日本人に伝播したのがイギリス人。10月にはカレーウィークもイギリスにはある。2001年には外務大臣がカレーを本物のイギリスの郷土料理と称した。
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『スティーム』と聞くとスコットランド人はニヤリとする。その言葉はスコットランド人にとって、ちょっとした背徳的な楽しみを意味した。 プロテスタントはカトリックに比べて禁欲的な性格の宗派で、スコットランド人は南のイングランド人より信心深い。しかし彼らは酒呑みだった。
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1865年に結成された救世軍によって始められたこうした運動は、世紀末には効果を認められ、無料で提供されるようになり、待遇も改善されていく。 出来ることからコツコツと。たとえ不快で窮屈であったとしても、雨風が凌げるだけで助かる命は大勢あったのだから。
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こうした安値の宿はいわばイギリス初のホームレスシェルターで、現代的な目から見れば不十分どころか非人道的だけど、当時としては画期的な試みだった。貧しいのは自業自得だと考えられていた中で、貧民は刑務所か救貧院か野垂れ死にで構わないと思われていたのだから。
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もう2ペニー払えば横になる事ができる。これが4ペニーの棺桶で、利用者は棺桶に似たベッドに寝そべって皮の毛布やオイルクロスを被る。パンや紅茶も支給されたけど、棺桶は一律同じサイズでなるたけ多くのホームレスを収容できるようになってたので、少し背が高いとたちまち窮屈に感じたでしょう。
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もっとも他の利用者との兼ね合いからベンチに寝そべる事は出来なかった。そうなると当然うつらうつらとしても、ベンチから滑り落ちてしまう事にもなる。 それで出来たのが『2ペニーの二日酔い』で、ベンチの前に横たわるためのロープが張られる。食べ物は提供される事もあったけど、保証はない。
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こうした人達のためにイギリスのプロテスタントの一派である救世軍が動いた。彼らは貧民の救済と伝導を掲げる教派で、軍隊式の組織を取るのが特徴。 最も貧しい人達のために彼らはまず暖かい部屋とベンチを提供した。これがペニー・シット・アップ。1ペニーで一晩をベンチで過ごせた。
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『2ペニーの二日酔い』と聞くと安酒を煽って身を持ち崩す人を想像するでしょう。しかしこれは酒の名前ではなく、宿の名前だった。 ヴィクトリア朝時代、豊かなロンドンを目指して地方から人口が殺到。過密状態のロンドンはホームレスで溢れた。彼らは野良犬のように野宿し、冬は凍える寒さに晒される
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グリフィスは戦争への貢献から騎士爵、次いで準男爵を授かる。しかし現代に至るまでトンネル掘削部隊や後方で炭坑労働に尽くしてきた人達が表彰されたとは聞かない。 総力戦の中では誰もが英雄のはずだけど、最も苛烈な労働量なのにね。
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色んな意味で彼らは汚れ役だった。名誉や勇気と程遠い任務を穴掘り達は全うする。 一方で国内で炭坑夫は払底し、その穴には素人の良心的徴兵忌避者が充てられる。玄人でも音を挙げるノルマを与えられた彼らは名誉なく死んだ。
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トンネル掘削部隊はドイツ軍の陣地の直下に爆雷を仕掛けて回り、クレーターができるほどの大爆発でドイツ軍を吹き飛ばす。正々堂々とした戦い方ではない。しかし損害を抑えるにはこうするしかなかった。 また、悪名高い地雷の設置にも彼らは絡んだ。
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西部戦線の塹壕やトーチカの建設に数多く携わったグリフィスは作戦を練ったり突撃に参加する訳ではない、いわば戦場の土建屋さんで、彼の部下たちは兵士と言うより職人だった。 彼は高級ワインを満載したロールスロイスで塹壕を視察して回り、選抜した兵士をトンネル掘削部隊に差し出す。
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こうしてトンネル掘削会社や炭坑の経営者達が軍から協力を求められる事になる。 ジョシュア・グリフィスもその1人で、彼は陸軍軍人でかつエンジニアであり、またトンネル掘削会社の社長だった。 彼は私費で連隊を結成し、自ら連隊長として戦場に赴く。
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しかし戦線が膠着状態に陥ると前線で炭坑夫が欲された。真正面から仕掛けても機関銃になぎ倒されるだけ。戦闘は地下に潜り、敵陣地の直下に爆雷を仕掛けて陣地ごと吹き飛ばす戦術の応酬となる。炭坑夫達は引き抜かれ、トンネル掘削技術を活かす。もちろんこれは危険な任務でもあった。
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それが石炭採掘だった。当時、エネルギー源は石炭が中心で、軍艦だって汽車だって石炭で動いてる。機械化できないこの分野だけはどうしても屈強な男手が必要だった。 大戦勃発当初、炭坑夫達は志願しても軍から居残るよう説得を受けたり、志願を禁じられたりした。炭坑夫がゼロになったら継戦できない
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第一次大戦中、イギリスが困ったことが一つある。前線に兵士は欲しい。ひかし生産力は維持どころか増産が求められた。 穴埋めに女性労働力が使われ、砲弾の生産は元より、農家や即席の農場にも女性が派遣される。26万人の『女性陸軍』の戦場は畑だった。 しかし女性ではどうにもならないところも。
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rt このツイートにあるようにコックたちは僅かな食材も無駄にすまいと健気に職務に務めたけど、一方で主人にとってもコックは扱いが難しく、料理を残そうものなら激怒したり泣き喚いたりして辞表を突きつけてきた。 料理がまずい国イギリスではコックはアーティスト枠だった。
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「ドイツより……。ドイツより……ドイツより……。  イギリスの民主主義は失敗です! 労働者の皆さん、騙されてはいけません。上流階級はユダヤ人と結託し、あなたがたを無意味な死に追いやっています!」 WWⅡ最中のイギリスのラジオにドイツの放送が割り込む。その司会者はイギリス人だった。
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アリス・ケッペルは下級貴族の娘で、伯爵家の三男の夫人。 つまり貴族の出ではあるけど、爵位はない。そんな微妙な地位。暮らしぶりはあまりよくない。 しかし彼女には天性の美貌と気立の良さ、そして相反する野心があった。
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偉大な父の後を継ぐ子には負荷がかかるのはよくある話だけど、エドワード7世は母の影に人生の殆どの期間、苦しんできた。 60年超の長期政権となったヴィクトリア女王の治世はイギリスの絶頂期と呼ばれ、ヴィクトリア朝時代とも呼ばれる。その息子、エドワード7世は母が存命の頃からストレスを抱えた。
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rt イギリス史を見てると、第一次対戦前と後では断絶があることに気づく。第二次大戦は一次大戦によってもたらされたものを強化したと言う印象。 親子間ですら大戦前の世代と後の世代では価値観が共有できないのね。
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Read the riot act(暴動法を読み上げる).とは耳慣れない言葉だけど、イギリスでは『厳しい叱責』を意味する言葉。 18世紀初頭、イギリスは混乱の中にあった。何せ名誉革命で元々の王様を放り出したものの、先王の娘には子供がなく、その妹にも子供がいない。ステュアート朝は断絶した。
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政治家として大真面目に、栄養豊富なバナナを給食に提供しようとしたけど、予算が許さず、公約違反となってしまった。 代わりに、フルーツの提供を強化したようね。真面目な人だわ。